第101話 龍虎の戦い
神歴1012年、6月10日――ヴェサーニア大陸中部、ラドン村。
午前8時53分――ラドン村、出入り口付近の洞窟。
ディルス・ロンドは、観察していた。
視線の先には、黒髪黒目の男が立っている。
見た目年齢は、七十代前半。
その割には筋肉質な体型をしているが、まあそれでも老人の域は出ない。
これが『人間』であるならば、少なくとも身体能力で自分が後れを取ることは万にひとつもありえないだろう。
が、相手はおそらく十二眷属。見た目年齢など、糞の役にも立たない情報である。
ディルスは、言った。
「あんた、名前は?」
「ベルグ。ベルグ・リアルだ」
「そうか、ベルグ。じゃあ、もうひとつ質問だ。その姿は、俺たち人間を油断させるために活用してるのか?」
「そんなつもりはない。この世界に誕生したその瞬間から、ワシはこの外見だ」
「一人称がもう、でもジジイっぽいんだよなぁ。見た目に釣られるように、中身もジジイになってったのか? だとしたら、ひでぇ悲劇だよな? 同情するぜ」
「くだらんな。ワシは悲劇とも喜劇とも、なんとも思っておらん。ただ今、ここにあるのがワシ。未来永劫、それだけだ」
「ああそうかい、なんだかよく分からんが哲学ってヤツだな。よく分からんが」
本当によく分からない。
ディルスは若干、眠たくなった。
と、その眠気を見透かしたかのように、男――ベルグが目覚ましを鳴らす。
「ヌシの獲物は、大刀式のようだな」
(ヌシ!? いやもう、完全にジジィじゃねぇか。ジジィキャラじゃねぇか。眠気が完全に吹っ飛んだわ)
吹っ飛んだ。
ディルスは肩を回して言った。
「そういうあんたの獲物も、大刀式みたいだな。同タイプの奴と戦うのは久しぶりだぜ。なんでか知らんが腕が鳴る」
「そうか、ワシは何も感じぬがな。相手が誰であろうと、どんな獲物を使おうと、ワシはただ、この『ジェイソン』をいつものように振るうだけだ。いつものように振るい、そうしてワシの前にはいつものように屍が転がる」
「あんたのかい? って、月並みな返しはしないでおくぜ。俺は不言実行の渋い男を目指してるんでな。セーナ辺りにイジられるような、チャラい男はそろそろ卒業だ」
言って、ディルスは『獲物』を抜いた。
この世に七本しかない、Sランクダブル――『ドン・キホーテ』。
ディルス・ロンドの、悪魔の刃が牙が剥く。
◇ ◆ ◇
同日、午前8時58分――ラドン村、出入り口付近の洞窟。
「二分近くもかかっちまった。けっこう強かったな。悪くない相手だった」
仕留めるまでに一分以上、時間を要したのは久しぶりだ。
左右真っ二つに切り裂かれた、老十二眷属の屍を見下ろしながら、ディルスは感慨深げに言った。
強者。
自分が今まで戦った相手の中でも、おそらくは三指に入る強者である。
ディルスは両手を合わせて、短く黙とうした。
強者へのリスペクトは、決して忘れてはならない。
「――と、このあとはどうすっかな。ナギ様のもとに向かうか……でも、二人の戦いにちゃち入れるのはスマートじゃねえよな……」
ナギとナミ。
二人はこの世界において特別な存在だ。
その特別な二人による、特別な戦闘。
『普通』の自分が、果たして立ち入ってよい『領域』なのか。
判断の難しいところであった。
「とりあえず、セーナ辺りと合流すっか。あいつ、フィジカルが貧弱だからな。紙装甲すぎて、危なっかし――」
ピュッ。
それは、本当に『突然』の出来事だった。
音なく、声なく、気配なく――。
否、気配だけは微妙にあったか。
殺気という強烈な気配だけは。
それゆえに、ディルスは『首の皮一枚』で凌ぎきることができたのである。
「ほぅ、今の攻撃をかわすか。さすがにやるな、ディルス・ロンド。とも、ちょっと殺気を出しすぎちまったか?」
「…………」
男。
男である。
フード付き黒マントを頭からかぶった、奇怪な男。
その男が、視線の先に立っている。
さっきまで誰もいなかった、何もなかったその場所に――文字通り、幽霊のように突然、男の姿が現れたのである。
摩訶不思議以外の何物でもなかった。
「何者だ?って顔してるな。まあ、そいつは正しい反応だ。が、おたくにはそんな顔はしてほしくなかったな。強者感が薄れちまうぜ?」
フードの男が、そう言って笑う。
ディルスは、チャラく応じた。
「なに? 俺ってそんな強キャラ感ある? ああまあ、自分でも軽く自覚はしてるんだけどよ。改めて言われると、ワリィ気分はしねぇなぁ。ひょっとして、リスペクトしてくれてるのか?」
「ああ、してるね。素直にしてるさ。こう見えて、オレは素直なんだ。正直者と言い換えてもいい。子供のころ、お袋には事あるごとにそう褒められたもんさ」
「正直者? なら、正直に答えてくれよ。単刀直入に訊くからよぉ。どうやって俺の背後に現れた?」
ディルスは、どストレートに訊いた。
返ってきた答えも、どストレードだった。
「どうやって? ん、ああ単純に亜空間を移動してきただけだが。瞬間移動って言い換えてもいい。次元旅行って魔法と、まあ同じ原理だな」
「魔法を使ったふうには見えなかったが? そもそも、あんたはダブルを持っちゃいねえ。持っているのは、ただの剣だ」
柄の部分にジュエルがない。
文字通りの、ただの剣である。
と、受けた男はだが、心外だと言わんばかりに自身の剣をシュッと一振りして、
「コイツを『ただの剣』呼ばわりはヒデェなぁ。オレ専用の名刀だぜ? まあでも、ダブルじゃないってのはおたくの言うとおり。事実さ。だからオレが使った力は魔法じゃない」
「魔法じゃない?」
「ああ、そうさ。特殊能力でも、超能力でも、ま、なんでも好きに呼んでくれ」
特殊能力?
超能力?
この男はいったい、何を言っている?
「けど、この空間移動の能力にも不便なところはあってね。この世界の端から端まで一瞬で移動できるってのは便利なんだが、移動した距離に比例して肉体に相応の負荷がかかっちまう。前にミレーニア大陸からギルティス大陸まで長距離瞬間移動したときは、丸一日、疲れでほとんど身体を動かせなかった。ま、半径数十メートル程度の距離なら、まったく疲弊せずに移動できるがね。何十回と連続で使わないかぎりは」
「…………」
「ちなみに、この瞬間移動は俺以外の生き物にも使える。俺を含めて同時に最大二人までだがな。二人で移動したら、無論負荷も倍だ。あ、おたくだけをギルティス大陸まで飛ばすこともできるぜ。帰りたいんだったら、言ってくれ。もっとも、オレたちのときと同じように、一日中、動けなくなる覚悟はしといてもらわにゃならんがね」
「…………」
「ちなみに――ああ、ちなみにって二回目だな。気をつけてないと、何度も同じ言い回しをしちまう癖があってね。聞き苦しいかもしれんが、我慢してくれ。んで、話に戻るが――ちなみにオレは、他人にオレと同じような『特殊能力』を授けることができるという『特殊能力』も授かってる。何人かにはもう与えたよ。サラとノエルと、あと誰だったかな……ああ、もう死んだ奴だからどうでもいいか」
「…………」
無言のまま、ただ聞くだけ。
男の話を、ディルスは『その段』になるまで、ただ無言のままに聞いていた。
だが。
「……それはどんな能力でも、か?」
そこで、数十秒ぶりに口を挟む。
挟んでおかねばならない場面だと、彼の頭はそう判断した。
男が、答える。
「ああ、どんな能力でも、だ。触れただけで相手を殺すことができる能力だっておそらくは可能だぜ。が、よく考えてみてくれ。おたくだったら、そんなトンデモ能力を誰かに与えるか? 部下にだって与えられないよな? オレのこの『瞬間移動』より優れた能力は絶対に与えられない。だから上限はおのずと決まっちまうのさ。神を超えられたら、そいつはもはや神じゃない」
「…………」
ああ、ダメだ。
経験と本能で分かる。
この男は生かしておけない。生かしておいたら危険だ。何がなんでも、この場で仕留めなければならない。
ディルスは、言った。
「とりあえず、礼は言っとくぜ。訊いたこと、訊いてないこと含め、いろいろと話してくれてありがとよ」
「ああ、ちょっと喋りすぎちまったかな。オレって素直な性格だからさ、乗せられちまうと訊かれてないことまで喋っちまうんだ。悪い癖かな?」
「ああ、最悪の癖だと思うぜ? 乗せたつもりは毛頭ねぇがな。喋りすぎちまったと後悔してんのかい?」
「いや、それほど。特に問題ないと思ったから喋ったんだ。問題があるのは、むしろおたくのほうじゃないのか? いつだって、喋りすぎた奴より聞きすぎちまった奴のほうが悲惨な末路を辿る。こいつは真理だよ。三千世界の理だ」
――――ッ。
気配が、変わる。
言葉の終わりに、男の気配がガラリと変わる。
「……いいねぇ。このひりつく感覚。久しく忘れてたぜ。死闘の匂いだ」
言って。
ディルスも、両の瞳に『鬼』を浮かべた。
龍虎の戦い。
どちらが龍で、どちらが虎か。
無論、勝つのは『龍』である。