隠されていたモノ
次の日の夕方、アズールスに運んでもらった本を読み終えた柚子は、再び書斎へとやって来た。
昨日はあの後、アズールスに本を運んでもらった時の事が忘れられず、集中して読めなかった。
今朝、アズールスが仕事に行ってからは、マルゲリタやファミリアの手伝いとして屋敷内の掃除や庭の手入れをしていた。
それもあって、柚子が書斎から借りた本を全て読み終えたのが、手伝いが終わった夕方になったのだった。
マルゲリタが腰を痛めている事を知ってからは、柚子は積極的にマルゲリタを手伝うようにしていた。
マルゲリタは「旦那様の大切な客人であるユズ様に手伝わせるなど」と、最初は恐縮して手伝わせてもらえなかった。
しかし、これまでは主人であるアズールスが手伝っていたのと、ファミリアに頼むより柚子に頼んだ方が幾分か安心出来るからか、最近ではマルゲリタから手伝いを頼まれる事も増えてきたのだった。
ーーそうは言いつつも、買い出しやお使いなどの外に出るような手伝いは、今もまださせてもらえないが。
マルゲリタ曰く、この国では柚子やアズールスの様な黒髪は珍しいらしく、場合によっては人買いに高く売れる事もあるらしい。
アズールスは男であり、元・軍人と経歴もあるので大丈夫だろうが、柚子は女であり、男達に襲われた前科があるという事で、アズールスなどの供無しで出掛けるのは危ないという事だった。
「これで、全部、棚に戻したかな?」
柚子は借りていた本を全て元あった棚に戻した。
書斎の本はある程度、内容別に分かれて仕舞われているようだった。
どの内容の本がどの辺りにあるのか、借りていた本がどの辺りにあったのかは、何故かまた柚子の頭の中にぼんやりと浮かんできたのだった。
(まただ)
この頃、何故か「知らないはずなのに、知っている」と言った現象が増えてきた。
マルゲリタの手伝いをしている時も、どこにどんなものが仕舞ってあるのか、マルゲリタやファミリアがどこにあるのか知らないものの場所も、何故か柚子は知っていた。
マルゲリタ曰く「旦那様しか知らない様なものの在処や場所も知っている」らしい。
柚子自身も誰かから教わったわけでもないのに、何故知っているのか不思議であった。
次にどんな本を読むか本を選んでみると、また書斎の机の引き出しが気になったのだった。
「どうして、こんなに、この机の引き出しが気になるんだろう?」
何故気になるのか、それは柚子自身にも分からなかった。
けれども、ここに何か「大切なもの」があると柚子はなんとなくわかった。
ーーその「大切なもの」を知ったら、何かが変わる事も。
(開けてみよう。ずっと気になったままなのも落ち着かないから)
柚子は決心すると、書斎の鍵を机の鍵穴に入れた。
鍵は鍵穴に入り、柚子は緊張しながらも鍵を回した。
鍵は苦も無く回りきると、カチャリと音が聞こえた。
柚子は鍵穴から鍵を抜くと、引き出しの中でも特に気になっていた下から二番目の引き出しを開けた。
そこに入っていたのは。
「これは、姿絵なの?」
引き出しの中の一番上には、コピー用紙サイズくらいの大きさの紙が折りたたまれて入っていた。
柚子が広げると、そこには子供の頃のアズールスと、アズールスの家族の姿絵が描かれていた。
その姿絵には、柚子が夢で見ていた子供の頃のアズールスとその父親と母親、そして幼い弟妹の姿があったのだった。
父親と母親が豪華そうなソファーに座っており、その二人の膝の上には弟妹が座っており、ソファーの後ろには兄ーーアズールスが立っていたのだった。
五人全員が幸せそうな顔をしていた。
「みんな、いい笑顔」
柚子は自然と口元を緩めたのだった。
その時、書斎の扉がバンと勢いよく開かれた。
開けた時の衝撃で、書棚の本が揺れたのだった。
「やはり、そういう事だったのか……」
「アズールスさん?」
扉を開けたのは、いつのまにか仕事から帰ってきていたアズールスであった。
仕事の時の格好のまま、アズールスは柚子へと近づいて来た。
アズールスの顔は、厳しい形相であった。
それに気圧された柚子は後ろへと下り、背後の書棚に背中をぶつける。
その衝撃で、ぶつかった書棚の本が揺れたのだった。
「おかしいと思っていたんだ。ユズは俺しか知らない様な事も知っていた。公文書館の本もそうだった。屋敷内の事も。そうして」
アズールスは柚子が持っていた姿絵を指差した。
「この引き出しの開け方と、誰にも話した事がないこの姿絵の場所も」
「どういう事ですか?」
アズールスは柚子の頭を挟む様に、書棚に手をついた。
「ユズを召喚する時に使用した召喚書に書いてあった。
『召喚者は召喚主と心を通わせると、召喚主の情報を共有出来る』と。
てっきり、『心を通わせるとは』肉体関係を持つ事だと思っていたが、文字通りの意味だったんだな」
「心を通わせる……?」
アズールスは右手で柚子の顎を掴むと、上を向かせた。
「ユズは覚えているか? 言葉が通じるようになった日の前日の夜、俺達が何をしたのかを」
「はい……」
言葉が通じるようになった日の前日の夜ーーアズールスと柚子が深い口づけを交わした日だ。
アズールスと口づけをしたのはーー心を通わせたのは、あの日が最初であった。
そしてーー最後でもあった。
次の日、柚子は言葉が通じるようになったアズールスから、召喚された理由を聞いて激怒して、それきりになっていた。
「それがきっかけとなって、柚子は俺と情報を共有した。俺がその日までに得た知識や情報ーー言語や記憶を共有したんだろう。
それで、柚子はこの世界の言葉を話し、理解出来るようになっただけではなく、読む事も出来るようになった。
俺が得た知識や情報だから、俺以外身近で誰も読める者がいないと思っていた異国の言葉も、読めたんだろうな」
「もしかしたら、書く事も出来るんじゃないか」とアズールスに言われるが、柚子は困惑しており、なかなか話が理解出来なかった。
つまり、アズールスと心を通わせた事がきっかけで、言葉が話せて、理解出来て、文字が読めて、アズールスしか知らないような記憶も、柚子の中に入ったという事なのだろう。
ーーほぼ連日、見ている夢。あれもアズールスから共有された記憶だったのだ。
「ユズ」
アズールスは優しい声音で話しかけてくるが、柚子はどこか怒っているような恐怖も感じていた。
「俺の記憶を、どこまで知っている」
「……知りません。全く」
夢の事を話すべきだろう。しかし、柚子は話せなかった。
これまで、アズールスは仕事や屋敷に関しては話してくれたが、アズールスの「家族」に関する話をしてくれなかった。
それはーー「家族」は、きっとアズールスにとっては、触れられたくない大切な記憶なのだ。
むやみやたらに覗いてはいけないもの。
他人であるユズが、気軽に話してはならないもの。
誰でも持っていて。誰にも侵されたくない、大切な、守りたいものなのだ。
だから、柚子は知らない振りをしなくてはならない。
「本当に?」
「はい」
柚子はアズールスの真っ直ぐな青い瞳を直視出来なくて目を逸らす。
すると、アズールスは寂しそうに言ったのだった。
「……俺の目を見ては、話してくれないんだな」
「えっ……」と柚子が目線をアズールスに戻すが、アズールスは既に柚子の顎から手を離しており、書斎から出て行こうとしていた。
「アズールスさん、まっ」
柚子が声を掛ける前に、書斎の扉が静かに締まった。
やがて、足音は遠ざかって行ったのだった。
力が抜けた柚子はその場に座り込んだ。
俯くと、両手をグッと握り締める。
(傷つけちゃったのかな……)
目から涙が溢れそうになり、柚子はますます両手をグッと握りしめる。
柚子は座り込んだまま、しばらくその場から動く事が出来なかったのだった。




