第43話 十二眷属筆頭、ギルバード・アイリス
神歴1012年3月6日――ギルティス大陸南東、滅びゆく村。
午後1時50分――宿屋前、広場。
ギルバード・アイリス。
肩まで伸びた漆黒の髪に、同色の双眸。長身痩躯だが、貧弱なわけでは決してない。その肉体の全てが筋肉で出来ているのではないかと思わせるほど、彼の身体は鋼のそれで形成されていた。加えて、彼は器用である。百九十センチを超える大柄な体躯にも関わらず、器用に『獲物』を扱う。
ブレナは今も、彼のその『器用さ』をまざまざと見せつけられていた。
「……絶妙な位置で止めてやがんな。あとほんの数ミリ手前に引けば、俺の頸動脈を掻き切れる。さすがはギルバード。見事なテクニックだ」
「これでリンゴの皮をむくこともできるぞ? この『アーサーズフェイム』は私の手足と同じだ」
アーサーズフェイム。
世界に七本しか存在しない、Sランク――大鎌式の、Sランクダブルである。
その三日月形に曲がった刀身が、ブレナの喉首に『寸止め』状態で突きつけられている。当たり前だが、良い気分はしなかった。
「……次元の旅路、か。半径三十キロメートル内を一瞬で移動できる、アーサーズフェイム専用のぶっ壊れ下級魔法。そう言えば、この辺りは神都からちょうどそのくらいの距離にあったな」
「ギリギリ三十キロ。おまえがこの村の近くに来ているというのは、ナギ様からの報告で分かっていたのでな。ガゼルの討伐ついでに、利用させてもらった」
「……最初から全部仕組まれてたってわけか。あいつらは知ってたのか?」
少し離れた位置で(片膝をつき)かしこまっているジャックを見やって、訊く。
ギルバードからの返答は、まあ想像したとおりのそれだった。
「いや、何も伝えていない。ガゼルが獣タイプの十二眷属だということも伝えてはいないよ。これは二人を成長させるための任務でもあったからな。自分たちの頭で考え、真実にたどり着いてほしかった。セブンズリードに抜擢した手前、目に見える成果を早めに上げさせてやりたかったという親心もある。たどり着いたのは、残念ながらおまえの連れだったようだが。まあでも、その後の処置は及第点といったところか」
「……部下の成長のために、罪のない村人を何十人も見殺しにしたのか? 相変わらず、いい趣味してるぜ」
「罪のない? それは違う。この村の奴らはほぼ全員罪人だよ。大小程度の差はあれど、罪を犯して故郷を離れざるを得なくなった奴らが行き着いた場所――それがこのガストの村だ。放っておいたら、さらに罪びとが集まってきた可能性もあったから、ガゼルがいてくれてむしろ助かったくらいだ。掃除する手間が省けた」
「……そうかよ。そいつは良かったな」
投げやりに言って、一息吐く。
と、そこでことさら一拍置くと、ブレナは視線をシャープに切り替えた。
そのまま、振り向かずに言う。
「――で、この状態からなら俺に勝てると?」
「どうかな? だが、試してみる価値はあるだろう」
「…………」
突きつけられた三日月形の刃に、若干と力が加わる。
ブレナは、観念したように笑った。
「分かった。降参だ。さすがにこの状態からじゃ勝てる保証はない。相手がおまえじゃなければ、取るに足りない状況なんだけどな。で、目的はなんだ?」
「ふっ、理解が早くて助かるよ。おまえにはこれから、神都アスカラームへと出向いてもらう。目的地はラーム神殿だ。必ず来いよ」
「おまえは同行しないのか?」
「私はこのまま、次元の旅路ですぐに神都へ立ち戻る。五分以上、あの場を空けるわけにはいかないからな。本音は三分でも空けたくない」
「いいのか? 脅しが解けたら、行かないかもしれないぜ。おまえがいないんじゃなおさらだ」
「いや、おまえは一度口にしたことを反故にするようなくだらん男じゃない。無条件で信用するよ。念のため、ジャックとリアは置いていくがな」
お目付役を二人も置いていくんじゃ、無条件で信用されているとは言い難いが。
まあでも、信用はされているのだろう。ブレナ自身も、一度口にしたことを違えるつもりはなかった。降参すると言った手前、彼の要求を飲むのは当然である。
それに――。
(ラーム神殿、か……。ついでに、久しぶりに『チロ』の顔でも拝んでやるか)
ペンダントの色は、いまだ青く光ってはいないが。
(……でも、チロの顔を見るってことは、あいつとも顔を合わせなくちゃならないってことだよな……。ハァ、気が重いぜ……)
が、しかたがない。
そっちのほうが本題。そのために、おそらくは呼ばれたのだから――。
すっかり変わってしまった息子との再会。
止まっていた運命の歯車が、再び、今ゆっくりと動き始める……。
◇ ◆ ◇
同日、午後2時37分――滅びゆく村、宿屋二階の客室。
ルナは木製の床に両ひざをついた状態で、正面のベッドにしょんぼりと座るレプと相対していた。
あれから一時間。
目覚めたレプがどういった反応を示すかは容易に想像できたが、でもその反応はルナが思っていたよりもさらに一段悪い意味で上だった。
全てを伝え聞いたレプは、一瞬、キョトンと固まったあと――やがて空になった自身の頭に両手を這わせて、
「……頭の上が、重たくない……。……タンタン、いなくなった……。レプは子分を失った……。レプは悲しい。レプは淋しい。んぐ、ひぐっ……ゔぇぇぇぇん!」
「…………っ」
泣きながら、レプがしがみつくように抱きついてくる。泣いている彼女の姿を見るのはこれが初めてだった。
ルナは、レプの身体を優しく抱きしめた。
「……淋しいですよね。悲しいですよね。でも、タンタンは十二眷属でした。悪者です。悪者は、倒されなくてはなりません。レプにも、それは分かりますよね?」
「……うん」
小さな身体を震わせながら、レプが殊勝に答える。
ルナはより強く、彼女の身体を抱きしめた。
「いいコです。レプはとってもいいコです。めちゃエラです」
「……レプ、めちゃエラ? めちゃエラ、すごい?」
「すごいです。めちゃエラは、最大級の褒め言葉です」
「……うん、レプめちゃエラ。レプはやんごとなきお方になる。だから、もう泣かない……」
「……レプは強いですね。ますますめちゃエラです。めちゃエラです……」
そう言って、左手で彼女の頭を優しく撫でる。
レプはすごい。レプは強い。レプはめちゃエラい。
それに比べて――。
(……わたしは、弱いです。情けないです。めちゃカッコ悪いです……)
二度も続けて、あの体たらく。
今まで築き上げてきた自信が、この数か月で土台の部分から叩き壊された。
自分は強くはないのだと、思い知らされた。
強くはないのだと――。
(……強く、なりたいです。もっと、強く……)
切に思う。
最強の剣士になりたい。
誰にも負けない、どんな相手からも『大好きな人たち』を守れるくらい強くなりたい。
強く、なりたい。
ルーナリア・ゼインは、ただひたすらにその実現を希う。
◇ ◆ ◇
同日、午後3時30分――宿屋一階、玄関近くの共有スペース。
「ここから神都アスカラームまでは三十キロ弱。大人の足なら一日でたどり着ける距離だが、子供もいる。ちょうど中間地点にあるヴィレムで一泊宿を取ろう」
周囲に集まる面々に向かって、ジャックが言う。
それに対して真っ先に反応したのは、リベカだった。
「ちょっと待って。なんであたしまで数に入ってるの? トッドを保護するのは分かるけど、大人のあたしは関係ないじゃない。アスカラームになんて行きたくないんだけど」
「戯言を。貴様は罪人だろう? アスカラームの裁判にかける。違います、は通用せんぞ。ナギ様が『神の目』を通して見ていたのだろうから、間違いはない」
「『神の目』ってなによ!? あたしはナギ教の信者じゃないし、あんたたちに裁かれるいわれはない。それに、あたしはたいした罪は犯してない。故郷の村を出たのだって、別に追い出されたとか、後ろめたくて、とかそんな理由じゃないんだから。ただ、なんとなく居づらくなっただけ」
なんとなく居づらくなっただけ。
なんとなく気になり、ブレナは訊いた。
「ちなみに、どんな罪を犯したんだ?」
「………………………………野グソ」
「……え?」
アリスとルナが、同時に両目を丸くする。
ブレナは、改めて訊き直した。
「えっ、今なんて言った? なんか野グソとか聞こえたんだけど――さすがに聞き間違いだよな?」
「聞き間違いじゃないわよ! 野グソしちゃったの! しかたないでしょ! おなか痛くて我慢できなかったんだから!! 漏らせっての!?」
「…………」
室内が、シンと静まり返る。
やがて落ちたリアのつぶやきは、そのまま、その場にいる全員の心のうちを寸分違わず代弁していた。
「……連れてかなくてよくない? なんかいたたまれないんだけど……」
滅びゆく村での、摩訶不思議な数日が締まらない話で終わり――そうして新たなメンバーとの、新たな物語が再び始まる。
――第2章 完