追想 【第二楽章】
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ありがちな、古い石油ストーブが引き起こした火事だった。
大学を終えた夕刻。私が夜館邸に着いた時には、火の手は既に二階まで及んでいた。無我夢中で野次馬を掻きわけ、私は珠理だけを救い出した。火元にいた夜館老夫妻は死亡、火元から離れた二階にいた珠理も一命こそはとりとめたものの、角膜の熱傷で視力を失った。
そして、私も瓦礫に潰された右手に軽度の麻痺が残って、ピアノは弾けなくなった。
事故から一週間経って、再び珠理と顔を合わせたとき、珠理は病院のベッドにいた。
蛾の繭の様に白い包帯に巻かれていた珠理。唯一外界に剥き出されていたのは手首から先だけ。包帯越しには、皮下の肉の禍々しい赤が透けてみえる。炎がまだ、珠理の身体を蝕んでいるように。
その手に触れると彼女は大儀そうに私の方を向いた。
眼も、声も、表情も。炎と絶望は珠理を何もかも全て壊し尽くしていた。
『火傷は、先生が助けてくれたから、大したことなかったよ。痕は、残っちゃう、みたいだけど』
『ただ、目は、もうだめだって。それに、声も、戻らないみたい』
『バケモノ、みたいでしょ。自分の姿が見えないのが、救われたくらい』
珠理はそういうと微かに首を振った。
『でも、指は、動くから』
私の腕に彼女は弱弱しく指を立てた。私の血管に針を打ち込むように、月光の第二楽章をなぞる。どれだけ指が縺れ、間違えても、彼女は弾くのを辞めない。
焼けた喉で、必死に希望を謳うように。
残った指先で、必死に私に贖うように。
『わたし、まだ、ピアノ、弾けるよ、弾けてる、でしょ?』
『せんせいのかわりに、なんだって、なんどだって、弾いてみせる』
『だから、すてないで、せんせい。わたし、がんばるから』
『もう、ひとりは、いやだよ』