新米ヤクザ、ヘマをして「小指詰めろ」と言われるもソーセージで何とかしようと頑張る
暴力団『汚泥組』の事務所にて、佐藤正伸は、部屋の掃除を命じられていた。
ヤクザらしからぬ大人しい顔つきでデスクの雑巾がけをしている。が、なかなかはかどらない。
「いつまでチンタラやってんだぁ!」
「す、すみません! つい美しさを追求してしまって……」
「アホかぁ!」
正伸はデスク上の書類や置物などをどう動かすかをいちいち熟考するため、雑巾がけにもやたら手間がかかる。
兄貴分の狩谷に怒鳴られるのはいつものことである。
「もう掃除はいいから、おやっさんにお茶入れろや!」
「は、はいっ!」
慌てて給湯室に行き、湯飲みにお茶を入れてくる。
部屋の一番奥に座る組長の乱堂に、差し出そうとする。
――が。
緊張していたためか、こぼしてしまった。乱堂のスーツにもお茶がかかる。
「あ……!」青ざめる正伸。
「なにやってんだボケがァ!」
「ひいいい……すみません、すみません、すみません!」
狩谷に怒鳴られ、平謝りする正伸。
土下座する正伸に、乱堂は威厳たっぷりの顔と声で冷ややかに言った。
「お前がこの事務所出入りするようになってから一ヶ月……。掃除は遅い、茶は満足に入れられねえ……どうしようもない奴だ」
「ひっ!」
「お前……小指詰めろや」
「え……“詰める”というのはどういう……」
「指をスパッと切ることだぁ!」
狩谷が会話に割り込み、分かりやすく教えてくれた。
「えええええ!?」
「極道がケジメつける時ってのはそうするって相場が決まってる」
「そ、そんな……」
組長のド迫力に汗だくになる正伸。
「ま、今ここでやれとは言わん。明日までに小指ちょん切って、ここへ持ってこい。今日のところはもう帰れや」
「はい……」
震えながら返事をし、帰り支度を始める。
そんな正伸に狩谷が追い打ちの言葉をかける。
「おうマサ」
「は、はいっ!」
「指詰めるのがどうしても怖かったら……自分が今までにどんなことやってきたか考えてみろや」
「は、はいぃぃぃ!」
今までの失敗をよく反省して指を切ってこいということだろうか。正伸は急いで自宅のアパートに帰った。
***
見るからに家賃が安そうで、実際に安いボロアパートが彼の自宅。
正伸が帰ると、恋人の原嶋純子が台所で料理をしながら待っていた。フライパンで何かを焼いているようだ。彼は同棲しているのである。
「ただいまー」
「あ、お帰りー」
「ちょっと……包丁借りてもいいかな」
「いいけど……どうするの?」
包丁を借りた正伸は食卓に左手を置くと、小指だけを伸ばし、その根元に包丁を突きつける。そして、震えた手で包丁の刃先を近づけるが――
「あ、いたいっ!」
ほんの少し――血も出ないレベルに刺しただけで痛かった。
「もう一回……」
チクリ。やっぱり痛い。
「こ、今度こそ……」
チクリ。小指からは血も出ていない。
「何やってるの、さっきから!」
料理を中断した純子に、正伸は全てを正直に打ち明ける。
「えーっ!? 親分さんから小指を詰めろって!?」
「そうなんだ……。だから、どうにかして切らないと……」
「やめてよ! そんなこと!」
「やめるわけにはいかないよ……極道の世界じゃ、“親”の命令は絶対なんだ」
「注射ですら痛がるマサ君に、小指を切るなんて出来ると思う? 無茶だよ……」
その通り。暴力団なのに暴力を振るったことすらない正伸は超痛がりなのだ。下手をすればシッペやデコピンでも泣くかもしれない。
「ちょっとお茶をこぼしたぐらいで小指を切る必要なんてないよ!」
「でもやらないと……僕、きっと組長や兄貴に殺されちゃう……」
うつむき、深刻な表情を浮かべる正伸。
「そうだわ!」
純子が何かを思いつく。
「ソーセージで何とかしましょう! ソーセージと指って似てるじゃない!」
純子がさっきから焼いていたのはソーセージだったのだ。これを小指に見せかけられれば……という提案である。
一度ここを乗り切れば、あとはずっと手袋をしていればごまかせる、と主張する。
「無茶だよ! すぐ見抜かれるよ! 出来るわけない!」
「出来る!」
「え……」
「昔を思い出して……かつては芸術家を目指したあなたなら、出来るはず」
正伸は芸術家志望だった。実際にセンスはあった。しかし、実力以上に金やコネがものをいう美術界に失望し、そのうち自分自身の方向性も見失ってしまい、彼は芸術家として挫折してしまった。
転がり落ちるような人生を歩んだ後、彼はついに『汚泥組』事務所のドアをノックしてしまったのだ。
「ほら、食紅だってあるし」
「ずいぶん用意がいいね……」
狩谷の「自分が今までにどんなことやってきたか考えてみろ」という言葉がよみがえる。
くすぶっていた正伸の芸術家魂にだんだんと火がついてきた。
ソーセージを本物の小指のような芸術品に仕上げる……命をかけるに値する、面白そうな試みではある。
「やってみるか……」
「ファイト!」
正伸は数あるソーセージの中から自分の指に似たものを選び、作業を開始した。
食紅で色をつけ、爪や指紋までも描く。包丁で切れ込みを入れ、しわを再現する。事務所で雑巾がけをしていた時とは別人のように、テキパキと仕上げていく。
やがて――
「できた!」
小指のようなソーセージが出来上がっていた。
「明日、これを組長さんのところに持っていきましょう!」
「……うん!」
むろん、バレればただでは済まないだろう。
命令に逆らっただけでなく、上司であり親である組長を騙そうとしたのだから、殺されることだってあり得る。
だが、芸術に殉じられるのなら本望――正伸はそんな心持ちであった。
***
翌日、正伸は左手に包帯を巻き、事務所に向かった。実際には小指を切り落としてないことを悟られないよう、包帯は大げさに巻いている。
事務所では組長の乱堂や兄貴分の狩谷ほか、数人の組員が正伸を待っていた。
「指を……詰めてきました」
「ほう、見せてみろ」
正伸はソーセージを差し出す。
乱堂はそれをまじまじと眺める。
「ほぉう……」
「……」
汗が出る。心臓が高鳴る。自身の首に鎌を突きつけてる死神が見えるようだ。
一分ほど指の吟味をしていた乱堂が――
「まさか本当に詰めてくるとはな。やるじゃねえか」
バレなかった――
助かった――
正伸は心底からホッとする。
「ありがとうございますっ!」
しかし、乱堂は言った。
「だがよ……こんなきったねえ指で極道が務まると思ってんのか?」
「え?」
狩谷が続く。
「所詮おめえは極道にゃ向いてねえってこった」
「そ、そんな! 指まで落としてきたのに! お願いします、ここに置いて下さい!」
懇願する正伸を、乱堂は冷たくあしらう。
「元々お前とは正式に盃を交わしたわけでもねえしな……見習いですらなかった。出ていけ」
「待って下さい! 僕は立派な極道に――」
「いいから出てけぇ!!!」
乱堂に怒鳴られ、狩谷に引きずられ、正伸は事務所の外に放り出された。
ソーセージの努力は空しく、正伸はクビになってしまった。
***
追い出された正伸を、純子が待っていた。
「極道、クビになっちゃったよ……。せっかく頑張ったのに……」
「うん……」
しかし、正伸はまっすぐ前を向いた。
「だけど……ソーセージであの場を切り抜けられたことで、僕自信がついたよ! もう一度……芸術の道を目指してみる!」
「そうだよ! その意気だよ!」
正伸は事務所に振り返り一礼すると、約一ヶ月の極道生活にピリオドを打った。
再び芸術家を目指すことを誓って。
***
狩谷が言う。
「おやっさん、ずいぶん手の込んだ真似をしましたね」
「まぁな。一週間前、あの純子って女が“マサ君を組から抜けさせて下さい”と頼んできて、俺らもあいつを持て余してたから、それはかまわなかったんだが……」
「あのまま組放り出しても、どうにもならなかったでしょうね」
芸術を挫折し、極道すら務まらなかったとなれば、正伸の自己肯定感は限りなく低くなっていただろう。さらに無気力となり純子に寄りかかり、見限られる未来しか残っていなかった。
「ああ……。だから自信をつけさせたかった。“自分には芸術の才能がある”という自信をな」
「どうやら上手くいきましたね」
ニヤリと笑う狩谷。
小指を詰めろ騒動も、純子からの提案も、全ては正伸を立ち直らせるための芝居だったのだ。
乱堂は“小指”を持ち上げて、それを口に放り込む。
「ふん、ずいぶんとうまい小指だ」
咀嚼しながら言う。
「あんなまっすぐな若造を極道にしちゃいけねえよ。おかげで、ヤクザ者がらしくもねえことしちまった」
***
数年後――テレビの現代美術特集に、正伸が出ていた。オドオドした口調でインタビューに答えている。
彼はリアルな人体を模した芸術作品の数々で人気を博していた。
小指の一件で、ようやく自分の方向性を見出せたのだろう。
「おやっさん、これ……」
「ああ……ずいぶんと出世したじゃねえか」
指がちゃんと五本ある左手とその薬指にはめられた指輪に気づき、乱堂は微笑む。
敵対組織との抗争、暴対法による締め付けで、今や風前の灯火である『汚泥組』――
しかし、彼らはかつて一ヶ月だけ自分たちの仲間だった芸術家の活躍を、心から祝福した。
おわり
読んで下さりありがとうございました。