第一楽章
骨の浮き出た腕と、月光に照らされた蒼白い肌。死を湛えた顔の中で窪んだ眼窩から見える爛々とした大きな二つの眼だけが燃えるように暗闇に灯っていた。盲いているというのに、その視線の先にはまるで何かがあるかのように鋭く虚空に臨んでいる。
死に装束のような真っ白なドレスを纏う身体が撓る。
大きく背中を逸らして、両腕を翼のように広げる様が真っ暗な部屋の中で月明かりのみに映された。
黄ばんだ壁に、その影が伸びる。
灰色に近い唇の端が恍惚に歪む。
呻きのような声。滴る唾液は顎を伝い、蜘蛛の糸のように垂れていく。
傾げた首に同期して無造作に下ろした白い髪が舞う。
ぼさぼさにほつれたそれは、緩く曲線を描きながら漂う。埃と薬品の匂いが充満した部屋の隅で死にかけのドブネズミの甲高い断末魔がまだ響いていた。
静から動へ。
捕食者のように身体をのめらせ、長い指の先が鍵盤を穿つ。裂けるように大きく見開かれた瞳孔からは、絶えず歓喜が零れ落ちる。彼女の全身がピアノを喰らうように、猛る。
骨と皮だけが残った指は繊細に、緻密に譜面をなぞっていく。
そこには一切の誤謬も無駄もない。虱を一つずつ潰すように神経質に彼女は指を這わせては音を連ねていく。剥き出しの金属製の義足はサステインペダルを浅く踏み続けている。与えられた指示に、従順に。
緩慢で沈鬱な旋律。弱々しい第一楽章は夜霧のように微かな死の香りを思い起こさせる。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノソナタ第14番。
『月光』と後世に名付けられたそれは、私が最も愛して已まない音楽だった。