第61話 エルフレア・ストックホルム
神歴1012年4月7日――ギルティス大陸南東、神都アスカラーム。
午後7時37分――港湾地区、港湾倉庫内。
「どうしました? もう終わりですか?」
「…………ッ!!」
強い。
強すぎる。
ミカエルは、衝撃に両目を震わせた。
(……エルのヤツ、こんなに強かったのか?)
聖堂騎士団の副長を務める女。
強いことなど百も承知だったが、まさかこれほどまでとは思わなかった。
否、これほどまでになったのだ。
この三年間で。
七番隊の隊長を務めていた三年前までは、ここまで悪魔的な強さではなかった。
エネルの総量以外は、むしろ自分のほうが若干上だったとさえ記憶している。
それが、この三年間で――。
「ミカエル、あなた少し弱くなったのではないですか? 昔のあなたはもっと手応えがあったと記憶していますが。この程度とは、少しガッカリです」
勝者の瞳で、エルフレアが言う。
ミカエルはカッと両目を見開くと、地面に赤い唾を吐き捨て、
「……ガッカリするのは、ちょっとばっかし早いんじゃないのかい?」
「遅いくらいかと思いますが。まあ、好きなだけ足掻くといいでしょう」
「……ああ、足掻きまくってみせるさ」
こんなところで終わるわけにはいかない。
ようやく『事』が動き始めたというのに、こんなところでは終われない。
終われない。
ミカエルは魔法モードのダブル――『バイアリーターク』の先端をエルフレアのほうへと突きつけると、自らを奮い立たせるように大声で叫んだ。
「真夏の吹雪っ!」
言葉と共に。
産み落とされた凶悪な吹雪が、エルフレアの身体を殴るように飲み込む。
が。
「――――っ!?」
ミカエルは、即座に後方へとステップした。
直後、氷点下のヴェールを突き破り――視線の先で、白銀の聖女の身体が鮮烈に舞う。
気を抜けば、うっとりと見とれてしまうほどの美麗なフォルム。
だが無論のこと、気など抜けるはずはない。着地と同時に振り下ろされた彼女の斬撃を、ミカエルはさらに数歩下がってやり過ごした。
と。
「アブソーブ」
「――――ッ!」
エルフレアの口から、切り替えの言葉が落ちる。
刀身モードから、魔法モードへの切り替え。
ミカエルは、その虎の子の一瞬を見逃さなかった。
爆進。
残る全ての力を振り絞って、前方へと一気に踏み出す。
消滅。
エルフレアとの間合いが、そうしてまたたくうちに消滅する。
咆哮。
ミカエルは、エルフレアの懐にバイアリータークの先端を突きつけ、力のかぎり叫んだ。
「零距離砲!」
「一瞬の加護」
交差するふたつの言霊が、決着を告げる鐘の音となる。
◇ ◆ ◇
同日、午後7時39分――港湾地区、港湾倉庫内。
一瞬の加護。
三秒間、自身に向けられた『一定レベル以下』の攻撃を全て無効化する。
専用というわけではない(数は少ないが、後天型にも存在する)が――エルフレアのダブル、『アーネストリー』に組み込まれた、非常に稀有なボールである。
閑話休題。
「どうやら、勝負はついたようですね。この状況、わたしが一声『切り替え』の言葉を放てば、あなたの頭はアーネストリーの刃に貫通される。巻き返しは不可能です」
地面に片ひざをつくミカエルの眉間にダブルの先端を突きつけ、エルフレアは勝利の言葉を吐き落とした。
決着。
このまま『リリース』と放てば、一瞬間で柄の内部から刀身が突き伸び、ミカエルの頭部を貫通する。
文字どおり、逆転不可の状況だった。
エルフレアは、言った。
「そこで先ほどの提案なのですが、受け入れる気になりましたか?」
「……ククッ、あんたはやっぱりイカれてるねぇ。本気で悪くない提案をしていると思ってるところが恐ろしいよ」
「心外ですね。あなたほどイカれてはいませんよ。リアやセーナを見るあなたの目は、イカれを通り越しておぞましい」
「ひどい言いようだねぇ。性癖なんだ、しかたがないじゃないか。自分ではどうすることもできない」
「その性癖がおぞましいと言っているんです。まあ、もうどうでもいいことではありますが。この先、あのコたちやほかの若いコたちがあなたの毒牙にかかることは金輪際ない」
「……言い切るね」
「言い切りますよ。どうやら、わたしの提案を受け入れる気もないようですし――このまま上半身、下半身共に粉みじんに切り刻むことといたしましょう」
「…………」
「さようなら、ミカエル。反吐が出るほどイカれたクソ女」
吐き捨て、ダブルを握った右手にほんの少しだけ力を加える。
エルフレアはそのまま、終結の一言を解き放とうと大きく口をひらいた。
と、だがその瞬間だった。
「いや、残念ながら『さようなら』をするのはあんたのほうさ、エル」
「――――っ!?」
ぞわっ。
悪寒。
背中に氷と炎を同時に押しつけられたような、そんな言い知れぬ感覚がエルフレアの身体を一瞬間で包み込む。
彼女は反射的に身体をひねった。
直後、そのかたわらを氷の一閃が突き抜ける。
氷柱のように先が尖ったそれは、そのまま、一直線にサイドの壁際まで突き進み、その勢いのまま、石造りの内壁に突き刺さった。
砕けることなく、文字どおり突き刺さったのである。
エルフレアは、弾かれたように『その方向』を見やった。
斜め後方、七メートル。
数秒前まで誰もいなかったその場所に、今は一人。
フード付き黒マントを頭からかぶったその人物は、その場所にいるのが当たり前であるかのように、ただ悠然と立っていた。
「ほぅ、今の攻撃を避けるか? たいしたものだな。さすがは聖堂騎士団の副長といったところか」
フードの人物が、言う。
女の声だった。
若い女の声。
尊大な物言いだが、粗野な感じはしない。本来は高めのトーンを、無理矢理低く抑えつけているような、そんな不思議な声音だった。
その女の口が、再度ひらく。
そこから放たれた言葉は、エルフレアが想像だにしていなかったそれだった。
「気に入ったよ。わたしの元に来い。幹部候補として、好待遇で迎え入れよう」
「なっ……!?」
何を……?
この女はいったい何を言っている……?
と、そう思ったところで、突然とわき上がった『とある可能性』がエルフレアの脳裏を電流と共に駆け抜ける。
まさか……。
目の前の、フード付き黒マントを頭からかぶったこの女は、まさか……。
「あなた、まさか……」
ゴクリと唾を飲み込み。
エルフレアは、かすれた声で叫んだ。
「邪王!? 邪王ナミ!?」
「なんだ? 気づいてなかったのか。存外と察しが悪いな」
雲ひとつない満天の星から、突如として雷鳴が轟く。




