ミルダの緊急事態3
クアンがネクロノミコンを使って唱えた瞬間、ドグマは攻撃を止めた。
「おい『女神』。いや、プルー」
「何だ」
「貴様、この状況を見てそのままおとなしくこれからも過ごすつもりか?」
「プルーはそれなりに楽しく過ごしている。『女神』だった頃のプルーを知っている者は今のプルーを見て驚くだろうな」
「そうか」
そしてドグマはクアンを見た。
「貴様は本当に人間か? その書物は人が理解できる内容とは思えない」
「期待に背く回答となるがクーは正真正銘人間だ。強いて言えば魔力を持たないこの世界外の人間だな。そしてこの書物は人間が作ったものであり、自分も含めて理解できる内容であれば必ず理解できると言えよう。素数は『一』と自身の数字以外約数が存在しないため孤立した数字に見えるが、言い換えれば自身の数字と『一』という二つは協力関係とも言える。つまり孤立はしていないのだよ」
「それほど簡単な物とは思えん。神ですら理解や対応できぬこともある」
「であればクーは元気よくはっきりと言い放とう。『神とはしょせんその程度だったのだな』と」
クアンがそう言った瞬間、ドグマは消えていった。消える瞬間鋭く睨んだように見えた。
「勝ったの?」
シャルロットの問いにクアンは答えた。
「正確には負けてはいない。相手は再度『無』の魔力に包まれて行方不明になっただけだ。だが『無』故にこちらへの干渉は無い。そうだろうプルー殿」
そう言ってプルーに話題を振った。
「ああ。『無』というのはそういう物だ。無にする箇所を工夫すれば身を隠せるし、無にする場所をすべてにすれば消滅すらできる。破壊は記憶や痕跡が残るが無は何も残らない」
ため息をつくプルー。そして話を続けた。
「創造をする『神』の魔力と破壊の『龍』。結局のところレイジとやらはその破壊の『龍』を使って何をしたかったのだろうな」
確かに。『見透かしの望遠鏡』で最初見た時はミルダさんを狙っていたようにも見えたし、ミルダ大陸ではなくレイジ大陸って言ってたよね。目的は大陸そのもの?
「頂点さえいなくなれば、ワタクシの時代が来る。それだけなのですよ」
頂点か。やっぱり強い人や頭の良い人は上を目指したくなるのかな。
……今どこから声が聞こえた!?
「む!? 貴様、どこから!」
「時の女神の腕は便利ですね。ちょっと魔力を込めれば時間を止めることができるなんて、これを知っていたら忍び込んで暗殺ではなく余裕を持って近づけましたね!」
レイジの右手にはクロノさんの腕。そして左手にはネクロノミコン。正面にはミルダさんが立っていた。
「誰か抑え込め!」
「遅い! 『虚無』!」
ネクロノミコンが輝き、黒い物体がミルダさんに命中した。
「……『プル・グラビティ』!」
「ぐううああああ!」
一歩遅れてパムレがレイジを魔術で引っ張り、ミルダさんから離した。
「がはああ……ぐううう!」
ミルダさんは何かに苦しんでいる。先程の『虚無』という単語を聞く限りドグマに使った術だろう。
「ぬかった! 店主、突き飛ばすぞ! そして魔力お化けはネクロノミコンを奪い取れ!」
「……『プラ・グラビティ』!」
クアンは抱えていた母さんを雪の上に飛ばした。パムレは奪われたネクロノミコンを取り返し、クアンに投げ渡した。
クアンは急いでネクロノミコンをめくり『虚無』に対抗する術を探している。
「ミルダちゃん! ミルダちゃん!」
「しゃる……ろっとさん。みるだは……」
「だめ、消えないで! 『消えないで!』」
駆け付け泣き叫ぶシャルロット。
それを見たクアンは急ぎ『静寂の鈴』を持った。
「よくやったシャルロット少女。君の功績はこのミルダ大陸を救ったと後世に語られるだろう!」
クアンが『静寂の鈴』をミルダさんの前で降り続ける。やがて『虚無』で発生した黒い光は徐々に消え、完全に黒い光だけが消滅した。
「はあ、はあ。シャルロットさん……大丈夫みたいです」
「よかった……よかったあああああ!」
泣き叫ぶシャルロット。その傍らでレイジが這いずりながらその場から抜け出そうとしてた。
「どこへ行く」
プルーが踏みつけてレイジを止めた。
「目的は達成した。ミルダは無力化し、これからが始まりだ」
ミルダさんが無力化?
いや、何とか無事のように見えるけど。
「なるほど。貴様の様な者はやはり神にとっても邪魔な存在だな」
「ワタクシよりも危険な存在は山ほどいる。神に抗う鉱石精霊も過去にいたくらいだ。音操人も神に抗い貴様と戦った。ワタクシの心を壊した紫髪の人間もまた危険分子だろう。さて、『元女神様』はこの先人間をどうする?」
「『人間』はこの先もプルーの観察対象だ。故に悪魔の貴様は処分の対象だよ」
そう言ってプルーの足が光り出し、レイジは消えていった。
最後に俺の顔を睨みつけて、微笑みながら。
☆
一度屋根のある広い場所へ移動ということで、プルーの拠点に移動した。
結構広い聖堂があり、そこで各自治療を行った。
「……治った」
「あれだけ口から血を吐いたのに、おかしくね?」
今回珍しく一番大怪我を負っていたパムレが、ほんの数分で完治である。
「流石に今回は無茶をしすぎましたね。久しぶりに人間状態で『深海の怪物』を出しました」
「……年なんだから無理しないで。はい治癒術」
「冷凍保存されてるので実質まだ二十にすら達していませんーです! それを言ったらパムレ様の方が超おばあさんですー」
「……パムレは十で止まっている。超お肌もちもち」
時々二人が俺よりも年下に見えてしまうのなんでだろう。
「と、それよりも傷は大丈夫?」
「不幸中の幸いですね。人間の体は治癒術が使えるのでワタチの治癒術とパムレ様の治癒術で完治です。悪魔の場合は時間で治る方法以外ないのですよね」
苦笑する母さん。
「人間母さんでも悪魔母さんでも、同じ母さんなんだし、無理しないでよ」
「あう……はい」
顔を赤くして下を向いた。どうやら反省したみたい?
「そういえばフブキは大丈夫だったのかな?」
周囲を見るとどこにもいない?
「実は背中にべったり張り付いているぞ? まだまだじゃな」
「うおあ!?」
本当にくっついていた!
「かすり傷程度じゃが、一応魔力お化けに治してもらったぞ。むしろリエン殿を思いきり蹴とばした時の打撲の方が大きいかもしれぬな」
逆にそれまであの巨大な怪物とドグマ相手に全部避けてたのかよ。すげーなおい。
と、驚いているとクアンが俺たちに話しかけた。
「ちょっと来て欲しい」
「どうしたの?」
そう言って呼ばれた方向へ進むと、長椅子に横になっているミルダさんと、近くで見守っているシャルロットの姿。そしてプルーが立っていた。
「まさかミルダさん、結構危ない状態?」
「まず大前提として命に別状は無い。今も横になっているだけだ」
「じゃあどうしたの?」
「リエン少年は相手の魔力を見る術式等はあるか?」
そりゃ、『魔力探知』くらいはあるけど。
「もしあるならまずそれをクーに使ってみてくれ」
「クアンに? まあ良いけど」
そう言われてクアンに使った。
分かってはいたことだし、ちょっと違和感はあるけどクアンって魔力を保持していないから『魔力探知』を使っても効果が無いんだよね。
「では次にミルダ殿に使ってみてくれ」
「ミルダさんに?」
三大魔術師のミルダさんだし、相当な魔力を保持していると思うけど。
言われるがまま使ってみた。
想像していなかった。ミルダさんはクアンと同じく魔力が無かった。
「うむ。プルー殿の話によるとレイジとやらは最後の最後にミルダ殿へ『虚無』を使った。狙いはミルダ殿だが、何とか本体はシャルロット少女とクーで守れた。が、『虚無』を途中で食い止めただけに過ぎなかったということだ」
つまり……魔術が使えなくなったということか?
「シャルロットのいつもの流れで耳元で『魔力戻れー』って言ったら使えるようになったりしないの?」
「リエン、今更だけど私のこと馬鹿だと思ってるでしょ」
う、それは否定できない。
「やったわ」
「やったのかよ!」
ぼそっと言うなよ!
「え、でも元に戻らなかったんだ」
「原因はわからない。レイジの唱えた『虚無』に一部自己解釈があれば、もしかしたら完全に治すのは難しいかもな」
クアンがそう言うと、ミルダさんは目をゆっくりと開けて起き上がった。
「ミルダちゃん。無理しないで」
「いえ、大丈夫です。本来あの場で消滅する状況から助かったのです。まずはお礼を言わせてください」
ペコリと頭を下げるミルダさん。
「なるほど。杖が無いと不安になる状況に少し似ています。身を守る術を一つ失うと心細いですね」
「今後については少し改める必要があるな」
「そうですね。三大魔術師と名乗っていながら魔術が使えないのはトスカさんに怒られそうです」
いやむしろあの人は全力で心配すると思うよ?
「それよりもリエンさんの今回やるべきことをさっさと終わらせましょう」
「俺のやるべきこと?」
……。
…………。
「私の腕よ」
「うおぁあああああ!」
急に後ろからクロノさんが声を出してきた。
「違う。色々ありすぎて何と言うか印象に欠けるというか!」
「へー。あれを見ても?」
そう言われて指を刺された場所を見た。
パティがクロノの腕持ち上げて、断面を見たり振ったりしていた。
「絵面的にはこれ以上ない印象だと思うわね」
「そうですね! と言うかパティ! 何神の腕で遊んでるの!?」
そう言ってパティから腕を取り上げた。何だよ腕を取り上げたって。うわ、なんかウネウネしてる!
「リエンさんリエンさん! 凄いです! 断面は光り輝いて良く見えません! 魔力がぐっと固まってる感じです!」
「説明いらないから!」
そう言って俺は急いでクロノさんの腕の近くに腕を持って行った。
渡す直前でクロノが腕を俺から奪うように取った。
「ふむ、君が時間の女神クロノか。クーたちは君の腕を取り返したわけだが、このまま君に渡したらどうなる?」
「どういう原理で切り取られた腕が残ってて、過去の完全消滅が無かったのかは不明だけど、とりあえずくっつけば今後も過去と未来を守る女神として仕事をするまでよ」
「ふむ。では取引だ。これをお返しする代わりに今地球で起こっている時間変動を戻してほしい」
「!」
そうだ。これをクロノさんに渡してもそれで終わりではない。
むしろ俺やパムレはクロノさんに時間の変動を戻してもらってようやく安心できるんだった。
「一応聞こうかしら。もし断ったら?」
「ふむ、クーは心配性だ。そう言われたら無条件で重しを着ける。『神人契約』」
ネクロノミコンが輝きだした。
「クーとしたことが、時の女神をクーの下僕にするつもりがシャルロット少女の下僕にしてしまった。うっかりうっかりー」
「ちょ! 何やってるの!? うわ、なんか頭の中にこいつの考えが流れて……え、こんな状況でも魔力お化けのアホ毛の動きを考えているの!?」
「待ちなさいクロノちゃん。勝手に私の考えを口に出さないで。一応真面目な女性として生きてるつもりだから」
今更何を言っているんだこの金髪少女は。
「さて、もし断ったらこの少女が四六時中君の面倒を見ることになるだろう。喜べシャルロット少女。君が願えばこの黒髪時の女神は大きくなったり小さくなったりして着せ替え遊びや外でご飯など様々な事を嫌な顔せず付き合ってくれるぞ」
「夢のような世界の提供ありがとう。むしろ腕を戻さなくて良いから今日は解散で良いわね」
「良く無いよ!」
俺のツッコミが響き渡った。
「いやいや、何で俺が一番まともなことを言ってるのに白けた雰囲気出てるの?」
一応俺とパムレの命がかかってるからね!
「ふふ、冗談だリエン少年。さて、クロノ神よ。どうする?」
「わかったわよ。腕が治り次第地球の時間軸を戻すわ。それよりも腕を戻す方法は知っているのよね」
「無論だ。ネクロノミコンの内容は全て把握し、あらゆる分野と分野をつなぎ合わせてようやく腕の切断方法と接続方法が書いてあった」
やはりクアンはただ物では無い。あの何が書いてあるかわからないネクロノミコンの内容を全て理解したのか。
「では始めるぞ。まずこの腕を本来あった場所にくっつける」
そう言ってクアンはクロノさんの腕をクロノさんの肩にくっつけた。
「以上だ」
終わり!?
「術は!?」
「無いが?」
「だってここまで結構大変な思いをしてきたよ? これだけだったらクアンじゃなくても良かったじゃん!」
そう言うと珍しくクアンはむっとした表情をした。
「適当にくっつけたように見えるが、実際は寸分のズレも無くくっつけたのだよ? もしも髪の毛一本分ズレた状態でくっつけたら、今頃この世界は爆破してたのだよ」
「そんな大事な事をサラッと言わないでくれるかな!?」




