第55話 動乱の兆し(後編)
神歴1012年、3月30日――ギルティス大陸南東、神都アスカラーム。
午後9時57分――商業地区、中央メインストリート。
光り輝くブロンドに、真珠のような美麗なまなこ。どれも使い古された月並みな表現だが――それらを総合すると、さらに月並みな表現を最後に使うはめになってしまう。つまりは『絶世の美女』であると。
ルナは惚けたような面持ちで、目の前に現れた女をただただ見つめていた。
「大丈夫? 穏やかなる回復を重ね掛けしたから、傷はもう全快してると思うけど……まだどこか痛む?」
「……え?」
真珠の瞳が、気遣うような色を宿してこちらの両目をのぞき込む。ルナはハッと我を取り戻すと、慌てて上半身を跳ね起こした。
そのまま、ドギマギと答える。
「へ、平気です! ありがとうございました! え、えと……」
「シェラ。シエラザード・シエスク。聖堂騎士団の、六番隊の隊長を務めてるわ。任務を終えて、一昨日、神都に戻ってきたの。あなたのことは総長から聞いて知ってる。ブレナ・ブレイクの仲間で、今はリアの一番弟子。ルナって呼んでもかまわない?」
訊かれて、ルナは即答した。
「は、はい。大丈夫です。ルナ呼び、むしろ嬉しいです。シエラザードさん――」
「シェラでいいわ。さん、はつけてもつけなくてもどっちでもいい。こう言うと、でも大抵のコはつけるけどね」
いたずらっぽく笑って、シェラ
おそらくは二十代半ばくらいの年齢だろうが――それは、幼い少女のような無邪気な笑みだった。
ルナはゆっくりと立ち上がると、改めて彼女の姿を子細に見た。
目線の高さは、百六十センチの自分とそれほど変わらない。二、三センチ大きいくらいだろう。スタイルは、でも抜群だった。服の上からでも、理想的なそれであると分かる。女性らしい身体つきでありながら、けれども戦士としての色は強烈に放っている。それは、奇跡の体型だった。
「それじゃあ、第三の塔まで送っていくわね。リアの部屋で一緒に寝泊まりしてるんだよね? 宿屋じゃなくて」
「はい、リアさんの部屋でお世話になっています。でも、大丈夫です。シェラさんのおかげで傷は全快したので、一人でも――」
戻れる。
そう言おうとしたところで、だが中途で遮られる。
シェラは「ダメよ」と短く放つと、鋭い目つきで後方を見やり、
「一人だと、またあの『変態』のターゲットにされるかもしれないし」
「…………」
変態。
言われたミカエルの表情が、鬼のそれへと変化する。否、変化していたのはだいぶ前からだったか。
シェラが現れた直後、その瞬間に鬼の形相へと切り替わった。それからずっとその表情のままである。
その後も、ずっと。
シェラに連れられ、ルナがその場を離れるまでずっと。
離れたあとも、おそらくはしばらくのあいだずっと。
言い知れぬ不安感が、氷点下の風となってルナの心を吹き抜ける。
◇ ◆ ◇
同日、午後10時23分――第三の塔出入り口前。
「遅いと思ったら、シェラさんと一緒だったんだ」
入り口の前で、リアがトッドを連れて待っていた。
九時前までには戻ると言ったのに、それを一時間半近くもオーバーしてしまえばそうなって当然である。
ルナはすぐさま謝罪の口をひらいたが――ひらいたその口から謝罪の言葉が生まれ落ちるその前に、シェラのそれに先を取られた。
「うん、たまたまそこで会ってね。リアのお弟子さんってことで、軽く挨拶しておこうって思ったらけっこう話弾んじゃって。軽くじゃなくなっちゃった。ごめん、心配かけちゃったね」
「別に、心配なんてしてないけど……」
そう言って、若干と照れくさそうにリアが両目を背ける。
ルナはシェラと顔を見合わせ、笑った。
ミカエルとの一件は、リアには黙っておいてとシェラに口止めされた。
リアの性格上、知れば間違いなくミカエルの元へと向かう。そこで一騒動起こることも確実で、そうなると事が大きくなってしまう。あまりそうなって欲しくはないとシェラは望んでいるのだ。
無論、ルナに不満はなかった。元より、リアに(いらぬ心配をかけたくなかったので)話すつもりはなかったのである。二人の見解は一致していた。
ルナはドデカプリンの入った袋をリアの前へと差し出すと、
「すみません、心配をおかけしました。でも、ドデカプリンの購入には成功しました。トッドくん、ドデカプリン買ってきましたよ」
「プリン! ドデカプリン!!」
満面の笑みを浮かべて、トッドが右太ももに抱きついてくる。
ルナは彼の頭を優しく撫でると、改めて、リアのほうへと顔を向けた。
視線が、合う。
と、リアは薄く笑って、
「まあでも、何もなかったんならよかったよ」
「はい」
ルナも同様に、薄く笑ってそれに応じる。
隣を見ると、なぜかシェラが両目に星を宿してトッドを見やっていた。
「ほら、トッド。シェラお姉ちゃんに挨拶して」
気づいたリアが、トッドの背中を押しつつ言う。
受けたトッドは、リアのそばで恥ずかしそうにクネクネと身体を揺らしながら、
「……こんばんわ」
「あぁー! うそーっ!? なにこれ超可愛いーっ! なにこれなにこれなんなのこれ!!」
「……え?」
ルナはポカンと固まった。
想定外すぎる反応。
真隣に立つ絶世の美女が、一瞬で、その辺にいるただの若い女と化す。近寄りがたいとすら感じさせた圧倒的なオーラは、文字どおり秒で見る影もなくなった。ルナはポカンとするほかなかった。
「ねえねえ、リア! トッドくん、わたしにちょうだい!」
「やだ」
「じゃあ、一千万ゴーロで売って!」
「売らない」
「二千万ゴーロ!」
「…………」
リアが、やれやれと嘆息する。
そこでようやくと我を取り戻したのか――シェラはあきらめたように、細く長い息を吐くと、両目から興奮の色をかき消し、
「ま、しょうがないか。トッドくんもリアに懐いてるみたいだし――無理やり引き離すのは可哀想だもんね。リアも可哀想」
「あたしは、別に……」
言いかけ、だが中途で口をつぐむ。否定の言葉は最後まで落ちなかった。リアの中で、それだけトッドの存在が大きくなっているのだとルナは理解した。
シェラも同じように感じたのだろう――彼女は、微笑ましい光景を目の当たりにしたかのような顔で微笑むと、
「はいはい、そういうことにしておくわ。それはそうと、リアも初めて会ったときはこのくらいちっちゃかったよね。懐かしいなー」
「ここまで小さくはないよ。十歳くらいにはなってたし」
「えーっ、そうだったっけ? まあ、リアは小柄だったからね。子供の頃はセーナより小さかった。こんなに大きく育つなんて感慨深いよ。今、身長何センチ?」
「百五十五」
「じゃあ、七年間で五十センチ近く伸びた計算になるね」
「その計算、豪快に間違ってるんだけど。三十センチくらいしか伸びてないから。今のレプよりちょっと小さいくらいの身長は当時からあった」
それは確かに豪快に間違えている。見た目によらず、シェラは意外とテキトーな性格なのかもしれない。
とまれ。
「とりあえず、続きは中で話しませんか? 少し冷えてきましたし、トッドくんに早くドデカプリンを食べさせてあげたいです」
ルナはそう言って、二人を塔の中へとうながした。
言葉どおり、トッドに早くプリンを食べさせてあげたかったのである。彼の動きやその表情を見ていれば、我慢の限界が近いのは明白だった。
「そうだね。中に入ろうか。シェラさん、寄ってくでしょ?」
トッドの手を引き、振り向いたリアが「当然そうするよね?」といった口ぶりで訊く。
が、シェラからの返答は思いがけずノーだった。
「ああ……ごめん、このあと用事あるんだ。エルと一杯やる約束してて。また今度寄らせてもらうね」
「えっ、今からですか?」
「ルナ、大人の夜はこれからなのよ。九時半なんて、まだ宵の口にもなってない」
「宵の口、終わろうとしてる時間だと思うけど……。まあ、二人にとっては宵の口なんだろうけど」
「そうそ、わたしたちにとっては宵の口。お愉しみは、これからなんだから」
最後にそう言って。
シェラは、暗い夜のとばりの中へと消えていった。
その後ろ姿を見送るルナの心に、不穏の雨が降り注ぐ……。




