第40話 リアVS十二眷属
神歴1012年、3月6日――ギルティス大陸南東、滅びゆく村。
午後1時38分――宿屋一階、玄関近くの共有スペース。
「……ぁ、ぐ……ぅぅぅ……」
何が、起こった……?
今、いったい……何、が……?
背後の壁にもたれるようにして、床にペタンと尻もちをついたルナは、目の前の光景を茫然とした面持ちで眺めていた。
視界に映るは、巨漢の獣人。
体長二メートルを優に超える、毛むくじゃらの巨大なデミヒューマンだった。
「おっ、まだ生きてるのか? 存外とタフだねぇ。変態直後で力がうまく伝わらなかったのは事実だが、この形態のオイラの一撃をまともに喰らって息があるってのは驚きだ。たいした嬢ちゃんだよ」
変態?
まさか目の前のこの大柄な獣は、さっきまでのあの小さな十二眷属が姿を変えた存在だというのか?
確かに一瞬、身体が光ったような気はしたが――。
だが、あんな短い時間で……否、それよりも『ふたつのスタイル』を自在に切り替えることができるなんて……。
想定できなかった。思い込みはよくないと思い知ったばかりなのに、また思い込んでいた。こんなことなど起こるはずはないと。
ルナは奥歯を強く噛みしめた。
そのまま、身体を起こそうと全身に力を加える。
が。
「……ぁ、く……がはッ!」
吐き出された鮮血が、木製の床を真っ赤に染める。
立てない。
否、まともに動くことすらままならなかった。いったい、何本の骨が折れているのだろう。少し動いただけで信じられないほどの痛みが全身を駆け巡る。喰らったのは左の脇腹だが、その付近のあばらが全て折れているのではないかと思うほどの激痛だった。
ルナは、視線をアリスのほうへと向けた。
彼女の叫声が響いたのは、ちょうどそのときだった。
「ルナっ!!」
顔面を『心配』の二文字に支配されたアリスが、そう叫んで、弾かれたようにこちらへと一歩を踏み出す。
「ア、リス……さ……ダ、メ……」
ルナはすぐさま、弱々しい声と共に制止の首を左右に振ったが、その言動が奏功することはなかった。
「おっと、回復はさせねぇよ。それをさせたら、オイラは間抜けだ」
「あ……っ!」
一歩の時点で、それを即座に察知したガゼルがあっさりとアリスの腕をつかんで止める。
止められたアリスは、必死の形相で手足をジタバタさせながら、
「放せぇーっ! ルナを回復させろーっ!! 馬鹿タンタンーっ!!」
「ガゼルだ。その名前で呼ばれると、気が抜けるからやめてくれねぇかなぁ。気が抜けるってのは何より恐ろしい」
言って、ガゼルがアリスの手から『アセンブラ』を奪い取る。
彼はその流れのまま、それを玄関のほうへと投げ捨てると、
「これで回復はできない。おまえらは絶望。オイラは安心だ。安心したあとは不思議と欲求を満たしたくなる。なぜかは分からんが不思議とね。てなわけで、まずはおまえの身体を使ってそいつを満たすとしようか」
「――――っ!?」
ルナは両目を見開いた。
そこからは先は、スローモーション。
ルナは何もできずにただ、茫然とその様を見守るほかなかった。
巨漢の獣人が無言のまま、アリス目がけてノーモーションで丸太の腕を振るう。
切っ先の鋭い爪が、まるでコマ送りのようにルナの視界を流れた。
そして。
ごぎゃ!
重く、鈍い音を立て――。
ガゼル・ヴァルハウンドの身体が、サイドの内壁へと弾けて飛んだ。
鮮烈が、ルナの脳裏を光の速度で駆け抜ける。
◇ ◆ ◇
同日、午後1時39分――宿屋一階、玄関近くの共有スペース。
風もないのに、紅蓮の髪がふわりと揺れる。
それほどの速度の、神速の一蹴り。
ゼフィーリア・ハーヴェイ。
音もなく、疾風のように現れた彼女は、こちらに背を向けたまま、いつもと変わらぬクールな口調で、
「待ってて。二分以内に、こいつの息の根止めるから」
「……リア、さん……」
「リアさん!」
しぼり出すように発したそれと、アリスの歓喜の叫びが重なる。
でも、リアは一瞬たりとも自分やアリスのほうには視線をくれなかった。
ただ、一点。
彼女の視線は『とある一点』に釘づけになっていた。
やがて、視線の先の『その人物』がのっそりと立ち上がる。
彼――ガゼル・ヴァルハウンドは、野太い首をコキコキと鳴らしながら、
「……気づかなかったねぇ。音がないどころか、気配もなかった。同胞……じゃあないよなぁ? 千年近く会ってない奴らもいるが、おまえみたいな激かわな容姿をしてればさすがに記憶には残ってる。ノエル以外に、そんな奴はいなかった。ギルバードの奴と何か関係あるみたいな感じだったが……何者だ?」
「答える意味ある? 二分後にはこの世にいない奴に」
たんたんと、リア。
ガゼルはかっかと笑うと、
「そいつは正論。オイラも訊く意味はなかった。二分後にはこの世にいないだろう女のことなんざどうでもいい。心底、くだらん問いかけだったよ」
そう言って、両の瞳を鋭く光らせた。
リアの表情も、それに応じて戦闘モードへと切り替わる。
ルナはごくりと唾を飲み込んだ。
戦いが、始まる。
数瞬後には、第二ラウンドのゴングが鳴る。
リアとガゼルの、想像を絶するような激闘が目の前で繰り広げられる。
と、そう思っていたのだが――。
実際は、違った。
そうは、ならなかった。
あのとき以来の衝撃が、ルナの両目に激烈豪快に刻まれる。
◇ ◆ ◇
同日、1時40分――宿屋一階、玄関近くの共有スペース。
一方的だった。
どれだけの攻撃が繰り出されたのだろう。
たった三十秒足らずのあいだに、何十発の拳撃蹴撃がガゼルの身体を撃ち抜いたのか。
その半分以上が、ルナには見えなかった。
それほどに速い、電光石火の連撃。
その一連が終わるまで、ガゼルは倒れることさえ許されなかった。
倒れる、ことさえ――。
「ぁ……が、ぁぁ……」
やがて、だがそれが終わり――解放されたガゼルの身体がゆっくりと木製の床にくずおれる。
リアは(床に両ひざをついた状態でも、それでもリアよりだいぶ大きい)そんな彼を冷めたまなこで見上げて、
「思った以上にタフだね。さすがは十二眷属。これだけ撃ち込んでも、まだ戦闘不能にならないなんて驚いた。でも――」
「……でも、なんだ? その続きが『勝利宣言』なんだとしたら、そいつはとんだお笑い草だぜ。オイラは十二眷属だ。おまえがそれを知るのは、これからだッ!」
「――――っ!?」
閃光。
刹那、ガゼルの身体がまばゆいばかりの光を放つ。
ルナはハッとして、とっさに口を大きくひらいた。
注意喚起の言葉を、リアに向けて発したかったのだ。
が、だがその動きだけで全身に激痛が走り――ルナは目的を果たせず、苦悶の表情でうずくまった。
その間、わずか数秒。
痛みをこらえた彼女が再び視線を上げると、そこには『信じられない光景』が広がっていた。
「捕まえた。ちょこまか動きまわってたけど、たいしたスピードじゃないね。この身体になって、何がしたかったの?」
「…………ッ!」
がっしりと。
リアの右手には、タンタンモードになったガゼルの身体が。
呆気にとられるルナをしり目に――。
リアはそのまま、いつものようにたんたんとした口調で『バトルの終結』を宣言した。
「このまま握りつぶされるか、デカくなって蹴り殺されるか、三秒以内にどっちか選びな」
完全無欠の、圧勝劇だった。




