「間」の重要性~「会話文」との関わり方を考える~
こんにちは、花咲き荘です!
年も明けて、皆さまどのようにお過ごしでしょう。外は未だ刺すような寒さに覆われており、花咲き荘は何枚も着重ねして外に出ています。昨日目撃した光景なのですが、1人の男の子がこの寒さの中タンクトップで遊んでいましたね。彼は寒さを感じないのでしょうか。風邪をひかないか心配です。
さて、世間話もここまではこれくらいにして、今回は「会話文」との関わり方についてお話していきたいと思います!
以前、「地の文」との関わり方についてのエッセイを投稿したのですが、沢山感想も頂けましたし、今回は小説の花形ともいえる「会話文」とどのように関わっていくのかについて、花咲き荘なりの見解を示しつつお話していこうと思います!
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さて、皆様はどのようにして小説を書いていますか?
おそらく、皆独自の方法で小説を執筆していると思います。
最初から会話文や地の文を気にせずに書き連ねていく人もいれば、所々飛ばしつつ重要な部分を書いて、それを上手に繋げていくような書き方をされる人もいることでしょう。
かくいう私はおそらく後者になります。
私の場合は、まず「会話文」を先に書いてしまって、それから地の文を書いていくという工程で作品を執筆しています。その方が先に人物の動きを示すことができ、作品の流れを簡単に掴めるからなのですが、おそらくこれは個人差があるでしょう。
さて、今回の本題であります「会話文」の重要性について先に触れておきましょう。
会話文は、登場人物が外に向かって発した言葉であり、それは物語における「共有スペース」となります。つまり、会話文は読者だけでなく物語の中にいる人物にとっても周知の事実となり得る部分であり、その重要性は非常に高いと言えます。
上手く書けば、会話文だけで小説を完結させることもできるほど、会話文には物語を転換させるほどの強い力があり、上手く使うことで執筆の労力を削ることが出来るでしょう。
そんな重要な会話文の中で、花咲き荘が最も気にすべきだと思うのは、会話内の「間」です。
私は、作中で「…(三点リーダー)」や「─(ダッシュ)」をふんだんに活用しています。私にとってこの2つは会話文の中で「間」を作る重要な意味を持っているのです。
少し例文を出して見てみましょう!
『お父様の健康状態はあまり芳しくありません。もって1年というところでしょう』
これは医者から父親の余命を宣告されるような場面ですね。今のままでも十分伝わる文章ではあるのですが、少し単調な気もします。
では、ここに「─(ダッシュ)」を入れてみましょう。
『──お父様の健康状態はあまり芳しくありません。もって1年というところでしょう』
さて、これはどうでしょうか。
会話文の初めに「─(ダッシュ)」を使うことで、医者が重々しく口を開ける雰囲気が強調されています。医者の言葉の唐突性やショッキングな内容を強調する意味合いも含んでいます。
では、次に「…(三点リーダー)」を入れてみましょう。
『お父様の健康状態はあまり芳しくありません。……もって1年というところでしょう』
これはどうでしょう。
余命宣告前に「…(三点リーダー)」を入れることで、この会話文の中で「間」が出来ていることを強調しています。医者の躊躇いが見て取れますね。
これらは会話文の間を作る例の一部に過ぎません。たった一文の中でも、工夫は無限大であると言えるでしょう!
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次に、会話文の登場のさせ方にも工夫が出来ます。以下に例文を用意しました。
『そう、ですか。先生、父のことをどうかよろしくお願いします』
さっきの場面の続きですね。医者の余命宣告に、息子が応えるシーン。父親を想う息子の表情がこの文章からはなかなか読み取れませんね。
先ほどは会話文の「間」を作るために「…」や「―」を活用しましたが、今回は少し趣向を変えて文章をいじってみましょう。
息子は『そう、ですか』と小さく呟きながら視線を落とす。
しかし、すぐに強い覚悟を持った瞳が医者に向かった。
『先生、父のことをどうかよろしくお願いします』
さて、どうでしょうか。
今回は会話文をあえて二つに分け、前半部分を地の文に組み込んで間を作ってみました。こうすることで物語内の表現にもバリエーションが出ます。ここに、前述の「…」や「―」を活用すれば、より会話文の「間」を作り出すことができるでしょう。
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今回は会話文との関わり方を書いてみました。
基本的には私の個人的な意見や思考、知識をベースに述べていますので、もしかすると皆様の考えとずれている点があるかもしれません。
会話文は物語の中で重要な意味を持ちます。
アニメや漫画などで名言が生まれるように、小説でも人物の言葉は重い意味を持ちます。是非、想像の100%を伝えられるように工夫してみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回は「会話文」について書かせてもらいました。基本的には私の個人の意見や思考がベースにあり、ずれている考えをご紹介しているかもしれないとヒヤヒヤしております(笑)
会話文が多めのネット小説において、会話文が単調だと飽きられてしまう原因にもなります。地の文が作者の腕の見せ所であれば、会話文は工夫の結晶です。
もしかすると、会話文だけで物語の全てを構成するのが究極の小説なのかもしれませんね〜。