精霊の森2
本来なら休むはずだった馬たちも急に走らされたのか、なんとなく遅い気がした。
しかし表情を見れば動物でも必死なのも伝わる。
そして後ろからは
ばああああああああん!
「くっ! シャル様、先に!」
「駄目よ! 全員全力で走って!」
「ですが!」
次の瞬間だった。
「はっ! シャルロット! 止まって!」
「くっ! てえええいい!」
手綱を思いっきり引き、馬を止める。
周囲の兵たちもシャルロットに合わせて一斉に止まった。そして。
『がああああああああああああ!』
目の前には大きな四足歩行で鼻には大きなツノが二本ある動物。その周囲は黒い霧がモヤモヤと渦巻いている。
「ま……魔獣!」
「シャル様! 下がってください!」
「全員前へ!」
「まっ……」
シャルロットは右手を前に出したまま、固まっていた。
おそらく『待って』とかそういう言葉を言いたいのだろうけど、恐怖で言葉が出ないのだろう。
魔獣は人間と違って予測不能な魔術を使用し、それでいて肉体強化もされている。小さい魔獣なら多分シャルロットも撃退できるだろうけど、これは大きすぎる!
「かかれー!」
「うおおおおおお!」
兵たちが魔獣に突撃する。
が、
『ぎゃあああああああああああああああ!』
すさまじい咆哮。そして
「ぬああああああ!」
「がああああああああ!」
兵たちは吹き飛んだ。
「え! な、何!」
「魔術だ」
「魔獣が魔術!?」
予測できない魔獣の魔術。しかし不幸中の幸いで、魔獣が使える魔術は数が少ない。今の魔力が付与された咆哮があいつの攻撃手段だとすれば、なかなか近くに行くことはできない。遠距離の攻撃が可能な厄介な魔獣だ。
そして攻撃が当たらなくても、すぐに次の攻撃が来るという事実に俺は若干の恐怖を感じた。
魔術を使う場合は恐怖や憎悪が邪魔になる。それによって集中力が途切れて、魔力が暴走したり、何も起こらなかったりする。
「ひ、姫……逃げて」
「がはっ」
「い、いや……」
血まみれで倒れる兵たち。それを見て震えるシャルロット。
俺はそっとシャルロットの腰にある小さな短剣を取り、馬から降りた。
「リエン! ちょっと、何を」
「この小さな剣なら片手でも持てる。魔獣は魔力の核を攻撃すれば絶命する。そしてその核は……」
俺は『魔力探知』を使った。改めて見上げると俺の三倍くらいの高さがある。そして魔力の核は……右目!
「こんな魔獣、母さんの目玉の悪魔よりは怖くない! やあああああ!」
俺は走った。
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
「『魔壁』!」
魔獣が吠える。同時に魔力の衝撃がこちらに向かってくる。俺は魔力の壁を張った。
ガリガリと削れる音が鳴り響くも、しっかり守れた。
「行ける!」
そう思った。いや、『思ってしまった』。
「リエン! 左!」
「へ?」
今まで味わったことのない衝撃。そして痛みが俺を襲った。
左から魔獣のツノが迫っていた。
そうだ、相手は魔獣であり魔術師では無い。魔術のようなものが使える巨大な猛獣だったことを忘れていた。
「がはっ!」
「リエン!」
「ぐう、リエン殿」
呼吸ができない。
地面に顔をついていると、ドシ、ドシっと足音が迫っていた。魔獣は俺を狙っている。
「いや……やめ……」
シャルロットの悲痛な声がかすかに聞こえた。
「……『火…』」
ばああああああああああん!
すさまじい音が鳴り響いた。
一瞬何が起こったか理解できなかった。
少なくとも自分に何かが襲ってきた感触はなかった。
あまりの痛みで気を失いかけながらも首を上げると、そこには一人の少女が立っていた。
銀色の長い髪を持つ小さな少女。
その子の正面には魔獣が……大きな穴の開いた魔獣が立っていた。
信じられない光景を前にして、俺はそのまま気を失ってしまった。
☆
「はっ!」
目を覚ますと俺は布の上に寝ていた。
「む、リエン殿が目覚めた!」
「へへ、良かったぜ」
「姫……シャル様に報告だ!」
兵士たちが慌てている様子。
「当然です。約半日寝込んでいたのですから」
湿った布で傷口を拭かれる。ん? 拭かれている……誰に?
目の前には緑色の髪、そして長い耳の少女がいた。
「ぬああああ!」
「きゃ! え、い、痛かったですか?」
「あ、いや、え、エルフ……の方ですか? どうして?」
いやまあここは精霊の森だからエルフがいるのは当然なんだけど、普段顔を出して来ないからすごく驚いた。というか初めて見たんだけど!
「突如現れた魔獣の被害は大きく、村長からの指示で今森に来ている外の人の手当をしに来ました」
「それはどうも……」
やはりあの魔獣は想定外の強さだったのだろうか。
「エルフの腕自慢も数名重症を負いました。あれは正直死を覚悟しました」
「でも、すさまじい魔術で倒したよね? 銀髪の女の子が一瞬見えた気がしたけど」
エルフの魔力は人間と比べ物にならないほど多いと聞く。俺の目の前に現れた銀髪の少女はエルフの中でも一番強い人なのかな?
「いえ、あれは……あの方はエルフではありません」
「え、じゃあ誰?」
「魔力は人間でした。ですが、規格外の大きさの魔力。おそらく『マオ様』かと」
「まお……て、あの?」
いやいや、三大魔術師ってかなり昔から言われている人達のことで、俺が見たのは完全に少女だったよ?
「ですが、こうして貴方の傷の手当を行えるのは、エルフ以外が魔獣を討伐したからなのです」
「そうなの?」
「もしエルフが討伐した場合、例え人間が怪我をしても必要以上の接触はしません。逆にこの精霊の森に現れた魔獣をエルフ以外が討伐した場合は、最低限の救護支援を行うことになっています」
ややこしい決まりでもあるのかな。
「それがエルフの村の決まりだからよ」
「あ、シャルロット」
兵からの連絡を聞いたシャルロットが来た。
「無事でよかったわ。そして貴女には感謝します」
「いえ、当然の事をしただけです。それと」
「ええ。わかっているわ。これで貸し借りは無しって村長に言ってもらえる?」
「話が早くて助かります。では、私はこれで」
そう言ってエルフの少女はペコリと頭を下げて去っていった。ちゃんとは見なかったけど、結構可愛かったなー。
「さすがエルフの村の村長の娘。二百歳なだけあって手当の手際が良かったわね」
「うそ! に、二百!?」
見た目二十だと思ったよ!
「エルフは長寿よ。あら、もしかして手当している間に少し惚れちゃった?」
「人は見た目で判断するなと母さんからイワレテイタカラ、ヤサシイヒトダナーッテ」
「はいはい。見た目で騙されたのね」
何とか話を誤魔化したい。あ、そうだ。
「短剣、勝手に借りてごめんね。はいこれ」
「ああ、ちょっと驚いたけど……あの判断力は良かったと思うわ」
「え?」
「普通武器と言ったら強そうな物や長い物を選ぶわ。私の腰には二本の剣があって、その中で短い方を持った。リエンはそういう突発的な判断力は良いのかもね」
そう言って短剣を受け取る……と思ったら、それを俺に返した。
「その短剣は貸すわ。怪我が治ったら私が稽古をつけてあげる。だから早く怪我を治して私に魔術を教えてね」
「はは、怪我の前にまずは親の了承を得てからでしょ」
「そうね」
ふふっとお互い笑う。
『おいおい、リエン殿、シャル様の稽古を受けるってよ』
『死んだな』
『ああ、確か副長はボコボコに負けて三日寝込んだんでしょ?』
『む! どうしてそれを!』
ちょっと待って、そんなに厳しいのこの人!