後で怖い人たちが来ますから
十二月三日(土)。とうとうこの日が来た。この日までに、ほぼ丸五日あったにもかかわらず、心の準備ができていない。
集合は十一時。今は十時ちょうど。些か早い気もするけど、家にいても落ち着かないし、万が一遅刻なんてしたらと思うと、これでいい。
「ああ、緊張する…。なにか飲み物でも買ってくるか…」
それで何か変わるとは思っていないけど、このままでは体がはち切れそうだ。
確か、こっちの方に自販機があったような…
「あ!おーい、マシロくーん!」
僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。それに、この声はまさか…
「おっはよう!マシロくん。随分と早いね?そんなに今日のデートが楽しみだった?」
「…」
「って、あれ?どうしたの?ちょっと、大丈夫?」
「…あ、うん。大丈夫。藤代さんこそ早いね」
予想外すぎる登場の速さに、フリーズしていた。そして、心の準備はまだ出来ていない。
「まぁね。こんなことするのは初めてだから。私も楽しみにしてたの。それより…」
その場で一回転して、両手を広げてみせる。
「どう?今日の服装は?ほれ、感想を言ってみなさいな」
全体的に黒で統一された服装で、普段の藤代 悠とは違う印象を憶える。
「えっと、なんか見慣れない感じ。制服じゃないからかな」
「そりゃそうでしょ。休日まで制服着るような酔狂な人間じゃないよ、私は」
そうだよな。僕だって今、制服着てないし。
「ていうか、今のが感想なの?もっとさぁ、ほら、あるでしょ?」
「に、似合ってる…」
「そうだよね!そうそう、それが聞きたかったの。ちなみに、どう似合ってる?」
「え、っと、何て言うか、普段のイメージと…その…違って…」
「ギャップ?」
「そう、ギャップ!ギャップがあっていいと思う」
「そっか~ギャップかぁ」
うんうんと頷いている。どうやら、僕の陳腐な誉め言葉でも満足してくれたらしい。
「マシロくんは、こういうのが好きなんだね」
「うん?良いと思う」
「よし!恒例行事が終わった所で、行きますか」
「…ちょ、ちょっと待って!」
恒例行事がどういう意味か気になるけど、それ以上に気にしなければいけないことある。
「どうしたの?」
「藤代さん、変装とかしなくてもいいの?こんな所、見られたら…」
他のことに気を取られてて、気づかなかったけど、マスクとかサングラスとかしてなかった。
「ああ、それね。当然、心配するとは思ったけど、大丈夫。こう見えて私って、意外とバレないから」
「本当に?」
「本当だよ。普段から外には出歩くけど、今まで一度も声掛けられたことないから。それはそれで、ちょっと悲しいけど…」
がっかりした様子で、肩を落とす。
「まぁ、今回はプラスに働くから、そう落ち込まなくても」
「それもそうだね。じゃあ、気を取り直して、行こっか」
こうして、これ以上ないくらいハードルの高いデートが始まった。
「ちなみに、今日の目的とかあったりするの?」
ショッピングモール内に入ったけど、店には入らず歩き回っている。
「目的は…そうだね、マシロくんとデートすることだから、そういう意味ではもう達成してるね」
「……」
「どう今の?嬉しかった?ドキドキした?」
藤代 悠の本性に驚いているが、それと同時にドキドキしっぱなしである。今日、会った時からずっと。これが、現役アイドル藤代 悠の手練手管なのだろうか。
「それより!いつまでも、こうして歩き回っているわけにもいかない。何か欲しいものとかないの?」
「欲しいものかぁ」
「服とか、アクセサリーとか」
「うーん。私って一応、ファッションモデルの仕事もするから、そういうのって困らないんだよね」
「そうなんだ…」
モデルの仕事とかするのか。まぁ、するよな。これ以上ないくらい、いいモデルだろうし。
「マシロくんって、本当に私のこと知らないんだね」
「いやいや、知ってるけど」
「そうじゃなくって。アイドルの、芸能人の私をってこと。私がどんな仕事してるか知らなかったでしょ?」
「それって普通は知ってるものなのかな?」
「少なくとも、私が学校で話す人は知ってるよ。むしろ、そういった話題しかないくらい」
「そうなのか…」
僕が知らなすぎるだけだろう。なんだか、場違いな気がしてきた。何も知らない僕より、色々なことを知ってる人の方がいいんじゃないか。
「君はそれでいいの」
「え?」
まるで、僕の考えを見透かしたようなことを言う。
「私は、君と私の仕事の話をしたいわけじゃないから。言ったでしょ?息抜きに付き合ってもらうって」
「そうだったっけ」
僕なんかとの時間が、彼女にとって息抜きになるならそれでいい。
「さて、どうしよっか?どこかお店に…。あ!ねえねえ。ちょっと、あそこ寄っていい?」
「あそこって、眼鏡屋?目、悪いの?」
「ノンノン。変装だよ」
「ああ、伊達眼鏡か」
ていうか、変装なら最初からしてほしかったな。
「私って、普段メガネとかしないから、印象変わると思うんだよね~」
店頭に置いてあるメガネから順に見ていき、店の中まで入っていく。
そもそも、彼女の言葉通り、周囲に彼女の存在に気づいた人はいなそうなのに、変装は必要なのだろうか。
「これを掛ければ、ちょっとは私も知的に見えるかな?」
そう言って、近くにあった細いフレームのメガネを掛ける。
確かに、今までとは違った印象になる。
「そもそも、既に成績は良いんじゃなかったっけ?」
「まぁね。あれ?それは知ってるんだ」
「噂で聞いただけだけど。才色兼備、文武両道、そういう類のことをよく聞く」
「えへへ~そうかな~?天は二物を与えず、って言うけど私には与えちゃったか~」
「自分で言うとバカみたいだなぁ」
「なんてこと言うのさ!?」
それから、ぐるりと店内を一周して…
「やっぱり一本作ってもらおうかな」
「まぁ、一本くらい持っててもいいかもね」
「君の好きな色は?」
「僕は、明るい緑とかが好きかな」
「うーん、メガネで緑色はちょっと派手かな。他には?」
「メガネの色なら、無難に黒とかいいと思う。ていうか、どうして僕に聞くの?」
「そりゃあ折角、君がいるんだから聞くよ。やっぱり黒か…」
近くにあった細いフレームの丸メガネを手に取る。
「どう?似合う?」
「いいんじゃないかな」
結局のところ、何を選んでも似合う気がする。
「じゃあ、これ買ってくるね。ちょっと待ってて」
すぐに決めて、カウンターへと向かった。決断が早い。迷うことがなかったな。
────
「すみません。これの黒縁ってありますか?」
「はい、確認してきます。少々お待ちください」
うーん、直ぐに決めたけど、なかったらどうしよう。別の色、もしくは違うフレームかな。でもなぁ、これって決めたからなぁ。
「お待たせしました。こちらで間違いないですか?」
「はい。あと、これレンズの度は無くて大丈夫です」
「わかりました。でしたら、お渡しは…そうですね。今日の十四時以降なら可能です」
「それじゃあ、お願いします」
そのまま会計を済ませて、立ち上がる。
「あの…もしかして…」
「はい?」
「アイドルの藤代 悠さんですか?」
「…」
唇に人差し指をあてて、微笑む。
「シーっ。このこと他の人に言ってはダメですよ?そうなったら、後で怖い人たちが来ますから」
「は、はい…」
まぁ、怖い人は冗談だけど。
────
「はぁ…」
あの藤代 悠と一緒にこんな所歩いていて、大丈夫かな。今更、心配になってきた。後ろから刺されたりしないよな。そうなったら、僕の方が先に死ぬことになるな。
「それは、まずいな」
いや、どっちが先でも関係ないな。死んだら終わりだ。
「お待たせ、マシロくん」
そんな非日常的なことを考えていると、時間は早く過ぎていた。
「本当に買ったのか?」
「うん。でも、受け取りは十四時だって。だから、それまで何しよっか?」
「うーん。昼食にはちょっと早いか」
時間を確認すると、まだ十一時を少し過ぎた頃だ。お互い、集合時間より早く来たからな。
「それじゃあ、あれ。やっちゃう?」
「え、どれ?」
「付いてきたまえよ」
そう言って、ずんずんと先を歩いていく。
そして、辿り着いたのは…
「ゲーセンか」
「やっぱり遊ぶなら、ここでしょ!来てみたかったんだよね~」
「ゲーセン、来たことないの?」
「あるにはあるけど、だいぶ前だからね。高校生になって、友達と来るのは初めて」
「なるほどね」
そうして、奥へと進んでいく。一体、何で遊ぶ気なのだろう。クレーンゲームか、コインゲームか。他にも…
「さて~どれにしようかな~」
全く決めてないっぽい。眼鏡屋では、あれだけ即決していたのに。
「ねぇ、マシロくん。あれ、やる?」
「あれって…」
彼女が指差す方には、プリントシール機がある。
「どう?男女が二人来たなら定番じゃない?」
「いや、ちょっと…やめた方が…」
如何わしいことは何もないが、なぜか僕の中の理性がブレーキを掛ける。
「そっか。さすがに、ドキドキに耐えられないか。君も」
「うん。やめとこう。ほら、クレーンゲームもあるし」
そそくさと、その場を離れる。
「お?もしかして自信あったりする?得意だったり」
「いや、そうでもない。何度かやったことはあるけど、結果はお察しだね」
「ふっふっふ。それなら、私が取ってみせよう!」
「おお。藤代さんは得意なんだ」
「ううん、そんなことない。ていうか、一度もやったことない」
「えぇ…」
それでなんでこんな自信があるんだ?
「まぁまぁ、見てなって。私の才能はここでも、真価を発揮するから」
「だと、いいけど」
惨敗して泣き崩れる所は見たくないけど、これ以上才能を開花させれても、悔しくなる。なんか、ちょうどいい塩梅にならないかな。
……
結果から言うと、彼女はその才能を遺憾なく発揮した。
最初こそ、手こずっていたものの、コツを掴むとまるで体の一部かのように、アームを動かして景品の山を築いた。
「すごいな…」
最早、両手には収まりきらない量になっている。
「どうよ!私はこういうことも出来るってこと」
「うん、本当にすごいな」
「そうでしょう、そうでしょう」
鼻高々にして、胸を張っている。ただ、これだけの量があると問題も発生する。
「でも、こんなに持って帰れる?」
「まぁ、無理だね。だから、君にもあげる。半分こね」
「いやいや、待って。さすがに貰えない。僕は一円も出してないし。せめて、使った半額は払わないと」
「いいの。これは今日、私に付き合ってくれたお礼ってことで」
「お礼なんて、いらないのに」
「でも、貰ってくれないと私帰れないよ?」
「ぐぬぬ…」
「はい、半分持って帰ってね~」
「はぁ、仕方ない」
あまり問答していても、かえって目立つし。
「予想外の荷物が増えたけど、良い時間になったから、ご飯食~べよ?」
「もうそんな時間か」
見ていただけだったのに、あっという間だったな。
山のように景品が入った袋を持って、フードコートに向かった。
……
「うっひゃ~、ハンバーガーなんて久しぶりだなぁ」
「そうなんだ。食べたことはあるんだね」
フードコートに着くと、彼女が真っ先に、「ハンバーガーが食べたい!」と言った。その速さから、断ることは出来ず昼食が決まった。
「でも、最後に食べたのは中学の時なんだよね」
一口、ハンバーガーに齧り付く。
「あぁ~、この体に悪そうな味がたまらないよ~」
僕も続いて、食べる。
「確かに、そんな感じではあるね」
「ねぇ~。でも、これが…お?」
何かに気づいたらしく、言葉を途中で区切る。
「ごめん。電話だ。…げっ!」
そして、その表情はどんどん暗くなる。
「ちょっと、ごめん」
「あ、うん」
そう言って席を立つ。随分と、遠くに行ったな。
二、三分で戻ってくる。ただ、席に着いたその顔は今まで、見たことないくらいに暗かった。
「えっと…大丈夫?」
「ごめん!マシロくん」
いきなり、テーブルに両手をついて頭を下げる。
「え?え?なに、どうしたの?」
「その、さっきの電話、事務所からで…」
「まさか、今日の事で!?」
やっぱり、事務所的にはアイドルのこういう事はご法度なのか。
「いや、それは違くて。その…急な仕事の打ち合わせで…今から行かなきゃいけなくて…だから…」
「そっか、ちょっと早いけど、ここで解散ってことか」
「う、うん。そうなんだけど、受け入れ早いね」
「名残惜しいとは思うけど、僕なんかより仕事を優先してほしいからさ」
「むむむ…」
なんかすごい怖い顔してる。そんな怒らせるようなこと言ったかな?
「じゃあ、本当にごめん!私の勝手で」
「大丈夫。それより、頑張って。応援してるから」
「うん、ありがとう。お母さんみたいなこと言うんだね」
そう言って、大きな袋を抱えて走り去る。
「…お母さん?」
一体、なんのことやら。
「とりあえず、これ食べよ」
残っていたハンバーガーを食べようとした時。
「マシロくん!」
「うわっわ!びっくりした~」
「重ねて悪いんだけど、これ受け取りに行ってくれない?じゃあ、お願いね」
それだけ、言うとすぐにいなくなった。
「これは…」
テーブルに置いてあったのは、眼鏡屋の領収証だった。そっか、受け取りは十四時って言ってたっけ。
それまでは、ゆっくり過ごそう。今日のことを思い返しながら。
……
「にしても、驚いてたなぁ。店の人」
そりゃそうだよな。こんな大きな袋を抱えてきたら。
「無事、メガネも受け取ったし僕も帰ろうかな」
一人では、ここに居続ける意味もないし。
「て、待てよ。このメガネ、どうやって渡せばいいんだ?」
学校で渡したら、絶対やばい。刺されるかもしれない。かといって、また今日みたいに会うことなんて、そうそう出来ないだろうし。
「…どうしよう」
とりあえず、後で連絡してみよう。