表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

公文書館

木製の大きな扉の先に入った柚子が最初に感じたのは、かつての職場の書庫を思い出すような埃の匂いであった。

新古始めとする天井近くの書架まで並んだ本と、その本の上に積もったむせ返るような埃の匂いと、それによって部屋中を満たす重い空気。

それが、柚子を懐かしい気持ちにさせたのだった。

「わぁ……」

「これでも公文書の一部なんだ。この部屋と隣の部屋にある資料は一般人でも自由に読む事が出来る」

アズールスが手で示した先には、同じくらいの広さの部屋が続いていたのだった。

「複写も可能なんですか? 勿論、貸出も!」

この世界に著作権や図書館法が存在するのかはわからないが、やはり元・図書館司書として気にならない訳がなかった。

柚子が食い気味に聞いたからだろうか、アズールスは面食らったかのように数回瞬きを繰り返した後に、答えてくれたのだった。

「いや。さすがに、複写と貸出は行なっていな……。いや。軍関係者なら複写と貸出は可能だ。一般人には行なっていなかったような」

「そうなんですか」

柚子は肩を落とす。軍事機密もあるから難しいんだろうと思った。

「ああ……。それに、実はこの公文書館は、軍の数ある公文書館の中でも最も利用頻度が低いんだ。特にここ数年は、他の公文書館で死蔵されていた本を集めた書庫と化していてな。それゆえに、軍関係者もあまり訪れない」

数年前、死蔵本ーー利用が無いまま、ただ書架にあるだけの本、によって公文書館の書架が埋もれていく事を嘆いた軍の上層部が、それなら軍関係者にも滅多に利用されず、しかし捨てるには惜しい本を、滅多に利用者が来ない公文書館に押し付けてしまえ。という事で、押し付けられたのがアズールスが働いている公文書館らしい。

また人件費も惜しいという事で、歳を理由に退役したが、体力だけはまだまだ有り余っている退役軍人数人を格安の給料で雇い、少数精鋭で公文書館を運営しているらしい。

この世界でも、公文書館ーー柚子の世界では図書館、が軽んじられているところは同じらしい。

「もしかして、アズールスさんがここで働いているのも……?」

アズールスから事情を聞いた柚子が訊ねると、アズールスは何とも言えない顔をしたのだった。

「それもある。だが、俺には軍を退役した時にもらった退職金があるし、他にも金の当てはあるから、多少、収入が低くとも問題はない。マルゲリタとファミリアの給金、更にはユズの生活費も賄えるくらいはある。それに」

アズールスは苦しそうに俯いたのだった。

「……俺には軍を辞めざるを得ない理由があったからな」

「それって……」

もしかして、ご家族を事故で亡くした事と関係があるのでは、と柚子は言いかけたが、アズールスが「すまない。見学の途中だったな」と話しを終わらせたのだった。


「俺はまだ仕事が残っているから、終わるまで資料でも読んで待っていてくれないか。

さっき説明した通り、この部屋と隣の部屋は自由に出入りも出来るし、読む事も可能だ。他の資料部屋は事前に申請が必要か、公文書館の人間の付き添いが必要だから入れない。それ以外で使い方や探している本がわからない時は、遠慮なく声を掛けてくれ」

「ありがとうございます。じゃあ早速ですが、この辺りの地理に関する本はありますか? この世界について知りたいので、もしあれば、読んでみたいんです」

「地理の本か? それならこっちだ」

柚子はアズールスに連れられて、隣の部屋の奥側の書架に連れて行かれた。

「軍関係の本だから、土地や地形がわかるような大雑把な地理しか書かれていないが……」

「それでも大丈夫です。アズールスさんが忘れていった本を読んだんですが、そうしたらこの国やこの辺りの地理について何も知らない事に気付いたので、読んでみたくて」

柚子が苦笑しながら話すと、アズールスは驚いたように柚子を見つめてきたのだった。

「あの本を読めたのか……!? あれは、異国の言葉で書かれた本だぞ!?」

「そうなんですか?」

柚子は首を傾げる。いつものように、柚子が見た途端に日本語に変換されたので何とも思っていなかった。

「俺でさえ、最近、ようやく読めるようになったばかりなんだ。最初の頃は全く読めなくて苦労したのだが……」

そんな驚くアズールスに対して、柚子は目の前の書架に興味深々であった。

やはり、自分が読んだ事が無い本、始めて出会った本には心が弾む。

表題だけ読んでいくと、何冊か柚子でも読めない本があった。

もしかしたら、柚子は全ての言語が読めるようになったのではなく、一部の言語しか読めるようにならなかったのかもしれない。

読めない本の中から一冊を手に取ると、柚子はアズールスに差し出したのだった。

「アズールスさん、この本には何て書かれているんですか?」

柚子に本を見せられたアズールスも、眉根を寄せて首を振った。

「すまない。俺も辞書無くては読めない言葉だ。おそらく、敵国から押収した地理の本だとは思うが……」

「気になるなら、読める人を探してくるが」と、アズールスは提案してくれたが、柚子は断ったのだった。

「他の本を読んで待っています。アズールスさんは、どの本がわかりやすく書かれていると思いますか?」

「そうだなぁ……。俺が読んだ中では、数十年前に軍部の地理担当部署が国で流通していた地図を元に、実地調査を行った時の報告書と体験談が一緒になった本が一番わかりやすかったな」

アズールスが書架を確認するが、そこで困惑したように頭を掻いたのだった。

「おかしいなあ……」

どうやら、本がいつもある場所に無いようだった。

誰かが読んでいるのか、間違えて別の書架に戻してしまったのだろう。図書館ではよくある事だ。

「どんな本ですか? 私も手伝いますよ」

「ああ。だが、表題は軍部で使用していた旧暗号文章で書かれているんだ。ここでは俺しか読めなくて」


その時、柚子の頭の中にぼんやりと浮かんでくる「もの」があった。

それに従って、柚子はとある書棚の前で立ち止まったのだった。

「あっ! この本ですか?」

柚子はアズールスの二つ左隣の書架の一番下の書棚から黒色の革張りの本を取り出す。

アズールスに革張りの本を渡すと、眉根を寄せたので柚子は不安になったのだった。

「あの……。間違えましたか?」

「いや。この本で合っている。だが、何故、この本だと思ったんだ?」

「えっ? 言われてみれば、何でこの本だと思ったんだろう……?」

改めてアズールスに聞かれて、柚子は何故、自分でもこの革張りの本だと思ったのか、理由がわからなかった。

「強いて言うならば……。頭に浮かんだんです」

「頭に浮かんだ?」

「はい。アズールスさんがこの書棚に本を入れている姿が」

先程、柚子の頭の中に浮かんだ「もの」。

それは、革張りの本を読んでいたアズールスが別の本と一緒に、いつもとは違う書棚に仕舞う場面であった。

「この隣の深緑色の表紙の本も一緒に仕舞っていました」

柚子はアズールスに渡した革張りの本が入っていたーー今は空いているスペース、の隣に入っている深緑色の布張りの本を指差す。

「確かに、この二冊はユズがやってきた前日の昼間に使っていたが……」

アズールスは考え込んでいたが、出入り口付近から話し声が聞こえてきた事で我に返ったようだった。

「ん? どうやら、誰かやって来たようだ。確認してくるから、ユズはこの本を読んで待っていてくれ」

「はい」

そうして、アズールスは革張りの本を柚子に渡すと出入り口に向かって行ったのだった。

柚子も近くの布張りのソファーに座ると、アズールスの仕事が終わるまで、本を読んで待っていたのだった。


仕事が終わったアズールスと一緒に馬車に揺られている間ーー馬車はアズールスが通勤で使用している通いの御者らしい。二人の間には会話らしい会話が無かった。

結局、アズールスが出迎えに行った人は来客ではなく、他の公文書館の人間だったらしい。搬入が遅れていた死蔵本を持って来たとの事だった。

その後は、アズールス達の仕事の邪魔にならないように、柚子はソファーからなるべく動かないで本を読んでいたのだった。

ーーそれでも、アズールスさんの連れってだけで物珍しそうに見られたが。

ようやくアズールスと会話があったのは、屋敷に戻って夕食を済ませた後。

柚子がアズールスに送られて、自分の部屋に入ろうとした時だった。

「そうだ。文字が読めるようになったのだし、絵本だけでは退屈だろう? この屋敷の書斎の鍵を渡しておこう」

アズールスから手渡されたのは、水色のリボンが結ばれた銀の鍵だった。

「ありがとうございます。嬉しいです」

柚子は笑みを浮かべながら鍵を両手で受け取り、アズールスに礼を述べた。

アズールスは顔をほんのり赤くすると、何かを言いかけたが止めたようだった。

「書斎の場所はわかるか?」

「はい。以前、ファミリアちゃんに案内してもらったので」

アズールスは小さく笑ったのだった。

「今日はもう遅い。明日は仕事が休みだから、よければ書斎の中を案内しよう」

「ありがとうございます。でも、部屋に入ってみればわかると思うので大丈夫です」

柚子は貴重なアズールスの休暇を邪魔してはいけないと思って断わったのだが、アズールスは寂しそうな顔をしたのだった。

「それじゃあ、おやすみ。ユズ」

「おやすみなさい。アズールスさん」

そうして、二人はそれぞれ自室へと戻ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ