第二十五章 その一
あゆみ達三人は法清寺の境内から守り人達が待つ観音堂へと戻った。
守り人達は全てわかっていたかのように、観音像の前にある座布団を整え、ロウソクに火を灯し、あゆみが来るのを待っていた。
正面の観音像は、美しい姿の千手観音立像である。
あゆみは、観音像の正面に座ると、観音像を見つめ静かに息を一つ吐いた。
「観音様。お久しぶりでございます。一三〇〇年の時を超えて、また結界を張らせていただく時が来ました」
あゆみがそう言うと、それまで静かだったロウソクの炎がポッポポッポと音を立てて上下に揺れ始めた。
それを見た大ババ様が、
「ああ…、ありがたや。観音様がお出ましになられておる」
と言い、手を合わせ頭を床にこすりつけるように拝むのであった。
側にいた守り人の者達もまた、手を合わせ深々と頭を下げた。
あゆみは、はじめは静かにお経を唱え始めたが、太鼓の音がだんだんと大きくなるにつれ、声も高らかとなっていった。ロウソクが揺れ、鐘の根が響き、線香の煙がもくもくと登り立つ。
明らかに、あゆみは無となり違う空間に入っていた。この地に結界を張るために、観音像の光を呼び覚まし、天の光と一つとなろうとしていた。
「ああ……。なんということ! 観音様が生き返られた」
再び、大ババ様の恐れおののく声が絞りだすように聞こえた。
「佐須の観音様のこのようなお姿は、これまで一度も見たことがない…。ああ……なんという光。なんという尊さ……」
その場にいる者全てが、口々にお経を唱え、涙を流し、床に額を押し当てて観音像を拝んだ。
一方、お経を続けるあゆみは、目の前に立つ千手観音像の中へ入り込んだ感覚を覚え、真っ暗な中に必死に光を見出そうとしていた。そうするうちに、だんだんと目の前が明るくなり始めた。須弥壇の千手観音像がまぶしいほどに輝き始め、格子の外に浮き出てきた。
「あゆみ……」
どこからとなく不思議な声が聞こえる。
「え、観音様?」
そう口にした時、目の前の観音様が違う姿へと変わっていった。
「あゆみ、苦しい戦いになるぞ。しかし、必ず光は勝つ。対馬を、いやこの世を闇から守りなさい」
「て、天仁法師様?」
目の前のお方はゆっくりと頷かれ、あゆみに幾つかの言葉を残した。あゆみは頷きながらその声に応えるが、目からはとめどなく涙が溢れ続けた。そんなあゆみを光が抱くように包み、そして、少しずつ光は消え去った。気づくと千手観音像が目の前の須弥壇の格子の中へと収まっている姿が見えた。
その間も、あゆみの力強いお経は絶え間なく続いた。あゆみの声は少しずつ小さくなり、最後は、観音堂の中は静けさに包まれた。
「ふー」
あゆみは意識が戻った様子で、また静かに長い息を一つ吐いた。
そして、手を合わせると小さな声で何かを呟いている。
信國と安國、守り人達は皆、息を凝らして、あゆみの様子を見守っていた。
あゆみは合わせていた手を床に着け深々とお辞儀をし終わると、後ろに体を向き直した。
「皆さん、有難う。おかげで結界を張ることができました」
あゆみは、少し疲れた顔でにこりと微笑み、みんなの顔を見回した。
「あゆみ様、お疲れでございました。素晴らしいお経でございました。生きている間にこのような尊い場に立ち会わせていただくとは、何という有難き幸せ。また、途中、観音様がまるで生きておられるかのようなお姿で、光輝き現れになられました。あのようなお姿はこれまで一度も……」
「大ババ様。その光の中で私は天仁法師様に会い、お言葉をいただきました。きっと観音様が導いてくださったんですね」
「えっ! 天仁法師様と。それは、どのようなお言葉でございましたか?」
「それが、結界を張ろうとこの地を見渡した時に、先の方に黒いガスが渦巻くのが見えました。必死でお経を唱え観音様や天の日神の神々にも光の召喚を願いました。しばらくすると、天仁法師様がぼんやりと光の中に現れ、黒いガスの渦は、悪の大魔王が床谷の観音山に陣を張った現れだということ。そして、これから苦しい戦いになることも告げられました。
しかし、観音様は生きておられるぞ。天の神々もあゆみを守って下さるぞ、と励まして下さいました……」
あゆみは、決意をのぞかせながらも、不安を隠せない様子だった。
「あゆみ様! 一人ではございませぬ。我々がついております」
安國があゆみの不安を吹き飛ばすように大きな声で励ました。
「うん」
涙ぐみながらも、あゆみは嬉しそうに返事をした。
「あゆみ様、私共、守り人は、命に替えてもこの観音堂を守り抜きます」
「守り人の皆さんも有難う」
「では、あゆみ様。参りましょう」
いつにも増して、力強い信國の声。
あゆみは目を閉じて、光の中で見た光仁法師の姿を思い出していた。
〝光仁法師様。あゆみに力を与えて下さい。大切な対馬を、闇の魔王達から守る光の力を〟
目を開けた時、あゆみの髪はふわりと浮き、目はうっすらと赤みをおびていた。




