第九章 その六
「あらあら、お可哀そうに…。よほどお疲れだったんでしょう。
おとうさん、早く布団に連れていってあげてください」
奥の部屋から、八重が小走りで戻ってくるなり、そう言って親史の顔を見た。
うんうんとうなづくと、親史はあゆみを軽々と抱きかかえ、綺麗に整えられた布団に上に優しく寝かせた。
「あゆみ様。どうぞゆっくり休んでください」
小声でそうつぶやくと、八重に合図をおくるようにうなづくと部屋を去った。
翌朝は早かった。
「あゆみ様、あゆみ様…」
誰かが体をゆする。
はっとして、あゆみはとっさにあたりを見回した。
「ここは…どこ」
「あゆみ様、夕べは良く眠れました?」
ぼんやりと人の顔が見える。
(なぜ……、こんなに光がまぶしいの?)
「あゆみ様、疲れはとれましたか?」
「かあさま……?」
光がだんだんと遠のくと共に、八重の笑顔があゆみの目に飛び込んできた。
「八重さん! また、かあさまと間違えてしまいました」
あゆみは少し寂しそうに肩を落とした。
「八重さんは、佐護で生まれたの?」
「はい。私は佐護で生まれ、ずっとここで暮らしています」
「八重さんは…」
あゆみがそう言いかけた時、とんとんと扉を叩く音がした。
「はい! なにかありましたか?」
八重が襖の向こうに声をかけた。
「信國様がお見えだ。あゆみ様に準備をされるように……」
「はい、わかりました」
「信國がきたのね! さすが、早いなぁ。急いで着替えなきゃ!」
あゆみは急いで布団から飛び起きると、側にあった装束に着替え始めた。
八重があゆみの着替えを手伝ってくれた。
あゆみの肩に衣を羽織らせながら八重がそっと耳元でささやいた。
「あゆみさま。私がこれから言うことに何も答えず、聞くだけにしてください。
これから行かれる六観音の地、すべてに日輪の守り人がおります。皆な、古の時に天仁法師様の命を受けた者達です。私たちの役目は、日輪の母より産まれ出でた天仁法師様の子孫をお守りすること。今はそれがあゆみ様なのです」
はっとした顔で八重を見つめ直すあゆみ。
「あなたは……」
あゆみが消え入りそうな声でつぶやいた時にまた扉を叩く音がした。
「あゆみ様、お着替えは終わりましたか?」
「はい! もう間もなく」
八重はそう言うと、あゆみに笑いかけ小さくうなづき襖の戸を押し開けた。
そこには、ひとこえおらびと見間違えそうな親史が立っている。
ぷっ……。
あゆみは不用意にまたも噴き出してしまった。
「あゆみ様、ひとこえおらびではございませぬよ。あははは……」
親史が豪快に笑った。
しかし、すぐに声をひそめると、あゆみに向かって言った。
「あゆみ様、この先の森で信國様たちが待っておられます。龍太郎も一緒のようでございます。そこまで私がご案内致します」
「わかったわ!」
そういうと、あゆみは八重の方を振り返り、
「八重さん、お世話になりました。ありがとう。八重さんに会えて良かった」
そう言うと、にこりと微笑んだ。
八重も大きくうなづくと、涙ぐむ目を指先で押さえた。
「いってらっしゃい。ご無事で……」
八重がそう言い終わらないうちに、親史はあゆみを連れ玄関を出ていくのであった。




