11.鬼の宴
今夜、清明の屋敷に居るのは、清明。その兄弟子の陰陽師、賀茂保憲。
そして月雲とその兄、月雲の長である。
「そちらの事情は わかった。
話してくれたことに 感謝する」
長は静かに頭を下げた。
清明は再びはっきりと伝える。
「ここに居る私達は、月雲の事情は知っている。
敵対はしない。だが表立って味方はできない」
月雲の性質上、広く知らしめるのは論外だ。
ほとぼりが冷めるまで都を離れるのが一番安全ではないかという清明の提案に、保憲も続ける。
「噂は噂のまま、まだいくらも形を伴っていない。
故に、私たち陰陽師に、土蜘蛛捜索を頼んできた。
布告を出した者達ですら、何が敵かも分かってはいないのです。
だが、一度でも敵とみなされたら危険でしょう」
「ただな……兄上……」
清明の声に保憲が頷くと、清明は結果を伝えた。
「月雲は、都を出るも凶。留まるも凶」
「私も同じく」
どちらを選んでも、最後は破滅的な事態が訪れる。
稀代の陰陽師二人が、どう足掻いても逃れられない凶相を感じていた。
それを聞いても長は穏やかだ。
「どちらにしても 変えられないなら 思い煩わなくていい。
後に 都に 戻るとしたら それは どれほど かかるだろうか?」
清明と保憲が視線を交わす。
「私をして、人喰い鬼の土蜘蛛の噂の出どころを見通せない。
まるで生きた呪いのように、平安の都を蠢きまわっている」
保憲は憶測として付け加える。
「何者かも分かりませぬが、この噂を吹き込んだ者。既に死んでいるやもしれません」
それを聞いた清明もため息をついた。
「しばらく収まりそうにないな。土蜘蛛討伐完了の報が出るまでは残りそうだ。
恐らくは手始めに坊主や陰陽師の力を借りて、そこらの野盗やはぐれ鬼を、手当たり次第に狩りはじめるだろう」
「この子は もう 一人で立てるようになったのだが」
長が月雲を見やる。
「弟妹らは 我ら上の者達が 呪を補って形を成している。
目を離した所で襲われたら ひとたまりもない。
かといって 一人で 長く遠くに 居させるわけにもいかない」
月雲は太古の冥府の神、月読命を信奉し、理外れた力で冥府の使者を務める一族。
理から外れた分を呪の力で補って存在しているために、非常に不安定な存在でもあり、異形とされる外観が多い。
一度目を付けられれば、狩られる標的になってしまうだろう。
長は都を離れる選択をした。
「我らは 待つのに 仔細無し。
だが 気は進まない」
「気が進まない?」
「このままでは 死穢があふれる」
「兄が 言った通りになった」
現在、力ある陰陽師は陰陽寮に詰め切りである。
入れ代わり立ち代わり、いわゆる24時間体制で、今は清明の担当である。
「見くびっていたわけではないんだがな。
思っていた以上に仕事していたわけだ、月雲一族。
あ、月雲、そっちにある報告は、ただの人間だ。飢えて死人の肉を漁ってたのを鬼と間違えられただけだ」
仏僧や陰陽師をはじめ、都の術師は亡者の対応に忙殺されていた。
人も多いが、飢えに病に人殺し、死者もなお多い都である。
見鬼の才など欠片もない者までもが、鬼に襲われたと言い出す始末。
実際穢れの影響か、彷徨う亡者が鬼と化し、術師の前から逃げ隠れしつつ人を害するまでになっていた。
「一番穢れが集まっているのが宮中 というのが始末が悪い」
月雲が炒った榛の実を手に、陰に隠れた小鬼を手招きするが、怯えて寄ってこない。
怯えるなら何故よりにもよって陰陽寮などに入り込んでいるのか。恐らく気の流れに乗って宮まで流されてきたのだろう。
清明が肩をすくめて首を振る。
「気が集まる所だが、その気が澱んでいたら為ん方無い」
ふと清明は顔を上げた。気のせいと言えばそれまでのような、薄ぼんやりとした例の気配である。
しかしその直後、清明と月雲は同時に外に飛び出した。
陰陽寮は平安宮中務省。外に出れば異変はすぐに見えた。
「兄ら…… 戻って来たんだ……」
都のまん真ん中。遠目にも火の玉と入道と大鬼が揺れる。まさしく鬼の宴である。
平安宮は内裏の西の鬱蒼とした土地。
現在、宴の松原と呼ばれる場所である。
二人とほぼ同時に、宮城の警備隊、衛門府の面々が集まって来ていた。
陰陽師と見て上役らしい者が声をかけてくる。
「不審な囃子の音が……鬼や火が見えるという者まで……」
報告するその足元を、先ほど陰陽寮に隠れていた小鬼が走り抜け、宴の松原の低木の間に消えた。
「下がれ! この一件、手出し無用!
陰陽寮、安倍の晴明が預かる!」
専門家が来て一安心とばかりに、人が開いて下がり、遠巻きに囲む。
対する清明は、鬱蒼とした茂みを突き進む。月雲も後に続いた。
宴の中心は、やはり月雲の兄姉達であった。
誰も邪魔しない月夜の下、亡者の鬼も心地よくなって、酒を枕に寝る者もいる。
湯呑を片手に持ちながら、ぼうっと月を見上げていた鬼の姿が薄くなる。きっと黄泉に向かうのだろう。
清明は長に歩み寄った。
「このあほう……鬼と目されたら人から逃れられんぞ……」
「我ら もとより 夜と穢れと 死の神の 氏子。
これがお役目 否も諾もなし。
遅かれ早かれ こうなっただろう」
長はゆるり辺りを見回す。
「亡者を 救わんとする僧は 多くとも
鬼に堕ちた者を 救える者は 少なかろうよ
鬼も 調伏を 恐れて 逃げ惑う」
だから此処は鬼の宴。
鬼も死人も集って遊ぶ、黄泉の旅路のはなむけの宴。




