第十七章 その三
あゆみは竹林の中で、たくさんの視線を感じていた。戸惑いながらも竹を見上げると……。
「うわっ! 竹の眼が増えてる!」
最初に竹林に入って来た時、あゆみは確かに竹に生き物の気配を感じていた。竹の表面に吊り上がった眼のようなものがあるのも、うっすらと見えてはいた。
しかし、今は違う。はっきりとあゆみを見つめる眼たちが見えているのだ。竹林の中にはたくさんの竹が植わっているのだが、その三分の一ぐらいの割合で竹に眼がついていて、その眼たちがあゆみを見ているのだ。
細く吊り上がった眼。怒りに満ちた赤く大きな眼。悲しみが詰まったつぶらな瞳。片方は嬉しさに輝く瞳なのに片方は悲しみに涙を流している眼。
「すっげーな! ここは何だ。なんで、こんな化け物みたいな生き物がうようよしてるんだ」
安國が辺りを見渡しながら驚いたように言った。竹の眼に気を取られていたあゆみは足元を見て、のけぞりそうになった。
鹿の頭が付いた二本足の生き物や、細長い顔ののっぺらぼうには小さな体に長い手足がついている。
長~い耳がピンと立ったウサギのような猫のような生き物だったり、まあるい玉に短い手足がついて、大きな目は胸にある生き物などなど。
どれもこれも見たこともない生き物ばかりだった。そして、どの生き物も伏し目がちで、おどおどとしているのだ。
「やまわろう、どうしてここの魔魅たちはこんなに怯えてるの」
「そりゃあ、仕方ないさ! もともと黒の魔王の手下だったり、やつらに憑依された魔魅たちだからな」
「やまわろう、それってどういうこと?」
竹林の中を見渡しながら、大きく目を見開いてあゆみはつぶやいた。
「さっき話した通り、悪の大魔王が朽木を攻め落とそうと暴れた時に、大魔王の手下たちが数多く放たれたのさ。そして朽木から曽へと観音像が移された時に一部の手下たちは後を追うように曽へとやってきたんだ。
しかし、曽の観音様を奴らの手に渡しちゃなんねえと、近くの寺の僧侶や祈祷者や修験者たちが力を合わせ、悪の大魔王を退けたんだ。あの時の闘いはそれは凄まじかった! おいら達だって手伝ったんだから! 人間は気が付いてないけどね。へへへ」
やまわろうは思い出すように小さく笑った。
「それで?」
先が聞きたいあゆみは、そんなやまわろうを急かすように軽く眉をひそめた
「そん時に、曽に取り残された大魔王の手下たちの中には、悪の大魔王に仕えるのが嫌になる奴もいてさ、住み心地のいい対馬に棲みついて、いつしか自然の化身の魔魅たちと同じようになっていったんだよ。
中には大魔王に憑依された対馬の魔魅たちが、闇の魔魅となった者もいる。
長い長い時が過ぎていくうちに闇の魔魅たちは、ここに定着して彼らだけの世界を作っていったんだ。けど闇の心が癒されないまま、どこかもの悲しさや後ろめたさを消し去ることができずにいた。
しかも黒の魔王に見つかったら殺されてしまうからね。その恐怖にも怯えていた。
だから、観音堂の側にあるこの森の中だけでひっそりと生きてきたのさ。
その頃「ヒューイ、ヒューイ」と悲し気になく闇の魔魅たちの声は、それは恨めしさが詰まった不気味な声だったよ。だけど、おいらだけじゃなくってさ、心優しい対馬の魔魅たちは、ほおっておけず、時おり闇の魔魅たちを慰めにきたのさ。
竹林の中で一緒に遊んだり、川で取れた魚や山で採れた木の実などをもってきて食べさせたりしたのさ」
「そういう事があったの……。みんな可愛そう。長い間、苦しかったね」
あゆみはそういうと胸の前で手を合わせ、お経を唱え始めた。
呪黒哀愛縛空天即自放即自縛……
長い長いお経を唱えながら、あゆみは涙を流し続けた。とめどなく流れ続ける涙は光のしずくとなり、竹林やその奥の森に光がちりばめられた。
あゆみはお経を唱えるのをやめると、剣を抜き空にかざした。そしてゆっくりと舞うように剣を振り回し、剣から発せられる白い光を竹林や奥の森の中にふりまいた。
森が光で満ち溢れた時、最後にあゆみは剣を地面に突き刺した。剣が刺された地面からは光が湧きおこり、その光は竹林や森の中に四方八方に凄いスピードで放たれた。森中を駆け巡った光の矢はすーっと消え去り、代わりに森の中には光のしずくが空間を舞った。
あゆみは、剣を持ったまま凛とした姿で立ち、顔を正面に向け闇の魔魅たちに向かって叫んだ。
「闇の魔魅たちよ。もう、その苦しみから解き放たれよ。
これからは対馬の魔魅たちと共に、自然の化身として自由に幸せに暮らしなさい」
あゆみの言葉と共に、森に散りばめられていた光のしずくは、闇の魔魅たちに降りかかり魔魅たちに輝きをもたらした。
「キキキッ」「フフフフフ」「ヒャヒャヒャヒャ」……
いろいろな声をあげて、嬉しそうに飛び回る魔魅たち。しばらくは竹林や森の中を駆けまわっていたが、少しずつ森から出ていく魔魅が現れ、最後はとうとう全員の魔魅が800年も縛られていた森から出て行った。
あゆみは魔魅たちが解き放たれたのを見ながら、竹林の竹の眼達を見た。
悲しみに満ちていた眼は喜びに変わり、怒りで真っ赤になっていた恐ろしい眼は優しく澄んだ眼に変わっていた。
嬉しそうに笑う眼、喜びに涙する眼。竹林の中にはさわやかな優しい風が吹いた。
「ありがとう。ずっと長い間、この森を守って来てくれたんだね……」
あゆみは胸の前で手を合わせ、しばらく眼を閉じた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
「あゆみ様、あゆみ様」
気が付くと、やまわろうの他にも、さんきやいたずら天狗、ひとこえおらび、神田川のかおーら神崎のりょうげまでもが、あゆみの回りに集まっていた。
「みんな、どうしたの?」
あゆみは眼を丸くして魔魅たちに尋ねた。
「どうしたのって! 闇の魔魅たちが、この森から出てきたんで、おいら達びっくりしたんだよ」
「あゆみ様、すっごい力だ」
「闇の魔魅たちが幸せそうな顔してた!」
魔魅たちは口々にあゆみを讃え、あゆみは、うんうんと嬉しそうにうなづくのだった。
「あゆみさま……」
魔魅たちと手をとって喜びあっていたあゆみの耳に、か細く優しい声が聞こえた。
あゆみは声のする方を見た。
「あなたは……!?」
あゆみは驚きの表情で声の主を見つめた。




