ありがとう
地面に叩きつけられる衝撃を覚悟して目をつぶった柚子だったが、その衝撃はなかなかやってこなかった。
訝しんだ柚子が目を開けると、柚子の身体の下にはアズールスが仰向けで倒れていたのだった。
「あ、アズールスさん! 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ。ユズは軽いからな」
柚子はアズールスの上に馬乗りになりながら、アズールスの身体を摩った。
目を開けたアズールスと目が合った柚子だったが、どちらともなく笑い出したのだった。
「これじゃあ、この世界に来た時の逆ですね」
「そうだな。……スッキリしたか? やり返して」
「い……。そうですね。やはり、あれは衝撃的な出来事でしたから」
「いえ」と言おうとして、柚子は止めた。
アズールスには自分の気持ちを正直に伝えたいと思ったからだった。
アズールスは身体を起こすと柚子を抱きしめた。それから、柚子の顔にかかっていた髪を優しく耳にかけてくれた。
「……ありがとう」
そうして、口づけを交わしたのだった。
甘く抗い難い口づけからアズールスは唇を離すと、柚子の身体を持ち上げて立ち上がった。
「離して下さい! 自分で歩けます!」
お姫様抱っこをされる形になって柚子は抵抗したが、アズールスは気にせず歩き出した。
「靴を履いていないだろう。このまま歩いたら足が汚れる」
アズールスに言われて足を見るとら柚子は裸足だった。昨日まで履いていた靴は自室のベッド脇に忘れてきた。
「重いから、離して……」
「大丈夫。さっきも言ったが、ユズは軽い」
「もう……。離して、下さい……」
柚子が顔を真っ赤にしながら消え入りそうな声で抵抗したが、アズールスは気にしなかった。
「今夜は俺の部屋で寝るか」
屋敷の中に入る前に、アズールスは提案した。
「えっ!?」
(そ、それって……!?)
柚子の心臓はドキッと大きく鳴ったのだった。
それに気づいているのかいないのか、アズールスはいつもの顔で続けた。
「勿論、ただ『一緒に寝るだけ』だ。今はまだ……」
柚子は内心でちょっとガッカリしたが、すぐに気持ちを切り替えると「それは」と返す。
「アズールスさんの部屋で寝るのは、このまま、私の部屋で寝たら、アズールスさんまで、私の世界に行ってしまうかもしれないから?」
柚子が冗談気味に聞くと、アズールスもまたフッと笑って返してくれた。
「それも、いいかもしれないな。だが、マルゲリタとファミリアを置いては行けない」
「アズールスさんらしいですね」
そうして、二人は顔を見合わせて笑い合う。
この世界に残ると決めた柚子の心は、とても軽くなっていたのだった。
柚子はアズールスの肩ごしに屋敷の影となって見えなくなっていく、ピンク色の月を見上げた。
(次に帰れるのは、アズールスさんの子供を産んだ時)
それは、いつになるかはわからない。
それまで元の世界とは、しばしの別れとなるだろう。
柚子はピンク色の月が屋敷の影に隠れて完全に見えなくなるまで、元の世界との別れを惜しんだのだった。