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言葉が通じなくても

次の日から、柚子は昼間は絵本を読んだり、少女と老婆の仕事を手伝い、夜はアズールスと一緒に寝る生活を送るようになった。

一つ変わった事と言えば。

「こんなにもらっても……」

柚子は本棚に入りきらない絵本をベッドに広げて悩んでいた。

柚子がやって来た次の日から、仕事から帰ってきたアズールスは柚子の為に大量の洋服ーーどうやって選んだのか下着も、や靴やバッグ、を買ってくるようになった。

その次の日は、大量の花、その次は大量のアクセサリーを買ってきた。

さすがに管理が大変な花と、値段が高そうなアクセサリーは受け取れないと、柚子が身振りで示すと、その次の日からは、大量の絵本を買ってくるようになったのだった。

「そろそろ要らないって伝えないと……」

アズールスが絵本と本棚ーーアズールスが取り付けてくれた。に入りきらなくなってきた絵本が、柚子の部屋を占拠しそうであった。

(本を読む事は好き。けれども、いつ元の世界に帰るかわからないのに、こんなに沢山もらっても)

アズールスの気遣いはとても嬉しかった。

この世界にやってきたばかりの夜にやった事への罪滅ぼしかもしれないが、柚子が生活に困ったり、退屈しないように、細やかな用意や手配をしてくれていた。

老婆や少女もアズールスから何か聞かされているのか、とても優しくしてくれる。

ただ、唯一、困っているのが。

(言葉が通じない事が、こんなに辛いなんて)

柚子は溜め息を吐く。

最初は身振り手振りで会話をしていたが、だんだん疲れてきた。

口で言った方が早いであろう事も、身振り手振りで話し、理解してもらうのに時間がかかってしまうのも辛くなってきた。

外国に移住したばかりの人も、こうやって苦労するのだろうか?

何より、やはりアズールス達が柚子についてどんな事を話しているのか気になって仕方がない。

これから先、柚子は自分がどうなるのか不安で仕方がなかった。

(もしも、このまま元の世界に帰れなかったら、売られたりするのかな……?)

嫌な想像をしてしまい、柚子は首を振る。

やはり、言葉が通じない事にストレスを感じているようだった。

「はあ……」

その時、部屋の扉が開いた。顔を見せたのは、少女だった。

「どうしたの?」

柚子は言葉が通じないとわかっていても、声を掛ける。

少女は柚子の元にやって来る。

柚子は少女がいつもと違い、よそ行き様の動きやすい格好をしている事に気づいた。

「出かけるの?」

柚子が外を指差して身振りで聞くと、少女は頷く。

そうして、柚子の手を引っ張って部屋の外に連れ出そうとした。

「ちょっと、待って……!」

柚子は革で出来たブーツーーアズールスに贈られた、を履くと、少女に手を引っ張られるがままついて行った。


やがて、少女は厨房にやってきた。

柚子が少女に連れられてやってくると、茶色の籠を持って勝手口の辺りで待っていた老婆が、驚いてゆっくりと柚子達の元にやって来た。

少女と老婆が話すと、老婆は諦めたように持っていた籠を少女に渡した。

今度は老婆は、柚子の洋服の襟元とワンピースーー今日は襟元に黒のリボン飾りがついた黒と茶のストライプ柄であった。の乱れを直してくれた。

そうして、柚子と少女を勝手口に連れて行ったのだった。

少女が持つ籠が空っぽなのと、老婆から硬貨らしきものを受け取っている様子から、どうやら少女が買い物に行くところだったが、柚子も一緒に行こうと声を掛けてくれたようだった。

少女は扉を開けながら、老婆に手を振る。

柚子も少女の真似をして、見送ってくれる老婆に手を振った。

そうして、柚子は始めて屋敷の外に出たのだった。


屋敷の外に出てはならないと、言われたわけではなかった。

元々、柚子は読書が趣味のインドア派で、外に出る必要性を感じていなかった。

だから、始めて少女と一緒に屋敷の外に出た事で、柚子はこの世界が自分が住んでいた世界とは全く違う事を、改めて実感したのだった。

(すご〜い。外国の市場みたい!)

屋敷から出てしばらく歩くと、街の中心部らしきところに出た。

更に少女に連れられて行くと、市場の様な場所に出たのだった。

布を張った出店の様なお店が、左右の道の脇にずっと続いていた。

お店には果物や野菜らしきものを始め、肉らしきもの、魚らしきもの、日用品、アクセサリーなどが売られていたのだった。

少女は慣れているのか、店主と会話をしながら買い物をして行った。

時折、店主が柚子を見ながら何かを話していたが、言葉が通じない柚子の代わりに、少女が全て受け答えをしてくれたのだった。

(私も早く、この世界の言葉を覚えないと!)

せめて、元の世界に帰れるようになるまで、アズールス達と簡単な会話くらいは出来るようになりたかった。

そうやって、柚子が決意を固めながら物珍しそうにお店を覗いて歩いていると、いつの間にか少女とはぐれてしまったのだった。

(ど、どうしよう……?)

市場も来た時より人が増えてきた。

夕方が近くなり、夕食の買い出しに来た人達で混み始めたのかもしれなかった。

柚子は混雑を避けながら、建物と建物の細い路地へと退避した。

迷子になった時は、無駄に動かない方がいいと思ったからであった。

少女が探しに来るまで、ここで休んでいようと、柚子が近くにあった木箱の上に座った時であった。

座ったばかりの木箱が、ミシミシと音を立て始めた。

慌てて、柚子は立ち上がった。柚子が立ち上がったのとほぼ同じくらいに、木箱は柚子が座っていた面のみ箱の中に落下したのだった。

「どうしよう……?」

弁償しなきゃいけないのかな、と考えていると、柚子の背後から足音が聞こえてきた。

少女が迎えに来てくれたのかと思って柚子が振り返ると、そこにはいかつい顔をした柄の悪そうな男が、指を鳴らしながら立ち塞がっていたのだった。

柚子が反対側の通路に向かって走り出すと、そっちにも同じように柄の悪そうな男が一人立ち塞がった。

完全に逃げ道を断たれた柚子は怯えながら、男達を見る。

「—————! —————!?」

何かを大声で罵倒されるが、何を言われているのか全くわからない柚子は、その場で身を縮めるばかりであった。

「あ……あ……っ!」

柚子の目には恐怖で涙が浮かんできた。

男の一人に手首を掴まれた時に、目をぎゅっと閉じる。


殴られるかもしれない、と衝撃に備えたが、いつまで経ってもその衝撃は来なかった。

柚子が恐る恐る目を開けると、柚子の手首を掴んだ男の隣に、見知った者の姿があったのだった。

「あ、ずー、るす……?」

柚子の手首を掴む男の手を、アズールスは握っていた。

アズールスが力を入れたのか、男が柚子の手首を掴む手を緩めた。

その隙に柚子は男から逃げて、アズールスの後ろに隠れたのだった。

やがて、アズールスが手首を握っていた男は、アズールスから逃げると握られていた手首をさすり始めた。

その間に他の男のが、アズールスに殴り掛かろうとした。

柚子は恐怖と衝撃から目を瞑ったが、アズールスは柚子を庇ったまま男達の攻撃を跳ね返したのだった。

それでも殴り掛かろうとしてくる男達の前に、アズールスは懐から取り出した小さな皮袋を男達の顔の前にちらつかせた。

アズールスが男達に何か話すと、男達は渋々ながらも皮袋を受け取って、立ち去ったのだった。

その時に男達が振り回した皮袋から金属同士がぶつかる音が聞こえた事から、おそらく、お金が入っていたのだろうと柚子は思ったのだった。


柚子はしばらく放心して、その場に座り込んでいた。

アズールスが柚子を心配そうに見下ろしている中、やがて少女が制服を着た男達を連れて来た事で、柚子は我に返る。

アズールスが制服の男達と話すと、男達は先程立ち去った柄の悪い男達を追いかけて行ったのだった。

「————? ——————?」

アズールスは心配そうに話しかけてきながら柚子の前にしゃがむと、顔を覗き込んできた。

俯いていた柚子は、アズールスに気がついて顔を上げると、涙を溢れさせた。

「ううっ……。うう……!」

アズールスの顔を見て安心した柚子は、その場で子供の様に泣き出す。

そんな柚子を、アズールスは何も言わずに、ただ優しく抱きしめてくれたのだった。


その後、柚子はアズールスに支えられるようにして屋敷に戻った。

老婆に事情を説明するのに、先に少女が屋敷に戻っていたようで、二人が屋敷に戻ると、丁度、少女が老婆に怒られているところに戻ってきてしまったようだった。

アズールスが少女と一緒に老婆に説明している間に、柚子は自室に戻る事にした。


自室は出掛ける直前の状態であった。

柚子がベッドから広げたままになっていた絵本を退かしていると、老婆が熱い湯を持ってやってきた。ついでに夕食はどうするかと身振り手振りで聞いてきたので、柚子は要らない事を身振り手振りで返したのだった。

柚子は身体を清めると、寝巻きに着替えた。

柚子はベッドの上に乗ると、膝を抱えて丸くなる。

(なんで、こんな目にばかり遭うんだろう)

この世界に来てから、怖い目に遭ってばかりだった。

(早く元の世界に帰りたい。帰りたいよ……)

そうして、柚子は静かに泣き出したのだった。


柚子が泣き止んだ頃には、いつの間にか、空は真っ暗になっていた。

燭台を灯していない室内は暗闇に包まれていたが、柚子は火を点ける気にはならなかった。

そのまま膝を抱えていると、不意に部屋の扉が開く。

柚子はそっと顔を上げた。顔を上げた時に、柚子の両目からは涙が溢れた。

ぼうっと灯る燭台を片手に持ちながら入ってきたのは、アズールスであった。

蝋燭の灯りに照らされた顔は、心配そうに柚子を見つめていたのだった。

アズールスは柚子が座っているベッドにやってくると、ベッドサイドにある部屋の燭台に火を灯した。

室内がますます明るくなり、柚子の顔がはっきりと見えるようになったからだろうか。

柚子の顔を見たアズールスは、柚子が泣いている事に気づいたようで息を飲んでいた。


アズールスは持っていた燭台を部屋の燭台の隣に置くと、ベッドに上がった。

ギシギシと音をさせながら、ゆっくりと柚子に近いてきたのだった。

アズールスとの距離がだんだん近くなってきた柚子は、緊張から俯いた。

しかし、アズールスは柚子の正面に来ると、俯いた顔をそっと持ち上げた。

そして、柚子の目尻に溜まっていた涙にそっと口づけると吸い取ったのだった。

柚子は驚きで目を見開く。

アズールスは柚子の両方の目尻に、小鳥が啄むように優しく口づけると、一度、身体を離した。

燭台からの光を受けた青色の瞳は、心配そうに、けれども優しく、柚子を見つめていたのだった。

(綺麗。アズールスさんの目、何度見ても綺麗……)

すると、今度はその口づけを柚子の唇に落としてくる。

柚子の両肩を軽く支えながらも、アズールスは深く口づけてきたのだった。

(嫌なのに、嫌じゃない……)

まだ最初の夜の事を忘れたわけではない。

けれども、ここ数日、アズールスと一緒に暮らしてみて、アズールスが悪い人ではない事に気付き始めていたのだった。

考えている内に、柚子はアズールスによって後ろに押し倒される。

倒れる時に一瞬だけ唇が離れるが、それでも、アズールスが口づけを止める事は無かった。

アズールスは柚子の身体の上に重なると、また口づけを再開する。

(言葉が通じるようになったら、聞いてみたい)

最初の夜の事や、柚子がどうやってこの世界に来たのか。

ーーそして、何故、こんなにも優しくしてくれるのかを。

また、アズールスは唇を離した。

いつの間にか、アズールスの青い瞳には熱っぽさが増していた。

柚子も同じ様に、アズールスを見ていたのだろうか。

アズールスは柚子の左頬を優しく撫でると、

また口づけを落とす。

今度はこれまでよりも、深くて長い口づけであった。

(アズールスさんの事を、もっとよく知りたい)

明日からは、この世界やこの世界の言葉についてもっとよく知ろう。

柚子はそう決意を新たにしたのだった。

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