秘密と過去1
自室で寝ていたアズールスは、そっと目を開けた。
瞬きをすると、目尻に溜まっていた涙が落ちて行った。
(あの夢か……)
アズールスはベッドから起き上がると、乱れた黒髪を手で掻いた。
家族が亡くなった夢を見たのは久しぶりだった。
柚子が来るまで、家族の夢は久しく見ていなかった。
夢を見たくなくて、身体が疲れるまで仕事をしていたということもある。
しかし、柚子がやって来て、柚子と一緒に寝ていた頃から、アズールスは毎晩ではないが、家族の夢を見るようになったのだった。
「家族か……」
夕方、アズールスは書斎の引き出しに隠していた家族の姿絵を見ていた柚子に、ひどい事をしてしまった。
あれから、自己嫌悪から自室に戻ったアズールスは湯を浴びると、今まで寝ていたのだった。
何故だろう。柚子に好かれたいと思っているのに、気づくと柚子を傷つけるような事をしてしまっている。
そうして、柚子を傷つけてしまう度に、自己嫌悪に陥ってしまう。
(ユズを召喚した時は、自分の願いさえ叶えてくれれば、それでいいと思っていたのに)
自分の願いーー自分の子供さえ産んでくれれば、正直、後は好きにするつもりだった。
自分の世界に帰りたければ、帰ってくれればいい。
この世界に残りたいなら、残ればいい。
目的さえ果たしてくれるなら、アズールスはそれで良かった。
しかし、気がつくとアズールスは柚子に好かれたいと思っていた。
それどころか、自分の願いを叶えてくれた後も、元の世界に帰したくないとさえ思っている。
自分でもどうかしていると思う。
どうして、こんなにも柚子が気になっているのだろうーー。
アズールスはベッドから起き上がると、ベッド脇のテーブルの上に置かれている水差しを持ち上げる。コップに入れようとするが、水差しの中は空っぽであった。
(今日は汲んでこなかったな)
アズールスはなるべく自分で出来る事は、マルゲリタやファミリアの力を借りずに、自分でやるようにしていた。
マルゲリタが歳という事、ファミリアがまだ幼いという事もあるが、あまり二人に苦労をかけたくないというのもあった。
なので、アズールスは自室の水差しも、毎晩、自分で用意をするようにしていたのだった。
(今から汲んでくるか)
もう夜も遅いから、マルゲリタもファミリアも寝ているだろう。
こんな事で二人を起こすのも悪い。
アズールスは水差しを持つと、部屋を出たのだった。
厨房で水瓶から水を汲んで戻る途中、柚子の部屋の前で立ち止まった。
(ユズは、よく眠れているだろうか)
柚子がやってきた時ーー柚子を召喚した時、アズールスは気持ちが逸るばかり、柚子の上に馬乗りになった。ーーさすがに柚子の服に手を掛けようとした時、自分が何をしようとしているのか気づいてそこで止めた。
マルゲリタ達を起こさないように柚子の口を塞いだのは、逆効果だったようだ。
気づいた時には、柚子は恐怖のあまり気を失ってしまっていた。
それ以上は何もせずに、ただ気を失った柚子が寒くならないように毛布を掛けて、その横顔を眺めていた。
そして、いつの間にか柚子の隣で寝てしまったのだった。
言葉が通じていないと知った時、アズールスは柚子がこれ以上、不安や恐怖を感じないように守ろうと思った。
さすがに柚子がきた最初の日の朝、柚子の様子に異変を察したマルゲリタに事情を聞かれて、柚子を召喚した時の事を話したら怒られた。
あそこまでマルゲリタに怒られたのは、かなり久しぶりだった。子供の時、以来かもしれない。
それからは柚子を少しでも慰めたくて、様々な贈り物をした。
最初の日の夜、ファミリアから借りた絵本を楽しそうに読んでいた事から、本が好きなのだろうと当たりをつけたら本当だった。
柚子の嬉しそうな顔や楽しそうな顔を見られて、アズールスも嬉しくなっていた。
柚子に少しでも好意を持ってもらっていると思い込んでいた。
だからこそ、柚子に「自分の子供を産んで欲しい」と話した時に嫌がられた事が、ショックだったわけだが。
アズールスが柚子の部屋の前から立ち去ろうとした時だった。
微かに、柚子の部屋からうなされているような声が聞こえてきたのだった。
「ユズ?」
アズールスが柚子の部屋の扉に耳をすますと、声の主はやはり柚子であった。
「ユズ!」
アズールスは扉をノックする。
しかし、何度ノックしても柚子はうなされたままだった。
「ユズ、入るぞ!」
そうして、アズールスは部屋に入ったのだった。
「ユズ! ユズ……!」
柚子は誰かに名前を呼ばれながら、肩を揺すられて夢から覚めた。
「アズールスさん……?」
目の前には、夕方に別れたままのアズールスが心配そうに見つめていた。
「ユズ、大丈夫か? うなされていたようだったが」
「ええ。まあ」
柚子は起き上がると、目からポロリと雫が落ちた。どうやら、泣いていたようだった。
アズールスは柚子のベッド脇に置いてある水差しの隣にあったコップを手に取った。
そうして、何故かもう一つあった水差しから水を入れると、柚子に渡してきたのだった。
「ありがとう、ございます……」
冷たい水を飲んだ事で、柚子の目はすっかり覚めていた。
柚子が空いている手で濡れている目を擦っていると、アズールスが布を差し出してきたのだった。
「泣いていたが、悲しい夢を見ていたのか?」
「はい……」
「……どんな夢か、聞いてもいいか?」
夢を見て泣いてうなされていたところを見られた以上、アズールスに隠しておく事は難しかった。
柚子はコクリと頷くと、夢の内容について話した。
アズールスは驚いていたが、やがて悲しい顔をしながら、柚子の頭を優しく撫でたのだった。
「すまなかった。俺の記憶のせいで、ユズに悲しい思いをさせていたのだな」
しばらく、アズールスは無言で柚子の頭を撫で、柚子も無言で水を飲んでいた。
柚子が持っていたコップが空になった頃、アズールスは柚子に横になるように促した。
そして、アズールスも柚子の隣で横になった。
「アズールスさん?」
「また、俺の夢を見るかもしれないだろう。今夜は……。いや、これからは俺も隣で一緒に寝よう」
柚子が何か言う前に、柚子はアズールスの腕の中にいた。
すっかり目が覚めたと思っていたが、アズールスの体温で身体が温まっていく内に、柚子はだんだん微睡んでいった。
瞼は重くなっていき、柚子はそっと目を閉じた。
その日は夢を見る事もなく、朝まで眠れたのだった。
次の日、柚子が目を覚ますと既にアズールスは仕事に行っていた。
アズールスのおかげで、あの後、柚子はグッスリ眠る事が出来た。
アズールスに礼を言わねば。と柚子はその日
、アズールスの帰りを、今か今かと待っていた。
夕方、アズールスが帰宅したと聞くと、柚子はアズールスの部屋に向かった。
「アズールスさん、あの……!」
慌てていた柚子は、アズールスの部屋の扉をノックするのを忘れて開けてしまった。
扉を開けると、部屋着に着替え中の上半身が裸のアズールスが、目を見開いて固まっていたのだった。
「ユズ?」
「あ……、あの、その、ごめんなさい!」
柚子はそのまま部屋を出た。
(アズールスさんの身体、ちゃんと見たのは始めてかも)
今は公文書館で働いているとはいえ、元は軍人だったアズールスの身体は適度に引き締まっていた。
ほどよくついた筋肉も魅力的だった。
柚子は赤くなった顔を両手で押さえながら、部屋に戻ったのだった。
コンコン、と柚子の部屋の扉がノックされた。
「はい?」
「ユズ。俺だ。入るぞ」
部屋に入ってきたのは、アズールスだった。あの後、柚子はアズールスと共に夕食の席に着いたが、まともにアズールスの顔を見る事が出来ず、早々に部屋に戻ってしまった。
柚子が返事を返す間も無く、アズールスは部屋に入ってきた。
「アズールスさん?」
「そのままでいい」
ベッドに入って書斎から借りてきた読んでいた柚子は、アズールスに言われてベッドから出ようとした形で止まった。
アズールスはベッドまでやってくると、当たり前の様にベッドに上がる。
そうして、当たり前の様に柚子の隣にやってきたのだった。
「どうしたんですか?」
「どうしたとは、こちらが聞きたい。さっき、部屋にやってきただろう。何か用事があってきたんじゃなかったのか?」
さっきとは、柚子がアズールスの部屋を訪ねた時の事だろう。その時のアズールスの姿を思い出して、柚子は顔が赤くなった。
「あの時は、ノックもせずに部屋に入ってしまってすみません。昨夜のお礼を言いたくて」
「昨夜? いや、ユズがよく眠れたのなら良かった」
「それだけじゃないんです」
アズールスは笑ったが、柚子に言われて首を傾げた。
柚子は絵本をベッド脇のテーブルに置くと、アズールスの方を向いた。
「アズールスさんが……。私を召喚した理由を話してくれた時。私、ちゃんとアズールスさんの話を聞いていなかった。だから、改めて聞きたかったんです」
「アズールスさん」と柚子はアズールスの目を見つめる。
「アズールスさんが子供を欲しがるのは、何か理由があるんじゃないんですか?」
これまでの夢を見て、アズールスは「家族」に対して特別な思い入れがあるのではないかと思った。
柚子だけじゃない、アズールスは使用人のマルゲリタやファミリアも大切にしているようだ。
そこには何か理由があるはずだ。
その理由を聞きたい。
それを聞いた上で、アズールスの願いを叶えるか決めてもいい筈だ。
「教えて下さい。アズールスさんが私を召喚した本当の理由を」
アズールスはどこか遠くを見つめるような、
静かな目をした。
一瞬だけ、青色の瞳は、悲しげに揺らいだ。
「わかった。ユズは私の過去を夢で見ている。知る権利はあるだろう」
「長くなるから、横になって聞きなさい」と、アズールスに促されて、柚子はベッドに横になった。
アズールスも柚子の隣で毛布に入り、仰向けになると語り始めたのだった。
「我が家は今でこそ、俺と使用人であり俺の乳母のマルゲリタと、その孫娘のファミリアの三人しかいないが、元々は使用人もたくさんいて、もっと大きな屋敷に住んでいたんだ」
アズールスの一族は、子爵の爵位を賜っていた貴族だった。
先祖の代から栄子衰退を繰り返しつつも、子爵の位を維持し続けてきた。
子爵という爵位自体は、爵位の中で下から二番目という事もあり、そう高くはないが、国で子爵の地位を持つ家の中でも、指折りに入るくらい裕福な家庭だった。
その理由として、大きな功績こそは上げてこなかったが、ひとえに代々軍人を多く輩出させてきたからだと考えられている。
アズールスの父親は、一族の直系の血を引く当主でもあった。
アズールスが産まれる前に、子爵であった父親から爵位と土地を譲られたとの事だった。
一夫多妻が主流の貴族社会の中、他の貴族とは違い、アズールスの父親は、生涯たった一人の女性を愛し続けた。
それがアズールスの母親であった。
アズールスの母親が最初に産んだ跡継ぎとなる男の子、それがアズールスであった。
「最初、俺の乳母は別の女性だった。
しかし、途中で乳の出が悪くなってな。その次に乳母になったのがマルゲリタだった。
マルゲリタの家は、代々、我が家に仕えている使用人の家系でな。
マルゲリタも我が家に仕えていたが、さすがに未婚のまま歳を重ねていくのを見かねた父が、『このまま嫁に行き遅れたら、それこそマルゲリタの両親やそのまた両親に失礼だ』と。父は屋敷で働いていた男の使用人を紹介して、マルゲリタと結婚させたんだ。
それでマルゲリタは一人娘となるファミリアの母親を産む。その後、また子供を何人か産むんだが、いずれも長生き出来なかった。やがて、マルゲリタの夫は病を患い、早くに亡くなった。
それもあって、歳を取っていながらも、まだ乳が出たマルゲリタが、俺の乳母になったんだ」
そうして、その数年後に産まれたのが、アズールスの弟と妹となる双子の弟妹だった。
「俺は十歳になるまで家族と共に過ごした。その後、父と同じような軍人になる為に、士官学校に入る事になった。それが全寮制の学校だったんだ」
アズールスの父親は、爵位を受け継ぐまでは軍人として働いていたらしい。
爵位を受け継ぐ時に軍を辞めたが、辞めた後も部下や同僚から信頼され、時には屋敷に相談に来る者さえいたらしい。
父親の死後、葬儀に来た父親の部下は悲しげに「父君は素晴らしい人格者だった」と、アズールスに言ったらしい。
そんな父親に憧れたアズールスは、父親も通った士官学校に入る事にした。
この士官学校では、十歳から入学を許されており、卒業までの八年間を、同じ志を持つ仲間達と共同生活をさせながら、協調性を学ばせようとする方針らしい。
「当然、母と弟達は反対だった。しかし、俺はそんな反対を押し切って、士官学校に入学したんだ」
アズールスは窓に視線を向けた。
「……そこが、俺と家族の運命を分けたな」
アズールスが十四歳の時、アズールスは士官学校の長期休暇を利用して屋敷に戻るはずだった。
その途中、大雨に降られたアズールスは、足止めを余儀なくされたのだった。
「ようやく屋敷に戻った時、家族は既に避暑地に向かっていた。我が家では毎年、夏は別荘がある避暑地で休暇を過ごすんだ」
足止めされたアズールスを待つ事が出来ず、先に出掛けてしまったと、アズールスは留守番をしていたマルゲリタから聞いたのだった。
「その頃、ファミリアを産んでからずっと産後の肥立ちが良くなくて、寝たきりになっていたマルゲリタの娘ーーファミリアの母親が亡くなったばかりでな。
ファミリアの父親は屋敷の御者だったから、家族が乗っていた馬車を操っていたらしいんだ。いつもファミリアの父親が仕事の間、ファミリアの面倒を見ていたのが、マルゲリタだった」
マルゲリタから話を聞いたアズールスは、明日にはファミリアの父親が屋敷に戻ってくるはずだから、それに乗って行くつもりで待っていた。
しかし、次の日になってもファミリアの父親は戻って来なかった。
そして、屋敷で待っていたアズールスにもたらされたのは。
「大雨で崖がぬかるんでいたらしい。家族が乗った馬車は、馬車ごと崖から滑落したらしい」
滑落する瞬間を、後続の馬車が見ていたらしい。
馬が足を滑らし、御者台にいたファミリアの父親が馬を操作したらしいが、間に合わなかったとの事だった。
馬車はそのまま、崖下へと落下していった。
「その数日後、家族の遺体が屋敷に運ばれた。ファミリアの父親も。発見した人達によると、父と母は弟達を守るように亡くなっていたらしい」
馬車の数を減らす為に、家族で同じ馬車に乗っていたのが仇となった。
しかし、跡継ぎとなるアズールスだけが生き残ったのが幸いだと言われた。
アズールスが跡を継げばよいと、周りには言われた。
だがーー。
「他の使用人達は、『こんな子供に仕えられない』と辞めていった。中には、俺が子供である事を甘くみて、屋敷の財産に手をつけた者もいて俺が解雇した」
一人、また一人と辞めて、解雇させられて。
残ったのは、マルゲリタとまだ幼いファミリアだけだった。
「そんなある日、家族の葬儀がまだ終わる前に、叔父が屋敷にやってきたんだ」
アズールスの叔父ーー父の弟で軍人だったが、部下に暴力を振るったとされて解雇されていた、が『自分がアズールスの後見人になるから、兄の財産を寄越せ』と言ってきた。
アズールスは拒否したが、叔父はアズールスが子供である事、アズールスが軍人になりたがっている事を理由に執拗に迫ってきた。
ただの使用人であるマルゲリタには意見をする権利が無かった。
アズールスは叔父の言う通りにするしかなかった。




