夢1
柚子は夢を見ていた。
これは夢だと、実感出来る夢だった。
夢の中で、柚子のどこかの屋敷の庭に立っていた。風に乗って草木の匂いがした。
今の屋敷とは違い、屋敷も庭もとても広く、庭の中央には大きな噴水があった。
そして、庭には大勢の使用人達がいて、その使用人の先には、ひと組の家族がいた。
柔和な笑みを浮かべる身なりの良い男性と、六歳くらいの男の子、男の子の視線の先には三、四歳くらいの男の子と女の子がいたのだった。
「こらこら。二人とも、危ないからやめなさい」
「そうだぞ。おとうさまのいうとおりだ」
「は〜い。おにいちゃま……」
庭の片隅にある小さな池に近寄って覗き込む男の子と女の子を、お父様と呼ばれた男性とお兄様と呼ばれた男の子が止める。
そんな兄の弟と妹だと思われる男の子と女の子は項垂れながら、二人の元にやってきたのだった。
そんな二人の前に、兄がやってきた。
その兄の顔は、とてもアズールスに似ていたのだった。
「よ〜し。じゃあ、あっちでお兄様が花の冠を作ってやるぞ!」
「ほんとう!?」
幼い弟妹が目を輝かせて、兄の両手を握った頃、カラカラとワゴンがやってくる音が聞こえてきた。
「あっ! おかあちゃまよ。おにいちゃま!」
妹が指差す先には、若い女性使用人にワゴンを押させながらやってくる女性の姿があった。
その女性はアズールスと面差しが似ていた。
そうして、ワゴンを押す使用人もマルゲリタにどこか似ていたのだった。
「おかあさま。ボクが手伝います!」
「ふふふ。ありがとう。でも、私はいいから、テーブルを片付けてくれる?」
近寄ってきた兄に対して、お母様と呼ばれた女性は指差した。
母親が指差した先には、四人掛けの白いテーブルセットが置かれていた。
テーブルの上には弟妹が使ったのであろう、ペンや紙、庭から摘んできた草花などで散らかったままになっていたのだった。
「はい! 片付けます!」
「奥様。それは私共の仕事です……」
「いいから。子供達にやらせてあげて」
ワゴンを押していた女性が慌てて母親を止めるが、母親は首を振ったのだった。
子供達の成長の為に、敢えて使用人ではなく子供達だけで片付けさせたいのだろう。
母親に言われた兄がテーブルを片付け始めると、それを真似するように弟と妹も片付け始めたのだった。
そんな子供達の姿を父親と、父親の隣にやってきた母親も微笑ましく見ていた。
やがて、子供達が片付け終わると女性がワゴンから取り出した白いテーブルクロスをテーブルに敷く。
それを合図に、他の使用人達もワゴンに乗っていたお茶とお菓子の用意を始めたのだった。
そうして、テーブルの上には、琥珀色の紅茶とケーキが用意された。
「あっ! ウサギさんだ!」
「ほんとだあ!」
白いケーキにはチョコレートでウサギの顔が書かれており、頭からはチョコレートで出来た耳が生えていたのだった。
妹はケーキを指差しながら、楽しそうな声を上げる。それにつられた弟も目を輝かせたのだった。
「おかあさま。このケーキは……?」
兄はケーキの皿を持ち上げながら、戸惑い気味に母親に訊ねると、母親は嬉しそうに口に手を当てながら答えた。
「それはね。我が家に伝わるレシピ本から見つけたのよ。何でも、ご先祖の魔女様が残したらしいの」
母親が答えている間にも、待ちきれなかった弟妹はケーキを食べ始めていたのだった。
「おいちぃよ。おかあちゃま、おにいちゃま」
口の周りにケーキのクリームをつけたままで、弟は話す。
そんな弟の口の周りを、兄の右隣に座っている母親が拭いたのだった。
「ほら。あなたも食べなさい」
母親に勧められた兄は、フォークをウサギのケーキにさして一口に入れた。
その様子を見ていたら、何故か柚子の口の中にも、甘い味が広がったのだった。
「……ん! おいしいです。おかあさま!」
そんな兄の言葉に、母親だけではなく、静かに紅茶を飲んでいた父親や、弟妹も笑みを浮かべたのだった。
やがて、笑顔の輪はその家族を見守っていた使用人達にも広がっていった。
自然と柚子も笑みを浮かべて、そんな家族の様子を見つめていたのだった。
次の日、朝になっても柚子とアズールスの間に会話は無かった。
どちらかから話しかけようとしても、ぎこちない空気だけが、その場を漂ってしまう。
マルゲリタとファミリアもどうすればいいのかわからないようで、困惑しているようだった。
柚子自身もこのままではいけないと思う。
けれども、どうすればいいのかわからなかった。
この日もアズールスと特段話す事もなく、きっかけもないまま、また別々に寝たのだった。
そうして、柚子はまた夢を見る。
この間の家族の夢だった。
今度は屋敷の中のとある部屋の中に立っていたのだった。
時間が経ったのか、昨夜の子供達は成長していた。
兄と呼ばれていた男の子は十歳くらいになっていた。
背丈も伸び、背筋もピシッとして直立していたのだった。
そんな兄の前には、父親と母親、少し成長した弟と妹が並んでいた。
何故か、母親は父親に肩を支えられて泣いており、弟妹も泣いていたのだった。
「どうしても、その学校に入学するのね」
「はい。お母様。僕はお父様の様な立派な軍人と跡継ぎになる為に、軍人を目指す子供達が大勢入学する、この士官学校に入ります」
どうやら、兄は学校に入学するようだった。それを母親と弟妹は悲しんでいるらしい。
「おにいさま……」
「おにいさま、いかないで……」
「お前達、今生の別れではないのだから、そんなに悲しむのはやめなさい」
「だって……。 おとうさま」
「それに、学校が長期休暇の時は帰省出来るのだ。手紙のやり取りも出来るのだから」
「でも、でも……」
妹が鼻をグズグズ言わせながら、父親に言い返そうとしたが、言葉にならなかったようだった。
次第に、兄の顔も曇っていったのだった。
「貴方、わかっております。けれども、学校は全寮制なのです。わかっておりましても、愛する息子と離れる事になって、悲しくないわけがありません……!」
母親はそう言い切ると、顔を覆って嗚咽を上げた。
父親はそんな母親を支えながら、空いた手で弟妹を抱きしめた。
そうして、兄をじっと見つめたのだった。
「必ず、立派に成長して戻って来い」
「もちろんです。お父様。それまで、どうか、お母様と弟達をお願いします」
直立不動のまま、背筋を伸ばす兄の姿に、父親は嬉しそうに笑ったのだった。
「頼もしくなったな。アズールス」