9.百鬼夜行
「っっっぎゃーーーーーーーっっっっ!!!!」
深夜。悲鳴の響く平安京の大路である。
悲鳴の主が倒けつ転びつ逃げ出した相手は、男女合わせた数名の一団。
「……おかしな恰好は していない はずだが」
「汝兄は 今宵も素敵ですよ。 少し 見鬼の才ある人だったのでしょう」
そう言って女性が夜空を見上げる。
見鬼の才があるのであれば、そこには三つ目、一つ目、大入道、獣混じりの化生のものに、空飛ぶ髑髏に、火の玉の群れ。
百鬼夜行である。
月雲は原初の信仰によって、理を外れるほどの呪の力を、今も保つ一族である。
体を呪の力で作っている結果か、理を外れた外見の者が大勢いる。
彼らの行き先は、とある空き屋敷であった。
出迎えたのは清明である。
「人払いの為に忌夜行日の触れを出しておいたんだがね」
忌夜行日とは、陰陽術によって明らかにされた、百鬼夜行に行き遭う可能性のある日のことである。その日は家に籠って物忌みを行うのが通例であった。現代で言う所の災害警報である。
「清明が対応するゆえ、手出し無用とも伝えておいたんだが、途中で人に絡まれたりしなかったかい?」
「お気遣い 痛み入る。 来たがった弟妹の中には まだ弱い子も多いから 助かった」
清明は早速、月雲の兄達と顔を合わせていた。
月雲の兄姉は複数いるが、主に話しているのは長と思われる男である。それに準じる力を持つ者が七名、主だった者はこの八人の様である。
呼び名は兄姉弟妹だけだが、話していると、不思議と誰の事だか浮かんでくる。
「本当なら こちらで手土産 持参すべきところだが……我らの差し出す物は 食べづらかろう 申し訳ない 深く 無礼を お詫び申し上げる」
彼らの役目は、亡者に黄泉の飯を振る舞い、黄泉の入り口に案内する事である。
長く重ねてきた、それなりの強い呪が掛かっている行為なだけに、下手に触ると何が起こるか未知数で危険である。
まずは一献、と、用意された酒と肴をつまむ様子は、見た目は完全に若人である。
なるほど変若水信仰の出処はここかと妙に納得する清明は、ちらりと庭を見た。
それを見てか、長は続ける。
「共に飲み食いする者が 同じ姿をとっている方が 亡者も気が楽だろうから。
弟も そろそろ お役目を 果たせるようになってきた」
この弟は月雲の事である。
どうやら月雲一族は、長生きすると人の姿をとりやすいらしい。
では庭で戯れているのはというと、火の玉、髑髏に生首に、招くような手の群れに大入道。這いつくばっている脚の生えた鯰、髪の生えた蛇の様な姿も居る。
髑髏に生首、手招きする手。何故あのような姿かといえば、人を形作るのは難しいのであれこれ試している最中との答えだ。
大入道。小枝を手の平の上で立たすのは難しくても、棒なら手の動きで支えられる、倒れにくいという理屈だという。要は未熟な年少の者なのだが、ずんぐり大きな体のせいか、人に脅威と思われる事が多いらしい。
異形の鯰や蛇もどき。赤子は這うものでしょう。と、月雲の姉がコロコロ笑う。冗談なわけではない様だ。
しばらくの歓談の後、清明は長に切り出した。
「君の弟から聞いていると思うが、巷に流行る人喰い鬼、土蜘蛛の噂、君たちは何か心当たりはあるかい?」
「無い…… いや……」
否定してから思い当たることがあったのか、少し長の男が止まる。周囲の一族も何事かと長を見た。
「……近年は 野盗が 跳梁跋扈し 夜闇に紛れて 人を襲い 見つからぬ場所に打ち捨てる事を 繰り返している。
我らが その骸を見つける事も 多い」
気の重い話題で目を伏せる動作は、少し月雲に似ている。
「我ら 月雲 呪によって成るが 人の似姿の者は 力が強い。
姿を現していない時 見鬼の才が弱い者にも 姿を見られる事がある」
「亡者とともに 飲み食いをして 心安く黄泉路についてもらうお役目だが……
傍目には…… 死体を肴に飲み食いしているように見えても 仕方なかろうよ……」
思いもかけなかったらしい。長の言葉に月雲一族も顔を見合わせている。
「……それは困ったな」
清明は考え込んだ。
鬼ではないと言ったところで冥府の使いである。死穢の忌避感は出るだろう。
「御霊会絡み……神使が、死者の手向けに来てるとでも噂を流すか……」
「鬼に間違えられるのも面倒だが お役目に 間違った呪がかかるのは もっと困る」
何せ彼らの生命線である。
「急いでしくじるのもまずい、この話は置いて。他を先に片付けよう。
君らは普段、方々に散っているものだと思うが、都に集い始めたのはいつ頃だい?」
土蜘蛛の名は古事記の頃の資料にも出てくる、平定された地方豪族と思しき集団である。それはいい。
月雲は月雲の名を堕としたものと言っていたが、影響が出ていない以上は月雲と関係あろうがなかろうが、それ自体はあまり問題ない。
しかし清明は、今、この平安の時代に、急に現れたのがどうにも嫌な感じがした。しかも噂の人喰い鬼という形である。
もしも月雲側の動きと関係があるとしたら。
しかし、越してきた時期を問われた月雲の面々は顔を見合わせるばかり。長生きすると時間の感覚が薄くなるのが困りものである。
大昔、都が移る前の話すら、ついこの間などと言っている。
見かねた清明が暦と天文と歴史の知識をもって、あれやこれや聞いたところ、おおよそここ十数年ぐらいに都に集まって来たと分かった。
以前に月雲が言っていた通り。人の多い都の亡者を相手にしようとしたのである。
膨大な人口を抱える平安の都は僧の手が足りず、溢れるようなすさまじい穢れは生きる者にも障りが出ている始末であった。
雑談を交えて話を聞く。
さりげなく道真公の話を振ったが、例の気配は出てこない。
世話になったと懐かしんでいる様子である。
気になったので聞くことにした。
「この話をしていた時に、君の弟の周りに変な気配がした。
以前にそういう事は無かったかい?」
聞かれて軽く首を傾げた長の言う事には。
「当てられたのでは なかろうか」
名前の無い、恨みつらみや怒りや妬み、生霊や呪いになる前の、時間が経てば消えていく、向かう場所の無い弱い力の塊である。
月雲は死に近い位置に居るがゆえか、死への恐れか怒りかに巻かれる、よくある事だと長は言う。
それでどうなるわけでもなく、わずかの間に消えてなくなる。
煙か蚊柱といったところである。
「ただ あの時は 酷かった。
我ら 年嵩の者ですら 当てられた。
霧散すれども 人の業 時に死穢より おぞましい。
弟は 独り立ちしたばかりだから そういうものにも弱いだろう」
長達と比べれば若輩とはいえ、月雲はそろそろ百を数える。成人までにおよそ百年。気の長い一族であった。
「古の頃は 方々で 視葬者らに呼ばれていたが いつの頃からか 頼られることがなくなった」
おそらく仏教などが浸透して、お役御免になったのだ。陰陽道などもその一つなのだが、しかしそれでわだかまりがある風でもない様だ。
寛容を越えていっそ呑気に見える。
「我らの居場所は 黄泉と現世の境のみ。
この身の力は それが為。
我らが救えないものを 仏が救う事もある。
仏が救えないものを 我らが救う事もあろう。
広く知られれば 月雲の名に 古い因縁が 乗るだろう。
これでいい これしかない」
「生者と 酒を酌み交わしたのは 久方ぶりだ 楽しかった」
帰り際、清明と長は言葉を交わす。
「それはよかった……
……もしも巷の噂が月雲を狙ったものなら……油断するな。人は怖いぞ」
「人の怖さは知っている 首と手足を切り離され 別々に埋め封じられた者 片手の指で数えたりぬ。
だが 肝に銘じておく」
そして清明の隣の月雲を見た。
「弟ともども 世話をかける」
「こちらにも益がある事だ。気にするな」
大人しくしていた月雲が、立ち去る兄の背中に声をかけた。
「汝兄」
振り返った長に言葉を続ける。
「清明に 名をもらった 月雲という」
兄はそっと目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「良い名だ」
一言返し、長たちは揃って帰路を歩み始めた。