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外れ者たちの賛歌  作者: 愚息くん
7/15

夏(改)

 夏休みに入ったため、校舎はいつもよりも静かで、どこか冷たく感じる。長期休みだというのに相変わらず忙しなく走り回っている運動部員を廊下から眺めながら用務員室に入り、ホースを持って花壇に向かう。

 日差しを吸収して熱を持った蛇口にホースをはめてぎゅっと捻ると、しばらくしてホースから生ぬるい水が飛び出した。

「あれ、森田?」

 声をかけられ振り返ると、ドラムスティックのケースだけをぶら下げて、いざ玄関に入ろうという柏木先輩がいた。

「あ、おはようございます」

「はよ。何してんの?」

「さっき山中先生に花壇の水やり頼まれて」

「かぁー、あのババア自分でやれってんだ」

 柏木先輩が大げさに舌を出しながらこちらに歩いてきて、僕からホースを奪った。そして、ホースの先端をぎゅっと握って水の勢いを散らし、花達に水を撒く。


 夏休みが始まって少し、意外にも千葉先輩と阿部先輩は毎日のように練習にやってきた。時々「あちー」とか「溶けるー」とか言って突っ伏して動かなくなるけれど、一日に少なくとも二、三時間は練習してくれる。僕としてはあと二倍ほどは頑張って欲しいのだが、この際贅沢は言わない。部室にはクーラーも扇風機もなく、さらには防音なのでサウナのような暑さになることも多々あるが、うちわを仰ぎながら毎日部室に現れる。もちろん、僕と千葉さんも。


「柏木先輩、今日もちゃんと来たんですね」

「まぁ、暇だし。家にいてもやることねーんだよ。バイトは夕方からだしな」

「そうですか」

「それにさ、意外と楽しいもんだなって」

 水を浴びて花がゆらゆらと揺らめいた。土の色が水分を吸収して濃くなっていく。

「バンドなんてまともにやったことなかったけどさ、皆で合わせると面白いもんだよな」

「ドラム、急激に上手くなりましたよね」

「まぁな!」

 偉そうなことを言ってしまった、と思ったが柏木先輩は気にも留めない。それどころか、逆に嬉しそうな声で応える。

「俺、やるなら好きな曲しかやりたくないってマジで思ってたんだよな。中学の時バンド誘われてさ、盛り上がるからとか言ってつまんねー曲覚えさせられそうになって、今でも思い出してむかつくぜ。俺は盛り上げ要因でバンドなんかやりたくねぇし。んでも、お前らが作った曲はやってて楽しいし、なんか……もっと聴きたいと思えんだよなぁ」

 柏木先輩が、あの曲について何か意見を言うのは初めてだった。ちらと顔を見れば、少し耳が赤くなっている。日焼けたのか、照れているのか、僕には判断がつかなかった。

「あとは、まぁ、お前らより下手だと悔しいしな。特に阿部」

 そう言って、柏木先輩はホースの先端をこちらに向けた。冷たくなった水が僕の顔めがけて飛び出し、咄嗟に腕で顔を隠したが、腕から胸にかけてびしょ濡れになった。

「何すんですか!」

 滴る水を振り払いながら叫ぶと、「お前、退屈なくなった?」と聞かれる。質問の意図がわからずに黙っていると「初めて見た時、しけた顔してたから」ともう一度ホースを向けた。

 水を浴びながら、なるほど、と思う。僕は黙ったまま怒ったふりをして柏木先輩に近づき、ホースを引ったくって、同じように柏木先輩に水をぶちまけた。柏木先輩は咄嗟のことにノーガードだ。

「なくなりました」

 そう言うと、柏木先輩はずぶ濡れのまま僕に飛びかかり、僕たちは校庭の砂をひっつけながら転げ回った。その様を、運動部員達が恐ろしいものを見るように伺っており、最終的に通りかかった教頭に何をしているかとこっぴどく叱られた。


「うわ、どうしたのそれ」

 濡れたワイシャツに砂を貼り付けた僕らが部室のドアを開けると、ソファの上でベースを抱えていた千葉さんが立ち上がって駆け寄ってきた。

「いや、色々ありまして」

 上手く説明する言葉が出てこずにそう言うと、柏木先輩は「森田に水ぶっかけられた」と平然と言ってのけた。

「僕のセリフなんですけど」

 部室の窓を開けようとすると、しばらく動かしていなかったのかとても重たい。両手に力を込めてスライドし、ワイシャツを脱いでそこから手を出して絞る。この下は確か、プールサイドだったはずだから、最悪誰かがいてもなんとかなるだろう。いつのまにか柏木先輩も隣に来て、同じようにワイシャツを絞っていた。

「暑くて気でも触れたか?」

 アンプに何故か上裸で座っていた阿部先輩が意地悪そうに笑う。あなたに言われたく無い、と思った。

 千葉先輩がどこからかタオルを持ってきて僕たちに投げ渡してくれる。それを受け取って髪を拭きながら、阿部先輩の鼻歌に耳を傾ける。窓の外には青い空が広がり、今日もまた、雲がゆっくりと流れている。僕は初めて阿部先輩に会ったあの日の屋上を思い出して、鼻の奥が痺れた。僕たちはぬるい風を受けながら、ぼんやりと窓枠の中の四角い世界を見つめる。

ふと、阿部先輩が歌うのをやめて「ジェンガしようぜ」と突飛な提案をした。

「またですか。一日何回やるんですか」

「ジェンガに縛りとかねぇから」

「やろうぜやろうぜ」

 柏木先輩が部室の隅に追いやられていたジェンガセットを持ってテーブルの方へ走っていく。千葉さんもそれに続く。その人たちは何がそんなに楽しいのか、毎日毎日練習の合間にボードゲームをやっては千円や二千円といった安い金を賭けて一喜一憂する。今や、僕もすっかりその一員となってしまっている。

「僕五百円しか賭けませんからね」

 ため息をつきながら一つ空いた席に座る。と、

「あら、鈴木くん水撒き終わったの?ありがとう」

 突然扉が開いて、山中先生の優しい声がふりかかる。一名上裸、二名汚れたTシャツという状況には全く動じずに室内に入ってきて「練習は?」と冷え切った声で笑顔を向ける。

「いや、ちょっと休憩というか……」

 僕がしどろもどろで言い訳をすると、千葉さんが「先生もやりましょうよ、千円賭けで」と自分の席を譲る。すると山中先生は少し考えた後、「仕方ないわね」と座り、しっかりと賭けジェンガに参加してしまった。

先生は自分に言い聞かせるように「息抜きも練習だから」なんて言いながらいきなり中段の真ん中の木を引き抜き、木が積み重なったタワーをぐらつかせ、僕たちは異様な緊張感に包まれたのだった。


 結局、勝ったのは山中先生で僕たちは合計三千五百円を彼女に持っていかれてしまった。

「教師なのに受けとんなよ……」

 ボヤいた柏木先輩に山中先生は「ルールはルールだから」と高そうな財布を広げてお札をしまった。


 一気に気が抜けてしまった僕らは今度こそ本当の休憩タイムと称して千葉さんと柏木先輩はトイレに立ち、阿部先輩はソファに沈み込み、僕は今日初めてギターをケースから取り出す。チューニングをして窓を閉めていると、テーブルに肘をついた山中先生が「本当にちゃんとやってるじゃない、どうしたのよ」と発した。その言葉はきっと僕に向けられたものではないから、僕は黙ってソファに視線を送る。うつ伏せになった阿部先輩は「まぁ、部室使えなくなると困るし」

 とこもった声で返す。

「それだけ?」

「……あとは、まぁ、嫌いじゃねぇし、ギター」

 語尾が小さくなっていく。なぜか僕まで恥ずかしくなって、聞いていないフリをしてアンプにコードをつないだ。

「ふふ、まぁいいんじゃない。青春時代の思い出が喧嘩とサボりだけなんて寂しいものね」

 山中先生が席を立って、ドアに手をかける。僕はなんだかデジャヴを感じてその姿に目をやると、彼女は片目を器用に閉じてドアを閉めた。その寸前、彼女には聞こえただろうか、阿部先輩が「うん」と応えた声が。


 文化祭本番まで、期間はあと一ヶ月。僕たちはこの部室で熱にうかされながら根拠のない自信を持っていた。


 続

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