書斎
次の日、柚子は朝食を済ませると、早速、書斎にやってきた。
実は朝起きた時から、待ちきれなかった。
柚子はファミリアに屋敷の中を案内された時から、書斎の事がずっと気になっていたのだった。
昨夜アズールスからもらった鍵を使って、柚子は書斎の扉を開ける。
「おおっ……!」
扉を開けると、紙の匂いがしてきた。
普段からマルゲリタがこまめに掃除をしているからか、書斎には埃すら溜まっていなかった。
綺麗に書棚に収められた大小様々な、素材も様々な本が柚子を出迎えてくれた。
入り口以外の全ての壁を、天井近くまで規則正しく並んだ本が埋めていた。
真ん中には高価な木製の机と椅子が置かれており、机の上にはインクやペンなどが揃っていたのだった。
柚子は気になった一冊を取り出してみる。古い紙の匂いと、インクの匂いが気持ち良かったです。
アズールスからは書斎の本を、書斎から持ち出してはならないと言われなかった。
ここで読もうか、何冊か持って部屋で寛ぎながら読もうか考えている時だった。
柚子は何となく書斎の机が気になった。
柚子が机の内側に回ると、右下に四段並んだ引き出しが備えられていた。
柚子は多少の罪悪感を持ちつつも引き出しに手を掛けたが、いずれも鍵が掛かっており開かなかった。
しかし、机の鍵穴をよくよく見ると、柚子が持っている書斎の鍵とよく似ていた。
(まさかね……)
書斎の鍵と机の鍵が同じなんて事は無いだろう。
柚子は諦めて本選びに戻ろうとするが、どうしても気になってしまった。
(ダメダメ。アズールスさんのモノを勝手に開けるなんて!)
柚子は首を振ると、手近にあった本を何冊か選ぶと、早急に書斎から出たのだった。
書斎から出て鍵を閉めていると、片手に抱えていた本の重さが軽くなった。
「もういいのか?」
柚子が驚いて振り向くと、そこには柚子が持ち出した本を持ったアズールスが居たのだった。
「アズールスさん!?」
「女性が運ぶには大変だろう。部屋まで運ぼう」
そうして、アズールスは本を持ったまま柚子の部屋に向かおうと歩き始めた。
柚子は鍵を締めると慌てて追いかけたのだった。
「私は大丈夫です! 一人で持てますし、仕事で慣れていますから!」
柚子はアズールスのスピードに追いつきながら声を掛ける。
しかし、アズールスはスピードを緩める事もなく歩き続けながら答えた。
「仕事や一人で持てるという以前に、ユズは女性だろう。もっと自分を大切にしなさい」
(女性って……)
アズールスの言葉に柚子の顔は真っ赤になった。心臓がバクバクと大きく音を立て始める。
柚子にとって重いものーーとりわけ、本を運ぶ事は全く苦では無かった。
図書館という場所柄、毎日数え切れないくらいの本を運んでいた。
また、職場内の人間も女性が中心で男性がほぼいなかったという事、柚子が一番若かったというもあり、本を始めとする重いものをいつも率先して運んでいたのだった。
ーーそれに女性扱いされた事は初めてかも。
柚子が真っ赤になっている間に、二人は柚子の部屋に着いた。
柚子が開けた部屋の扉をアズールスは「すまない」と言って入ると、ベッド脇のテーブルに持っていた本を置いたのだった。
そうして、アズールスは部屋を見回した。
「何か足りないものはないか? 必要なものがあれば用意するから、遠慮なく言いなさい」
「私に言いづらいなら、マルゲリタでも構わない」と、続けるアズールスの優しさに柚子は笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。今のところは大丈夫です」
柚子は首を振る。
必要な物はアズールスやマルゲリタがほとんど揃えてくれた。
住み始めてからさほど時間は経っていないが、アズールスがあまり贅沢をしない事に柚子は気づき始めていた。
マルゲリタやファミリアも、食材の買い出しでは、あまり無駄遣いをしないようにしていた。
もしかしたら、金銭面はあまり余裕が無いのでは、と。
「そうか……。ところで、ユズは本を運ぶのは仕事で慣れていると言っていたが、働いていた事があるのか?」
「はい。元の世界では、図書館で働いていました」
「図書館? ユズの世界では女性も働けるのか?」
アズールスによると、この世界では女性は家庭に入るものであり、働いている女性は、働かなければ生活出来ない者がほとんどとの事だった。
柚子はベッドに座るとアズールスにも座るように促すと、図書館について説明した。
柚子の隣に座ったアズールスは、時折頷きながらも、興味深そうに聞いてくれたのだった。
「そうだったのか……。それで、ユズは本が好きなんだな」
「気づいていたんですか!?」
「ああ。ユズが来た日からずっと気づいていた。絵本を読んでいる時が、一番嬉しそうな顔をしていたからな」
「そ、そうだったんですか……。気づかなかったです」
それでこの世界に来たばかりの頃に、絵本をたくさんプレゼントしてくれたのかと、柚子は今更ながら気づいたのだった。
あの頃は、言葉も分からず、知らない人達に囲まれていて、知らない世界に来てしまった事を考えたくなくて、ずっと絵本を読んでいたような気がした。
言われてみれば、毎晩、アズールスが寝ていた横で絵本を読んでいた気もする。
その時に見られていたのだろうか。
柚子はアズールスに見られていた事が、今更恥ずかしくなってきたのだった。
柚子が真っ赤になった顔を抑えていると、アズールスが「どうした? 熱があるのか?」と顔を覗き込んできたので、益々、顔が赤くなってしまったのだった。
「なんでもないですよ。アズールスさん。なんでもないです」
「そうか? それならいいが……」
そうして、アズールスは気にする素振りを見せながらも、「本当に具合が悪くなったらよく休むんだ」と言って部屋を出て行ったのだった。
アズールスが出て行き、部屋の扉がパタンと締まると柚子はベッドの上に倒れたのだった。
(緊張した〜〜〜。あんな顔をされたら照れちゃうよ〜〜〜)
柚子の顔を覗き込んだ時、アズールスの黒色の艶やかな髪が顔に触れた。どこまでも綺麗な青色の瞳に見つめられて、胸がキュンと高鳴ってしまった。
(私は元の世界に帰るんだから。アズールスさんに惚れちゃダメ!)
そう自分に言い聞かせながらも、柚子はしばらくベッドの上で身悶えていたのだった。
アズールスは自分の部屋に戻り、部屋の扉を締めるとその場に座り込んだのだった。
(あんなユズの顔。初めて見たな)
本を運んでいる時、そうして、図書館や本について話している時、柚子はとても嬉しそうな顔をしていた。
(トショカンで働く事が楽しかったんだな)
絵本を読んでいる時の顔と同じ、嬉しそうな顔だった。
柚子の笑顔を思い出すと、アズールスの胸の中は温かい気持ちでいっぱいになっていった。
(そんなユズを、俺はこの世界に呼び寄せてしまったのか……)
アズールスの中で、柚子への罪悪感が生まれてくる。
だが、一方では柚子に対する愛おしい気持ちが胸の中にあった。
ーーユズを離したくない。元の世界に帰したくない。
日に日にアズールスの、柚子への想いは募るばかりだった。
召喚したばかりの頃は、自分の「願い」さえ叶えてくれればそれでいいと思っていたのに。
(例え、「願い」は叶えてくれなくとも)
柚子を自分の元から手放したくはない。柚子自身がアズールス以外の人の元に行きたいと言わない限り。
それとも、柚子は元の世界に帰る為に、「願い」を叶えてくれるだろうか。
そこまで考えて、アズールスは頭を振った。
これ以上、考えてはならないような気がしたのだった。
(もっと、ユズと話そう。もっとユズの事を知りたい。もっと、もっとーー)
本が好きなら本に関する話がいいだろうか。柚子はどんな本や話が好きなのだろうか。
実はアズールス自身は、そこまで本が好きではない。
公文書館で働き始めて、本を読む機会が増え、少しずつ本を読むようになっただけだった。
ただ、柚子と本に関する話が出来るのならーー柚子と話す機会が増えるのなら、もっと本を読もうと思う。
柚子が来てから、アズールスの頭の中は柚子の事で頭がいっぱいであった。
召喚されたのが柚子で本当に良かった。
アズールスはそっと目を閉じたのだった。