第二十三章 そのニ
「あの方は、この雷命神社の神官の橘様でございます。先代のお父上には大変お世話になりました。ご子息も立派になられた……。
橘家は、雷命神社のご祭神である雷大臣命の末裔と云い伝えられており、オヒデリ様の神事もすべて橘様が執り行われるのです」
「そうなの! それは心強い。では、ここは神官に任せて、私たちはオヒデリ様へ急ごう。もうここは大丈夫! 黒い霧はどこかへ退散したから。それより、オヒデリ様へ行ったガンゴウのことが心配」
信國を見て、あゆみがそう言った。信國は大きく頷くと、安國の方を向き声をかけた。
「安國、そなたは一人で母の元に行けるか? 皆の様子が心配だ」
「はっ! 承知しました。安國、母上の所へ行って参ります」
歯切れの良い返事をし軽く頷くと、安國は森の中に入り、あっという間に姿が見えなくなった。
「では、信國。私達も参りましょう! オヒデリ様へ案内して」
「はっ!」
あゆみは信國のあとについて、側を流れる川の上流へと向かった。しばらく行くと川沿いの道は無くなり、右手に小さな橋があった。道は迂回するように森の方へと続いている。
「あゆみ様、右手の道は遠回りになります。ここから川に水はありませんので、川に下りて進みましょう。オヒデリ様の神事の時も皆、この川を裸足で歩いて参ります。」
行き止まりの道から川に下りると、川底は小石を敷いた道のようになっている。
二人は川底の小石を踏みながら走り始めた。
「あゆみ様、ここからすぐです」
少し行くと川幅が狭くなった。そこを過ぎると先の方から大声で騒ぐ人の声が聞こえ始めた。石がぶつかる音や、カーンと木をなぎ倒すような音もする。あゆみの胸騒ぎは更に高まった。
「あゆみ様! 間もなくオヒデリ様のところに到着し…」
信國がそう言い終わらないうちにオヒデリ様の祠へ到着したあゆみと信國は、目の前の光景に一瞬、動きが止まり言葉を失いかけた。
ガンゴウと阿連の人々がオヒデリ様の祠を倒し、川底の石を投げつけている。また鹿避けの柵を倒し、川岸にある神聖な空間に入り草花をなぎ倒し、斧を振るい大きな木を切り倒そうとしていた。ガンゴウも村人も黒の魔王に憑依され、全員、黒目にされている。気味の悪い笑いを浮かべ、そこら中のものを投げ飛ばし、めちゃくちゃにしていた。
「なんと言うことを……」
信國が握り拳をふるわせた。
「信國。ガンゴウや村の人がやっているのではありません。黒目に憑依され、判らないままに、やらされてるのよ」
「はい、あゆみ様。わかってはおりますが……」
「信國、オヒデリ様の祠を元に戻そう! 私が日神の神々に光を分けて貰えるよう祈るから。だけど、みんな憑依されて乱暴になってるから気をつけて!」
そう言う側から、村人の一人が襲いかかろうとした。
「ごめん」
信國はそう言うと、みぞおちの辺りを拳で殴ると、その場に倒れた。
あゆみと信國は黒目になった村人からの襲撃をよけながら、祠をもちあげ川岸の元の場所へ置いた。
「あゆみ様、以前はここにご神木の大きな楠があったのです」
信國がそう言った時、後ろから村人が石で殴りかかろうとした。
「信國、あぶない!」
あゆみは持っていた剣で村人をはじくと、その拍子に鞘の石が押された。急に空が暗くなりゴロゴロと雷鳴が轟き始めた。同時に、稲妻が空に幾筋もの光を走らせた。
「オヒデリ様が怒っていらっしゃる」
あゆみは空を見てつぶやいた。
そして、祠に向かい何か呪文を唱え始めた。村人はそれを見て、「ガンゴウ様、ガンゴウ様」と口々にガンゴウの名を呼び、周りに集まってくる。
「邪魔するな!」
ガンゴウはあゆみを蹴とばした。村人があゆみを囲み襲おうとした時、川下からけたたましい叫び声が聞こえてきた。
「ガンゴー! ガンゴー! やめろー。ガンゴー」
なんと、モッコが大声で叫びながら水のない川を走って来たのだ。
ガンゴウはモッコの声には気も留めず、あゆみ達が元の場所に戻したオヒデリ様の祠を再び倒そうと手をかけた。
その時、空から稲妻の様な幾筋もの光がものすごいスピードで降ってきた。そして、一筋の光がガンゴウに降り注いだ。
「ぎゃあー」
ガンゴウは大声をあげ、その場に倒れた。同時にあゆみに殴りかかろうとした村人たち全てに、光の矢が降り注ぎ、皆がその場に倒れ伏した。
「ガンゴ―!」
モッコはガンゴウの側に行き体を抱きかかえた。
「ガンゴ―! 死ぬなー! ガンゴ―! おまえが死んだら、俺は本当に一人ぽっちになっちまうじゃねぇか」
ガンゴウは少し目を開けると、嬉しそうな表情をした。
「モッコ……。聞いてくれ。初めてだよ。初めて人間がガンゴウ様、ガンゴウ様と……、初めて俺らを必要としてくれた……。俺ら、嬉しくって……」
息は絶え絶えに苦しそうだが、顔は笑っている。
「ガンゴウ……」
モッコは泣くのを必死で我慢したが、うううと唸るような声が漏れた。両目からは涙があふれ出て止めることができない。
「そうか、ガンゴウ。よかったな、よかったな……」
モッコはそう言うのが精一杯だった。それ以上、言葉にならない。
ガンゴウは嬉しそうにニコリと笑うと、そのまま二度と目を覚まさなかった。
「ガンゴー! ガンゴー!」
モッコの声は深い森の中で響きわたるのだった。




