第60話 激動の夜
神歴1012年4月7日――ギルティス大陸南東、神都アスカラーム。
午後7時26分――商業地区、中央メインストリート。
ジャックは、わなわなと両の拳を震わせた。
外出禁止令が出ているはずのこの空間に、見知った顔がひとつ。
あまりにも堂々と、彼女は夜のアスカラームを闊歩していた。
ジャックは、両目をむいて怒鳴った。
「野グソ女っ! なぜ貴様がここにいる!?」
「野グソ女ってなに!? 変なあだ名つけないでよ! てゆーか、この町は夜散歩に出るのも誰かの許可がいるの!? 息苦しい町ね!」
そう言って、女――リベカがプンスカと憤慨する。
ジャックは、両目を見開いたまま、
「貴様……ッ!? まさか外出禁止令が出ていることを知らんのか!?」
「外出禁止令!? なにそれ!? そんなの出てたの!? いつから!?」
「今日からだ! 聖堂騎士団の隊士が全ての家を回って伝えてるはずだろう!?」
「し、知らないわよ、そんなの! あたしは宿屋暮らしだし……宿屋には伝えてないんじゃないの? あ、でもなんか……そう言えば、昼前くらいに店主がそんなこと伝えに来たような来ないような……。寝起きで頭がボーッとしてたから、テキトーに返事して流しちゃったけど……」
「貴様……ッ、ふざけたことを! とにかく宿に戻れ! 夜間の外出は禁止だ!」
とんだ時間の無駄をした。
ジャックは吐き捨てるように言うと、リベカからぷいっと顔を背けて、正面の十字路を右に曲がった。
と、すぐに後方から追いかける声が響く。
「ちょ、ちょっと待ってよ、アイアンヘッド! そっち行っちゃダメだって!!」
「誰がアイアンヘッドだ! 私は忙しいのだ! 貴様にかまっている暇は――」
言いかけ、ジャックはハタと言葉を止めた。
黙考。
数秒の沈黙を挟んで、彼は言った。
「そっちに行ってはダメとは、どういう意味だ?」
神都の闇が、怪しく蠢く。
◇ ◆ ◇
同日、午後7時27分――居住地区、路地裏。
ディルス・ロンドは、やれやれと二度、首を左右に振った。
全員、死んでいる。
全員、六番隊の隊士だ。
目に映る範囲だけでも七人。ゴミ箱の裏など、目に見えない範囲にも転がっているかもしれない可能性を考えると、実際の数はもっと多いかもしれない。
隊長であるシェラの仇討ちと――みな意気込んでいたのだろうが、これでは無駄死にだ。
部下を全員置いてきた自身の判断はやはり正しかったと、ディルスは皮肉な形で思い知った。
「――で、これをやったのはおまえってことでいいんだよな?」
顔を上げ、正面の男に言う。
フード付き黒マントを頭からかぶった、二十代後半の優男である。
「違う、と言ったら、あなたは信じますか?」
「信じねぇな。顔面に返り血がベットリと張りついた男の言うことを信じろってのは無理がある。逆の立場でも、そうだろ?」
「ええ、確かに。それはそのとおりだ」
答えて、男が笑う。
その瞬間、ディルスは本能で理解した。
この男ではない。
シェラを殺ったのは、この男ではない。
その理解が、同時に新たな『事実』を浮かび上がらせる。
ディルスは愛用のSランクダブル、ドン・キホーテを抜くと、その事実を胸中にぼそりと吐き落とした。
(なるほど。一人じゃねえってことか。こいつは思ってたより、厄介な事件だぜ)
複雑怪奇な案件と、遅まきながら理解する。
◇ ◆ ◇
同日、午後9時30分――港湾地区、港湾倉庫前。
「エル、いったいなんなのさ? こんなところに呼び出して。シェラを殺った奴を探さないでいいのかい?」
ミカエルは、大きく肩をすくめて言った。
目の前には、聖堂騎士団副長――エルフレア・ストックホルムの姿がある。
シェラとの付き合いが最も古く、最も深い――つまりは今現在、最も憎悪の念が燃え上がっているはずの人物。
その彼女が、涼しい顔をして立っている。訝しんで当然だった。
「ミカエル、あなたに見てもらいたいモノがあります。こちらへ」
いつもと変わらぬトーンでそう言って、エルフレアが巨大な倉庫の中へと入っていく。
ミカエルは怪訝に眉をひそめて、彼女のあとに続いた。
「だからなんだってんだい? いいかげん、さっきの質問に答えておくれよ。この忙しいときに、こんな場所にあたしを呼び出した理由は――」
「あなたを呼び出した理由は、これです」
「……これ? 暗くてよく見えないねぇ。そこになんかあんのかい?」
「見えづらいですか? では、見えやすいように電気をつけましょう」
パチン。
「――――っ!?」
室内に明かりが灯ると同時、ミカエルは両目を見開き、一歩あとじさった。
だが、二歩の手前でなんとか踏みとどまる。
彼女は、震える声で言った。
「これって……」
「ええ、バルトです。いえ、バルトだったモノですね。今はただの肉の塊です」
バルト。
四番隊隊長、バルトロメイ・エアリーズ。
視線の先に在ったのは、首から下を完膚なきまでに破壊され、ただの肉の塊と成り果てた、かつての同僚バルトロメイ・エアリーズだった。
「そんな……なんで? なんで、バルトが……」
思わず、そんな言葉が口をつく。
言ってから、だがミカエルは痛烈に後悔した。
「そうですか。やはり、あなたもなんですね?」
エルフレアの、冷酷な眼差しがこちらを向く。
ミカエルはこらえきれずに、さらに数歩、後方へとあとじさった。
そのまま、わなわなと口を震わせ、
「まさか、これはあんたが……」
「ええ、わたしがやりました。当然でしょう? 彼はシェラ殺害の共犯者。あなたと同じくね」
「…………ッ!」
甘くみていた。
エルフレア・ストックホルムという女を、過小評価しすぎていた。
ミカエルは、ギリリと奥歯を噛みしめた。
「殺害後、シェラの身体をズタズタに切り刻んだのはあなたですね? いえ、答える必要はありません。答えなど聞かなくても、わたしはそうだと確信している」
「…………」
「ですが、シェラを殺したのはあなたではありません。バルトでもない。あなたちではない、別の第三者。そこで提案があります」
提案。
そう言って、エルフレアは表情を変えずに続けた。
「もしも、あなたがこの場でその者の名を明かすというなら、見返りとして慈悲を与えましょう」
「……慈悲ってのは?」
腰もとのダブルに手をかけつつ、訊く。
エルフレアからの返答は、彼女が想像したとおりの――いや、その想像をさらに数段階超えるレベルの、救いのない慈悲だった。
「上半身を残すか、下半身を残すか、あなたに選ばせてあげます。悪くない話だと思いますが、どうでしょう?」
ミカエルは、鼻で笑ってダブルを抜いた。




