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第49話 ルナとセーナ


 神歴1012年3月7日――ギルティス大陸南東、神都アスカラーム。


 午後5時37分――商業地区、中央メインストリート。


 セーナ・セスは、ながら歩きをしていた。


 ()()()()()()()である。


 隣では、帝都から来たというブレナの連れ――ルーナリア・ゼインが期待に胸を膨らませたような表情を浮かべている。


 セーナは短く息を吐くと、若干と上方向に向けていた視線を水平に戻し、


「名物って言われてもなぁ……。ここ観光地じゃないし……ルナちゃんが期待してるようなモノとか、たぶんないよ。ちなみにどんなの好きなの?」


「イカの塩辛とか大好きです」


「いやおっさんか!」


 おっさんだ。


 好物が完全におっさんのそれだ。


 想定外の返答に、セーナは心中で頭を抱えた。


 考えに考え抜いた末、無難に甘いモノでも、と出した結論が一瞬間で危うい立場へと追いやられる。


「……もしかして、甘いモノとか苦手だったりする? 甘いモノ、めっちゃ好きそうな顔してるけど……」


 後半部分はルナには聞こえないような小声で――セーナは、声の大きさを器用に使い分けた。


「いえ、苦手ではないです。でも、しょっぱい系のほうが好きです。アリスさんが甘党なので、たまに一緒に食べたりはしますけど――基本は辛党です」


「若い女のコなのに珍しいな。でも、辛党かぁ……。困ったなぁ……」


 困った。


 マジで困った。


 辛党好みの店はまったく知らない。どう考えても、これはディルス案件だ。もしくはエル姉さんか――と、そこまで考えたところで、不意にルナの口から思ってもいなかった言葉が放たれた。


「セーナさんはリアさんよりもひとつ年上なんですよね? ということは――」


「……それ、誰が言った?」


 中途で遮り。


 セーナは、声のトーンを抑えて言った。


 受けたルナが、不思議そうに大きな両目をパチクリさせる。


「?? いえ、リアさんが『セーナ姉』って言っていたので、年上なのかと。違うんですか?」


 違わない。


 問題は、()()()()()()


 一拍。


 セーナはそこで、大きく一度、深呼吸をすると――。


 その流れのまま、ルナの顔面に勢いよく人差し指を突きつけ、


「違わないわよ! そこは違わない! 違うの、ひとつって箇所! アタシはリアより()()()年上だ! 先月二十日(はつか)二十歳(はたち)になった、正真正銘大人の女だ!!」


「……え」


 ルナの動きが、そこでピタリと止まる。


 やがて、だが彼女は仰天したように両目を見開き、


「セーナさん、二十代なんですか!? 全然まったく見えないです!! 十八でも驚きなのに、二十歳(はたち)は驚き通り越して衝撃です!! こんなの逆サバ読みじゃないですか!?」


「逆サバ読みってなんだそれ!」


 初めて聞くワードだ。


 初めて聞くワードだが、でもなんとなく意味は分かった。かなりのパワーワードである。


 セーナは三度、深呼吸を繰り返した。


 たかぶった感情を、それでなんとか鎮める。


 と、若干と落ち着きを取り戻した彼女は、警告するように両目を細めて、

 

「……あんたは褒めたつもりかもしれないけど、今の全然うれしくないからね。アタシは年下に見られることが一番――」


「いえ、別に褒めてないです。良い意味でも悪い意味でもないです。そのままの意味です」


 そのままの意味だった。


 良い意味で言われたわけでも全然なかった。セーナは両目をさらに細めた。


「……あんた、けっこう舐めた性格してるわね」


 正直者は嫌いじゃないが、いくらなんでも正直すぎる。


 セーナは歩く速度をわずかに上げた。限界近くまで細めた両目は、だが彼女に向けたままである。ほとんどもう、睨む一歩手前であった。


 と。


「あ、セーナさん」


「今度はなに? さっきも言ったけど、アタシは――」


 がごんっ!!


「あぎゃッ!」


 衝撃。


 セーナは、半回転して地面に倒れた。


 冗談みたいに、芸術的(アート)な倒れっぷりだった。


「いったぁ……。ちょ、なに? 吊り看板? なんでこんな低い位置まで看板下がってんの? 一瞬、角がおでこに刺さったぁ……。頭、ジンジンするぅ……」


 涙目になって、ひたいをさする。セーナは地面に倒れた状態のまま、事の元凶を鋭い目つきで見上げた。


 乾物屋の吊り看板が、ガコリとズレた状態で絶妙な高さに垂れ下がっていた。


「すみません。前に看板が、って注意しようとしたんですけど……間に合いませんでした」


「いやテンションおかしくない!? 注意するなら、もっと緊迫感持って言いなさいよ! 『前、看板っ!』 とか! なんでそんな普段と変わんないトーンで切り出すのよ!」


 立ち上がりつつ、ルナに向かって二度目の指を突きつける。


 やっぱりこのコはズレている。この吊り看板と同じくらいズレている。本人がそのズレをまったく自覚していないのも厄介である。まあ、悪いコではないのは一見して分かるが(目を見れば分かる。目つきは全然違うが――リアとよく似た目をしている。こういう目をしている人間に悪人はいない。その精度には、セーナは絶対の自信を持っていた)。


 とまれ。


 セーナはそこで鉛の息を吐いて、気持ちをいったんリセットすると、思い出したようにポツリと落とした。


「……お店、ここでもいい? 地味にけっこう有名だったの思い出した。名物ってほどではないかもだけど――乾物とか、好きだったりする?」


「乾きモノ、大好きです。サキイカ一袋で、オレンジジュース三杯いけます」


「……いやだからおっさんか」


 まあ、でもドストライクだったのなら僥倖である。


 セーナは、安堵の息を吐いた。


 そのまま、黄昏色に染まった夕焼け空を見上げる。


 そこには、穏やかでいつもと変わらぬ平穏な色が広がっていた。


 でも、このとき彼女はまだ知らない。


 この平穏が、よもや嵐の前の静けさだったとは到底知る由もなかったのである。



      ◇ ◆ ◇



 同日、午後5時50分――ラーム神殿、聖王の間。


「よく来てくれた。来てくれるものと、信じていたよ。()()()()()()()()


 濁りのない、どこまでも透き通った声が荘厳な聖堂内に響き渡る。


 ブレナは無言のまま、ゆっくりと視線をその方向へと差し向けた。


 聖王ナギ。


 左右に聖堂騎士団の両翼を従え、片翼の『馬鹿息子』が威風堂々と立っていた。


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