予感(改)
僕の高校二年生の夏休みは、部室に入り浸って練習をそこそこして、ボードゲームを頻繁にしお小遣いが減ったり増えたりして、ついでに阿部先輩と海に行った(というか海に飛び込む阿部先輩をただ見ていた)だけで終わった。それでも、僕の十七年間の人生の中では一番濃く、充実した夏休みであったことは間違いない。
休み明けの学校は、どこか浮き足立ったような空気を感じる。女子の化粧もいつもより気合が入っているようだし、「久しぶり」という挨拶の声も少し高い。
久しぶりの再会を喜びあう友達もいない僕は片耳にイヤホンを突っ込んだまま、できるだけ目立たないように自分の席につく。猿たちはまだ来ておらず、ほっと胸をなでおろしていると担任の教師が入ってきて、今日から文化祭当日までは授業がないことが告げられた。そういえば、夏休み前からそんなことを言っていた気がする。初日はそんなことを説明し、名前だけの髪色チェックや持ち物検査をして解散となった。
クラスには文化祭の出し物の喫茶店準備に息巻いている生徒だけが残り、やる気のない者はまだまだ終わる予感のない夏を感じながら帰路へつく。
僕はその中に混じって三階までの階段を登り、夏休みをほぼ毎日共にした部室に入る。すると「早かったね」とソファに寝転んで溶け出しそうになっていた千葉さんがずり落ちた眼鏡を正した。
「柏木先輩と阿部先輩はまだなんですね」
「あそこの担任話長いからね」
僕はここで始めて、千葉さんとあの二人が違うクラスなのだと知った。そういえば、この三人はどうやって出会ったんだろう、てっきりクラスの仲良し三人組か何かかと思っていたが、どうやら違うようだし。
「あの、」口を開きかけた途端、「あっついわねー」といつもより眼を半分ぐらいしか開けていない気だるげな山中先生が入ってきて、テーブルに着く。
先生も夏休み中、暑い暑いと文句を言いながらもほとんど毎日ここに顔を出しては下手だのリズムがズレてるだの腹が減っただのと言っていた。でも、「結構面白いじゃない、この曲。演奏もね。荒くて危なっかしいけど、そこがまたいい味出してるわよ」と僕にだけ教えてくれた。
僕は、演奏技術とか音の良さなんてものは全くわからず、ただ楽しいからとギターを鳴らしているが、やはりやり始めよりも今の方が全員の音が共鳴しているようでやっていて気持ちがいいのだ。
「リハーサルまであと少しね」
先生が机に突っ伏しながら篭った声で言う。
「そしたら、本番なんてすぐですね」
千葉さんがのびをする。それから姿勢を変えて胎児のように丸くなる。猫みたいな人だと思った。
「本番が終わったら、どうなるんでしょうか」
浮かれていて忘れていたが、このバンドの目的は生徒総会までに一度活動の場を設けるというものだけだ。文化祭の演奏を終えたら、このバンドはどうなってしまうんだろうか。
「そしたら、森田がまた面白く引っ掻き回してよ」
僕の気持ちを汲み取ったのか、千葉さんがそう言って眼を細くして笑う。額には汗をかいている。
「僕がですか」
「そう、俺らが退屈で死んじゃわないように」
千葉さんが指を二本立てる。ピース。返事に困った僕は、それでも自然に笑顔を浮かべながら人差し指と中指を立てて返した。
「っていうか、千葉、アンタ受験は」
「めんどくさいんですもん、なんかテキトーに働きます」
「柏木も阿部も全く同じこと言ってたわよ」
「だろうなぁ〜」
「もうアンタたちしっかりしてよねぇ〜」
山中先生は盛大なため息をつき、「アンタは行こうと思えばいいとこ行けるのよ」と千葉さんに、声を潜めて投げかける。それを聞いても千葉さんはてんで気にしていない様子で丸まったまま、僕と目が合うと笑った。
先輩たちは、卒業まであと半年ほど。わかってはいたが、考えてはいなかった。僕はたまらずにギターを取り出した。ここで先輩たちとこうしてられるのも、あと半年。先輩たちがいなくなったら、僕は何をすればいいんだろうか。どう生きればいいんだろうか。
『次は、四人で来ような』
海から帰る途中の阿部先輩の言葉が耳の奥で生々しくよみがえる。果たして、実現するだろうか。なんとなく、しない予感がしていた。ギターのチューニングを始めると、六弦がブツリと、音も立てずに弾けた。
続く