19.櫃 一の段
まずは根競べとなった。
月雲は部屋の前で、武士が所用で出てくるのを、辛抱強く待っていた。
人の身である以上、ずっと物置に座っているわけにもいかないはずである。
ややあって。思ったとおりに武士が出てきた。
入れ替わりに物置の奥に進む。
本命は一番奥の一番下。武士の左手の棚の櫃である。
言葉にするのは難しいが、強い気配と確信があった。
櫃を引き出す間も惜しんで中身を探る。
「っ……」
そして蓋を半開きにして固まった。
櫃の中身は籠手と脛当て。
他ならぬ、先日、武士が月雲の兄を討ったその時に、身に着けていたものである。
月雲はそうした気配に特に敏かった。
月雲は冥府の使者であり、死は身近ではある。
しかし人が死体におののくように、圧倒的に強い者が屠られた気配は本能的な恐怖を呼び起こした。
強い血の臭いを嗅いだような、思わぬ衝撃を食らって、月雲はえずいた。
怯えがまともな動きを損なう。
戻ってくる足音を聞いて、部屋を飛び出すのが精一杯。
一日目の夜のことである。
「汝姉 もう無理だ 兄と姉の 血の 気配が」
「汝弟は向こうを探すといい 姉の腕 どこに隠されているかは分からん 方々探すのは 無駄にはならない」
物置部屋の前で音を上げたのは月雲の弟である。
返事を返したのは、腕を切られたのとは別の姉である。
どうにか冷静さを取り戻した兄弟達が、姉の腕を取り返すために月雲に協力し始めたのである。
彼らの見つめる先には、相も変わらず物置の奥の壁に背もたれ、部屋を見張る件の武士。
家探しされたのに気づいたのか、今日は右手に抜身の太刀を持ち、両腕に、肩まで覆う籠手、足に丈夫な脛当てをして、かなりしっかりと武装している。
それが月雲の兄たちの、死の時の気配を濃厚に辺りに振りまいていた。
武士には見えていないのだが、それだけで委縮している月雲達が多くいる。
「でも あれだ ほぼ 間違いない」
「左手のそばだ」
「左手 そば 一番下の櫃」
月雲と兄弟達は狙いを定め、機会を待つ。
部屋から立ち去ったのを見計らって、一も二もなく目当ての櫃にたどり着き、開けた。
「無い……」
中には胴丸が入っていた。
つまり前とは違う櫃である。
「櫃が入れ替えられてる 俺が見たものと違っている」
「近くに あるはずだ! ここの近くのはずなんだ 近くの櫃の 中身を……!」
「戻ってきた! 戻ってきた! そこから 出て来い! 切られたら 困る!」
そして時間は無い。
慌てて部屋を出て距離をとる。
武士はちらりと胴丸の櫃を見ると、また壁際に座り込んだ。
二日目の夜のことである。
「思いついた。 音で 男を おびき寄せよう」
言い出したのは武士を見張っていた月雲の姉である。
あまりに動かない武士に痺れを切らせたのであった。
武士は今日も武装を解かず、物置の奥で見張っている。
肩まで覆う籠手の両腕、頑丈そうな金属の脛当て、抜き身の刀が右手にある。
「妙な音がすれば 何かあったかと 見に出てくる。
その隙に櫃を 調べよう」
早速太鼓か雷か、とばかりに裏の扉で音を立ててみる。
案の定、武士は扉まで行き、少し止まった後に、威圧するような素早い動きでそこを開け放った。
途端に音がぴたりと止む。
その間、月雲たちは捜索である。
「無い 無い 無い」
「無い 無い」
「おい 戻って来たぞ みんな出ろ!」
そんなやりとりが二度ほど。
「まだ 見つからないか?」
「あいつ 出てこなくなったぞ」
扉の音が囮と気付かれたか。音がしても物置から動かなくなったのである。
「焼き物の 割れる 音を立てよう。
割られたら 男も 困るだろう」
というわけで、がちゃーんと盛大に音が立った。
物置の武士は弾かれたように顔を上げたが、それっきりである。
「動かないぞ」
「足りないか」
がしゃがしゃがしゃんと音が上がるが、武士は動く様子はない。
しばらく音が続いた後に、急に武士が声を上げた。
「家にそんなに器は無いぞ!」
月雲たちはぴたりと静止し、顔を見合わせた。割れ物の音も止まっている。
彼らの負けである。
武士は音が止まったのが面白かったように鼻を鳴らした。
三日目の夜のことである。




