第104話 明かされた正体
神歴1012年6月10日――ミレーニア大陸中部、ラドン村。
午前9時23分――宿屋前の広場、宿から少し奥まった地点。
ビュッ!
「おっと、コイツは危ない」
神速の斬撃が、あっさりと空を切る。
避けられたのではない、消えられたのだ。
「この不意打ちを受けて、なお反撃してくる余裕があるとは恐れ入った。さすがはナギ様だ」
声は、右斜め後方から。
視線をその方向に動かすと同時、ナギは速やかに回復の魔法を唱えた。
「『祝福の癒し』」
『祝福の癒し』。
『古代の癒し』に次ぐ回復量を誇る、上位回復魔法である。
「おいおい、そりゃないぜ。あれだけのダメージが、またたくうちに全快か? やれやれだ」
フード付き黒マントを頭からかぶった男。
見るからに怪しいが、見たこともない男だ。
ナギは男に視線を留めたまま、声だけをナミに投げた。
「ずいぶんとうさん臭い男を配下に加えたな。何者だ?」
「……さあな? 利用しがいのありそうな男だったから、利用しただけだ。どこの馬の骨かは知らん。興味もない。部下に加えたつもりもないし、一時的な共闘だ」
「共闘?」
ナギは鼻で笑った。
甘い。
甘すぎる。
どこまでもシュガーな発想だ。
どこの馬の骨かも分からん相手を、さしたるリサーチもせずに利用する。
愚かすぎて、ナギは乾いた笑いが止まらなかった。
「……何がおかしい? 狂ったか?」
「狂ってるのはおまえのほうだよ、邪王。獅子身中の虫という言葉を、おまえは知らずに千年過ごしたらしいな」
「……馬鹿にするな。手綱を握っているのは、わたしだ。奴ではない」
「――だそうだが、事実か?」
ナギは、男に訊いた。
答えが返ってくるまでの刹那、だが彼は高速で思考を巡らせた。
男は、十二眷属ではない。
男は、ダブルを持っていない。
男は、おそらくミレーニアの住人ではない。
(……まさか、奴と同じか?)
アンノウン。
五百年間苦しめられてきた、あの悪夢が脳裏をよぎる。
ナギは、ギリリと奥歯を噛みしめた。
と、そのタイミングで、男からの答えが返る。
「もちろん、ナミ様のおっしゃるとおり。オレはナミ様に忠誠を誓っているんでね。ナギ様には悪いが、ナミ様のためにおたくと戦わなくちゃならない」
「そうか。ではおまえは、奴の同類ではないということだな?」
「奴?」
受けた男の声が、あからさまに怪訝の色を帯びる。
ナギはその瞬間に確信した。
この男は違う、と。
が、それでも『アンノウン』であることに変わりはない。
ナギは警戒の度合いをマックスに上げた。
(……二体一というのは厄介だが、幸いとあの女の気がわずかに緩んでいる。もしかしたら、私の始末を奴に一任するつもりなのかもしれないな。ふん、どこまでも甘い女だ)
しかし、好都合ではある。
ナミの気が緩んでいるうちに、電光石火で男を叩く。
『次元旅行』のような不思議な力は警戒せねばならないが、気を張っていれば対処自体は不可能じゃない。
ナギは、全神経を男に集中させた。
と。
ヒュッ。
「――――っ!」
男の姿が例のごとく、突如として視線の先から消失する。
ナギは刀身モードのダブルを構え、全方位に意識を巡らせた。
現れた瞬間に、一太刀で勝負を決める。
一太刀で――。
だが、事態はナギが想定していた『それ』をあざ笑うかのように思わぬ方向へと展開した。
「ナミ様、油断してはいけませんよ。戦場では、油断した者から死んでいく」
「――――っ!?」
男が現れたのは、ナギのもとではなかった。
ナミの背後。
若干と気が緩んでいた彼女の背後に、狙っていたかのようにヒュッと姿を現す。
彼はそのまま、間髪いれずに握った刃をナミの頭頂部へと振り下ろした。
そして――。
ぎぃん!
乾いた音を鳴らして、二本の刃が重なり合う。
受け止めたのは、ブレナ・ブレイクの『グロリアス』だった。
「ナミを攻撃したってことは、おまえはもうどちらの勢力でもないってことだ。だったら俺が参戦しても、約束を破ったことにはならないよな?」
混沌が、さらなる混沌を呼び寄せる。
◇ ◆ ◇
同日、午前9時26分――宿屋前の広場、宿から少し奥まった地点。
「……これはこれは。思っていたより、お早い参戦で。それにしても、まったくここは非常識な身体能力を持った奴らの巣窟だぜ」
「おまえも、そのうちの一人だけどな。本格的にやり合う前に、いろいろと喋ってもらうぜ?」
男の刃を弾き返し――ブレナはそのまま、彼の眼前に『グロリアス』の切っ先を突きつけそう言ったが、すぐ後ろからそれを邪魔する声が即座に入った。
「なんのつもりだ、ブレナ! わたしは貴様に守ってくれなどとは――」
「だったらその温い考えを改めろ!! おまえの甘さが、いつかミレーニアを滅ぼすぞ!!」
「な――っ」
一喝。
ナミの声と動きが、その瞬間にピタリと止まる。
止まった理由は分からないが、だがこれで男との会話に集中できる。
ブレナは再び、意識の全てを男に傾けた。
言う。
「嘘をついてもかまわないが、できれば正直に答えてもらいたいね。おまえは何者で、何を目的に動いてる?」
「ああ、かまわないよ。正直に答えよう。今のこの状況は、全てを話すには最適なタイミングだ。ただその前に、ナギ様とナミ様にも『その意識』を共有してもらわないと困るぜ? 話している最中に茶々を入れられるリスクがあるんじゃ落ち着いて話せやしない」
言われて、ブレナは視線を二人へと移した。
アイコンタクトで、ナギは即座に了承する。
他方、ナミは――。
「…………」
視線を、合わせてはくれなかった。
へそを曲げているのかもしれない。いや、間違いなく曲げている。ブレナにはそれが手に取るように分かった。ほんの一瞬だけ、千年前の彼女とダブって見えた。
いずれ、ナミもおそらくは了承している。もう二度と気は緩めないとばかりに、戦闘モードは維持したままだったが。
ブレナは三度、視線を男へと戻した。
と。
「どうやら、二人とも了承したみたいだな。じゃあ、答えよう」
視線が合うと同時、男があっさりと言う。
彼はそのまま、本当にあっさりと、驚くほどにあっさりと、自身の正体を白日のもとにさらした。
「オレはおまえと同じ転生者だよ。おまえの造ったこの世界に十二年前に転生した。西暦2037年没のドイツ人だ。ドイツ語を喋ってるつもりだが、なぜだか不思議と言葉は通じるみたいだな」
フードをまくった男の姿は、金髪碧眼の比較よく見る欧米人のそれだった。
◇ ◆ ◇
同日、午後9時29分――宿屋前の広場、宿から少し奥まった地点。
「転生者、だと? 俺と……同じ?」
ブレナは、両目を丸くして訊き返した。
「ああ、そうだ。この『空間移動』の能力は転生と同時に『女神』ってのに授けられた。なかなかイカした嬢ちゃんだったんで誘ってみたんだが、残念ながらオレと一緒にこの世界には来てくれなかったよ。というより、意外そうな顔だな? とっくに想像がついてると思ったが」
「…………」
想像など、微塵もついていなかった。
だが、考えてみれば、ありえない話ではまったくない。
ひとつの世界に一人しか転生しない、というのは勝手な思い込みだ。
生前に見たいくつかの転生モノのアニメにも、同世界に複数人転生しているそれはあった。
だが、自分が創造主となり、世界そのものをゼロから造り上げたという特別感が、その可能性を知らず頭の中から追い出してしまっていた。
まるで自分だけが特別であるかのごとく、錯覚してしまっていた。
創造主であることと、唯一無二の転生者であることはイコールではない。
ブレナはそのことを、この段になってようやくと理解した。
ようやくと、間抜けに――。
「あのイカした女神の嬢ちゃんに聞いた話だと、このヴェサーニアには五百年に一度転生者が配属されるらしいぜ。つまりはおたくが初代、オレが三代目ってことになるね。二代目もどっかにいるのかもしれないが、でもそいつはどうやら平凡に暮らす道を選んだみたいだな。オレと違って」
言って、男が唇の端をわずかに釣り上げる。
と、そのタイミングで、彼は唐突に話題を変えた。
「それはそうと、おたくは顔も変えたんだな? そういうことも可能だってのは女神ちゃんに聞いたが、でも惜しいねえ。千年も過ごせば、そりゃ元の顔に飽きが来るのも理解できるが――オレは黒髪黒目の日本人ってのは『美麗』の代名詞だと思ってるんだ。だから惜しい。心の底から惜しいと思うよ。まがい物の黒髪黒目は、ここにも二匹いるがね」
背後で、ナミが分かりやすく気色ばむ。
それまで黙って話を聞いていた彼女は、でももう耐えられないとばかりに、
「まがい物? まがい物は貴様のほうだろう! ワケの分からない御託を並べて悦に浸っているが、貴様はブレナの二番煎じどころか三番煎じではないか!」
「はー、なるほど。そういう考え方もあるのか。そういう考え方で考えれば、確かにオレは三番煎じだ。いやいや、ナミ様はなかなかおもしろい観点からモノを考える」
「なんだと!?」
「いや、褒めているんですよ。褒めているのに噛みつかれちゃあ、たまったもんじゃない。まあでも、ナミ様のトイレットペーパーのように薄い忍耐の膜も限界に達したようだし、そろそろ戦闘を再開するとしようか。で、誰が最初に戦う?」
誰が?
男のその言葉を聞いて、真っ先に反応したのはナギだった。
いつのまにかこちらに近寄ってきていた彼は、フンと鼻で笑って、
「誰が、だと? 間抜けなことを言うな。この状況、こちらが馬鹿正直に一対一で順番に戦うとでも考えているのか? この女と組むのは我慢ならんが、父上と共に戦うのはやぶさかではない。私と父上が組んで戦えば、貴様など――」
「ああいや、そいつは勘弁願いたいね。もしおたくらが多対一でオレに挑んでくるのなら、オレは不本意ながら『残忍』をやらなきゃあならない」
「残忍?」
ナミが、おうむ返しに訊く。
と、男は当たり前のことを告げるかのような口調で突と言った。
「ああ、そうさ。瀕死のまま生かしている、おたくらの部下や仲間にトドメを刺さなきゃいけなくなるっていう悲しい話をしてるのさ」
握ったアドバンテージが、拳の隙間からあっという間にスルリと落ちる。




