選んだのは
コースタル達に後始末を任せて、柚子はアズールスの馬に同乗して屋敷に戻ってきた。
柚子は馬に乗った事が無いからと尻込みしていたが、アズールスに「俺を信じろ」と言われてアズールスに乗せてもらった。
アズールスは軍人だっただけあって、馬の扱いに慣れていた。
柚子はそんなアズールスに安心して、身を任せられたのだった。
屋敷に着く頃には、ピンク色の月は昇っていた。
屋敷の中に入ると、心配していたマルゲリタとファミリアに迎えられた。
「ユズ、元の世界に帰れる時間が迫っている」
柚子は二人に迷惑をかけた事の謝罪と、別れを簡単に告げると、アズールスに手を引かれて、部屋に戻ったのだった。
柚子の自室の前に来ると、アズールスは名残惜しそうな顔をした。
「……元気で」
何か言いたげなアズールスが気になった柚子は、アズールスに何か言わねばと思った。
だが、何を言えばいいのかわからぬ内に、アズールスは自分の部屋に戻って行ったのだった。
柚子は自室に戻ると、着ていた服を脱いで、この世界に来た時に着ていたパジャマに着替えた。
そうして、ベッドの中に入る。
真っ暗な部屋の中に、月明かりだけが入ってきた。
ーーこのまま、目をつぶって眠りについたら、次に起きた時は元の世界に戻っている。
柚子にはそんな確信があった。
きっと、元々寝ていた部屋の、寝ていたベッドの上に戻っているはずだ。
しかし、それでいいのだろうかーー?
柚子の頭の中は、アズールスの事で頭がいっぱいになっている。
(アズールスさんは自分の事は忘れて、元の世界で夢を叶えて欲しいと言っていた)
だが同時に、頭の中には昨夜アズールスに言われた、「ユズの事が好きだ」という言葉も残っている。
(私はどうしたいんだろう。アズールスさんに助けてもらってばかりで、何も返せていない)
この世界に来た時から今まで、アズールスには助けられてばかりだった。
自分はアズールスに何も返せていない。
それどころか、アズールスの「願い」でさえ果たしていない。
それだけじゃない。私はーー。
(私はアズールスさんに、自分の気持ちを何も伝えていない!)
このままじゃいられない。
柚子はベッドから飛び出すと、隣の部屋に向かった。
「アズールスさん? アズールスさん居ますか?」
柚子はアズールスの部屋の扉をノックするが、アズールスの返事は無かった。
「アズールスさん。入りますよ」
もう寝てしまったのかもしれない。
それでも構わないと、柚子は部屋に入ったのだった。
部屋の中には誰もいなかった。ベッドも確認したが、アズールスは寝ていなかった。
(アズールスさん、どこに行ったの?)
柚子は何気なく、アズールスの部屋のバルコニーに出てみた。
空にはピンク色の月が高い位置に昇っていた。
「ユズ?」
柚子がバルコニーから月を眺めていると、下から名前を呼ばれた。
「アズールスさん!? お庭に居たんですか?」
アズールスは庭に立っていた。
部屋に戻った時に着替えたのだろうか。アズールスの服は部屋着へと変わっていた。
アズールスは驚愕の顔で、柚子を見上げていたのだった。
「何故、俺の部屋に居るんだ? それより、早く自分の部屋に戻るんだ! 元の世界に帰れなくなる!」
アズールスは部屋に戻るように言ってくるが、柚子は首を振った。
「私は、まだアズールスさんに何もお礼をしていません!」
「ユズは充分過ぎるくらい礼をしてくれた。誰かと過ごす時間の大切さ、夢を追いかける事の大切さを教えてくれた。それだけでもう充分だ」
アズールスは微笑んだ。その笑顔はとても寂しそうだった。
また、アズールスは自分の気持ちに嘘をついている、と柚子は思った。
昨夜の「帰らないで欲しい」がアズールスの本当の気持ちで。
けれども、アズールスは柚子の気持ちを尊重しようとしてくれる。
アズールスは優しい。優し過ぎる。
失うくらいなら、自分から手放す事にしたのだ。
柚子は泣きそうになって歪ませていた口を大きく開くと、アズールスに向かって叫んだ。
「私はアズールスさんの事が好きです!」
アズールスは、ハッとして柚子を見つめてきた。
「だから、アズールスさんの側に居たい。アズールスさんの近くに居たい。これからも!」
柚子はバルコニーから身を乗り出しながら続ける。
「アズールスさんは私の夢を応援してくれると言ってくれました。だったら、私は応援してくれる人の近くで夢を叶えたい。夢を叶えた姿を見て欲しいんです」
口先だけの「応援している」なら、元の世界で散々言われた。
けれども、アズールスが言っている「応援している」は本当に心がこもったものだった。
「このままだと、元の世界に帰っても後悔ばかりして……。アズールスさんの事を忘れられそうにない。気持ちに区切りをつけられそうにないです!」
「ユズ……」
アズールスは柚子が立っているバルコニーの近くまでやってくると、立ち止まった。
月明かりに照らされたアズールスの黒髪が輝いているように思えたのだった。
元の世界に戻ったとして、またアズールスの様な人に出会えるだろうか?
アズールスの様に、人の夢を大切にして、応援してくれる人と。
「それに」
柚子は涙を流しそうになって言葉を切った。
これを言ってしまったら、元の世界に帰れなくなるような気がした。
でも、言いたかった。伝えたいと思った。
言わなければ、きっと後悔する。
柚子は大きく息を吸い込むと、バルコニーから更に身を乗り出した。
そうして、庭に居るアズールスに向かって、精一杯、叫んだ。
「私はアズールスさんの事が好きです! だから、もっとアズールスさんの事を知りたい!」
すると、アズールスはこれまで見た事がない、とびきりの笑顔で返してくれたのだった。
「俺もだ」
その言葉に、柚子は破顔した。
ようやく、二人の想いが重なったのだと。
安心してアズールスを見つめていた柚子を、ひときわ強く風が吹いた。
バルコニーから身を乗り出していた柚子はバランスを崩しそうになった。
「ユズ!?」
「大丈夫です! だいじょ……」
柚子は返事をする時に、身体を支えていた腕の力を抜いてしまった。
「あわわわ!」
片腕だけでもバルコニーを掴もうとしたが、柚子の体重を支えきれなかった。
「ユズ!」
柚子はバルコニーから転落してしまったのだった。