26.其は平安の終わりの頃
「狐狸でも鬼でも天狗でも。
名乗る名前を変えればいい。
ただし、名乗った名前に引きずられて、月雲とは違う呪が混じるだろう」
月雲一族は動揺した。
月雲の名を捨てる。
「……それで お役目は 果たせるのか?」
「出来るはずだ。すぐに何かが変わるわけでもない。
だが、時が経てば分からない。月雲には呪が効きすぎる」
だから別の名を名乗るうち、いつしか月雲の名を忘れ、別の理外のものになる。
冥府の神の子孫を名乗る、月雲一族。
呪の力で理を外れ、冥府の使者を務めている。
理を外れるがゆえに不思議な力を持っている、だが、理を外れるがゆえに呪に強く縛られていた。
「清明 名を変えるには どうすればいい?」
月雲が口を開いた。
他の兄弟も動揺を抑えて聞いている。
「ただ名乗ればいいが、多くの人間が認めた方が馴染みが速い」
清明は、言って兄弟子、保憲を見る。
人間に広く認識された方が定着が速いのである。
姉が土蜘蛛に憑りつかれたのは、これを悪用したものと言える。
「呪に呑まれないように……そうだな……月そのままは危いから……」
清明が何か図案を描く。
「兄上のように、信頼できる相手に、このしるしを託す」
保憲が軽く頭を下げた。
五芒星、清明桔梗の紋に似た、少し込み入った図形であった。
「その人らには、お前たちの、正確な話を伝えておく。
困った時には頼るといい。力になってくれるはずだ」
月雲はしるしをじっと見て、そして小さく呟いた。
「……恩に着る……」
そして続ける。
「じゃあ 清明 俺の名前は 月雲がいい」
周囲の兄弟達が一瞬、制止するように手をやった。
もしも月雲の名を捨てたら、何が起こるか分からない。
「……月雲……気持ちは分かるが、月雲の痕跡を残すことはできない。
痕跡無く、歴史を紐解いても、陰陽師の周りに突然現れた事になる。
差し詰め後の時代には、式神かその辺の妖か、そう思われて、呪が乗るだろう」
「兄が 良い名だと言ってくれた みなが 最期に呼んでくれた だから つくもがいい」
「……そうか……字に痕跡を残せないから……どうするか……」
悩む清明を保憲が助けた。
「次ぐ百で九十九はどうでしょうね」
保憲がそう言うという事は、恐らく現在の月雲の実年齢である。
「なるほど、じゃあ月雲、お前は九十九神と名乗るといい。
人に由来を聞かれたら、百に近いとでも言っておけ」
清明達が認めても、月雲に変化は見られない。
兄弟達に少し安堵する空気が広がった。
これで全ての話は終わった。
彼らが今後どうするか、何を名乗るも名乗らぬも、自由。
「今言っても慰めにもならんが」
清明が視線を向けると、保憲が口を開いた。
「人を呪わば穴二つ。これだけの呪詛を成功させて、何も起こらないはずがない」
清明が頷いて続けた。
「寺社に何かが起こるだろう。案外、呪詛もそれで消えるかもしれん」
平安時代。寺社は荘園を所有し、それを守るために武力を持った。
そして権威と武力を背景に、権力者に強訴を成功させるようになる。
権力に抗する力を手に入れて、それからおよそ六百年、戦い続ける事になる。
戦国武将と敵対し、皆殺しにされた例は一つや二つでは、ない。
夜。猿も通らぬ険しい崖の下。
長く急流に洗われた、白い骨が沈んでいる。
その崖の上に人影二人。
一人は女で一人は男。
不思議な霧が満ちていた。
「美人の隣で月見酒なんざ、地獄に仏とはこのことだねこりゃ」
男はもう何杯目かの糟湯酒を飲み干した。
「はぁ~、体も温まった。あんたの言う所に行ってみるよ。
ほんと助かった。ありがとな」
「外国も 綿津海の底も 月より遠い空の上も。
この身の力は それがため。
お役目果たすに 否も諾もない」
「何だか真面目だなぁ。あんた名前は?」
「名も無い女天狗だ 忘れていい」
「そっかぁ、でもあんがとな、別嬪の女天狗様よぅ」
男が去り、霧が晴れると、女は空の月を見上げた。
「久方ぶりに 弟 月雲に 会いに行こうか」
女は一人そう呟くと、黒い羽を広げ飛び立った。
是は平安の月雲抄
彼ら月雲が
天に上ったか
地に潜ったか
こたえは夜半の月のみぞ知る
其は平安の月雲抄
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完




