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外れ者たちの賛歌  作者: 愚息くん
6/15

千葉と森田と音(改)

「あれ、森田だけ?」

「あ、千葉さんこんにちは。皆まだ来てませんね」

 誰も来ていない部室で、いつかの阿部先輩の即興を思い出してコードを書き起こしていると、眠たげな顔の千葉さんが「そうなんだー」と足でドアを閉めて入ってくる。

「珍しいですね、誰もいないの。授業ですか?」

「うんまぁ、たまには出ないとね」

「偉いじゃないですか、なんの授業だったんですか?」

「ラットの解剖」

「……そうですか」

 全然偉くなかった。多分、趣味だ。というか、授業にたまに出ることを偉いとも言わない。僕の感覚は次第に狂い始めているらしい。

「何やってんの?即興?」

「あ、いや、阿部先輩がテキトーに弾いてたやつが良かったんで、なんとか思い出してみてるんです」

「なにそれ、面白そうじゃん」

 千葉さんがソファに立てかけてあったベースのカバーを脱がし、床に転がっていたウィスキーを掴んで僕の隣に腰をおろした。

「ちょ、千葉さん!お酒はダメです!」

「なんでよ」

「やっとのことで学園祭の講堂使用許可が出たんですから、こんなのバレたら意味無くなっちゃいますよ!」


 そう。先日、僕は生徒会室に、文化祭でライブをやらせてもらうために交渉に向かったのだが、「え?そもそも軽音部なんて存在してるの?」と言われて愕然としてしまった。数年前は確かにあったらしいが、あの部室は今や物置になっているはず、とのだ。部として活動するにはまず顧問が必要、ということで僕は職員室まで汗だくになって走り、暇そうにティーカップを傾けていた山中先生に声をかけた。

「あら?どうしたの?なんかビショビショなんだけど」

「えーっと、二年の鈴木です」

「もちろん知ってるわよ、真面目くんなのに何故か三年の問題児達を牛耳ってる裏番長よね」

「そういう風に見られてたんですか……」

「私が勝手にそう言ってるだけー」

 ケラケラと笑いながら肩を叩かれる。山中先生は黒髪ショートカットで清楚で、なおかつ美人で気さくという欠点の無い人物で、生徒からの評判がすこぶる高い。担当は三年生なので直接関わりはないが、一番話しかけやすいと思った。

「で、どうしたの?鈴木くん」

「あの、実は、顧問になってくれる先生を急いで探してるんですが、先生にお願いできませんか?名前だけでもいいので……」

「部活って、もしかして軽音部?」

「え、何でおわかりで?」

「アイツら……ふぅん、真面目にやる気になったのかしら」

「あの……」

「いいわよ、ハンコ押したげる。」

「え、あ、ありがとうございます……」

 女性の声が一オクターブ下がる場面を久しぶりに見た。山中先生の知らなくていい一面を知ってしまった気もしたが、無事部活として使用許可申請書を提出し、はれて学園祭でのライブが実現することとなったのだ。


「だから、捨ててください」

「いやだ~もったいないじゃんか~」

 ごねる千葉さんは二秒間動きを止めて、いいこと思いついた!というような顔でウィスキーをゴクゴクと飲み干し、空になった瓶をそのへんに放り捨てた。

「証拠隠滅」

「瓶はなんて言い訳するつもりですか」

「あれはね、オブジェです」

 アルコールが回ってきたのか、顔を赤くした千葉さんがベースの弦に指をおく。僕は何を言うのもめんどくさくなって、乾いた笑い声で応える。

「あ、そういえば」

「ん?」

「僕が嘘ついたこと、千葉さん気づいてましたよね?」

 部室が使えなくなるという、ハッタリ。先輩達をけしかけるためだけの嘘に、この人が騙されるわけがなかったのだ。いやまあ、そもそも部活ですらなかったから、僕の必死の嘘はなんだったんだって話になるんだけど。

「まぁね」

「のっかってくれてありがとうございました」

「いやいや、俺もそろそろなんかやりたくなってたんだよね」

 どこかで聞いたことがあるような、腹の奥に響くようなベースラインを滑らかに弾く。僕はその、細いけどしっかりした骨格の手を見つめる。

「なんか?」

「うん。まぁ、ダラダラして喧嘩してとりあえず卒業だけはするっていう高校生活も悪くはないかなって思うけど、やっぱそれだけじゃつまんないじゃん」

「だから、何か面白いことしたいなって思ってたの。そしたら森田がそのきっかけ持ってきてくれたからさぁ、俺はただそれにのっかってみただけ」

「面白いこと……」

「俺さ、退屈なのって一番嫌いなんだよね。変化がないと生きてる意味がないって思ってる。だから、このままこの部屋で腐ってくのは死んでるのと一緒だなって。阿部が森田連れてきた日から、なんか変わる気がしてたんだよ。だから俺はお前に賭けてみようって思ったの」

 スルスルと弦をはじき、低い音が耳に流れ込む。同時に、千葉さんの人当たりの良い柔らかい声を脳味噌で咀嚼する。僕に賭ける。

「なんか、重大任務じゃないですか?」

「いいんだよ。大切なのはキッカケでさ、俺らならどう転んでも結果面白くなるんだから」

 それは、あの二人への期待と信頼を意味していた。

「森田はさ、学校楽しいと思ったことある?」

「全く無かったです。むしろ地獄だとすら思ってました」

先輩たちに会うまでは、という言葉は気恥ずかしかったために飲み込んだ。

「だろ?俺もこんな学校つまんなくて気が狂いそうだったんだけど、柏木と阿部だけは面白くってさ。そんで、その阿部が捕まえてきた森田がまーた面白いことしようって言うから、俺はなんも心配してないのよ」

 千葉さんがこんなに自分のことを喋るのは初めてだ。僕はそれが妙に嬉しいのと、僕と同じように、このバンドに何かの転機を期待している人間がいたということが嬉しかった。

「僕も、この人たちとなら、僕の人生をひっくり返せるんじゃないかなって思ったんです」

「ひっくり……森田って面白いこと言うよね」

 眼鏡の奥の目を細めて笑う。

「ひっくり返すっていうか、うん、ぶっ壊すって感じですね」

 僕の一番好きなバンドの、一番好きな歌。ぶっ壊せと繰り返す、あのしゃがれた声が蘇る。

「物騒だなぁ」

 千葉さんはそう言って、ベースの弦を抑えてはじく。知っている曲だったので僕もそれに続いてギターを弾きながら歌ってみたが、千葉さんに「音痴」と笑われた。なんとなく自覚はしていたが、僕はそんなに歌が下手なのだろうか。


 しばらくすると、廊下から何やら騒がしい声が近づいてきて、部室のドアがけたたましい音を立てて開く。そこには、山中先生に首根っこを掴まれてギャンギャンと喚く阿部先輩と、死にかけの面をしている柏木先輩がいた。何事かと手を止めると、山中先生が「千葉ァ!」と叫び、二人を放り捨ててこちらに近寄ってくる。眠たげな表情で見上げる千葉さんは山中先生に「酒臭い」と言われ、「先生もおととい酒臭かったよ」と返してげんこつをもらう。

一方、地面を這いずってこちらにやってきた二人は「お前、なんでよりによって顧問にあいつ選んだんだよ!」と僕に吠える。

「え、だって、優しくて面白くて人気だし、話しかけやすかったので……」

「バカお前、それは表の顔なんだよ!」

「アイツは元レディースの頭だとか、アイツが殺したヤンキーたちが桜の木の下に埋まってるとかいろんな逸話があんだよ」

「殺人じゃないですか」

「だから、それをもみ消すために教師になったんだって、そんで他の教師やら生徒たちの目を欺いてんだよ!」

「はぁ……」

 千葉さんの耳を引っ張る山中先生の顔は、今までに見たことのないような下品な笑顔で、なるほど、こっちが素だったのかと合点がいった。殺しただの埋めただのはおいといて、レディースだったという話はないことはないのかもしれない。

「借りるわね」

僕にだけ、もはや白々しく見える柔らかい笑顔を向けた山中先生はギターをひったくって見もせずにエフェクターに歪みをかけ、アンプのツマミを遠慮なく回す。耳に突き刺さるような、尖った音が鳴った。

「あー、やっぱいいわぁ、気持ちいい。何年ぶりかしら……」清々しい声音で僕らを見渡す。

「私が顧問になった以上、私より下手くそな演奏したらぶっ殺すからね」

 わかった?と睨みを利かす山中先生の姿にはもはや、生徒から人気のある優しくてチャーミングな女教師の面影はどこにもなかった。しかし僕はしてやったりと思った。この三人が言うことを聞く先生なんてきっとこの学校のどこを探したっていないと思ってテキトーに頼んだのに、まさかのアタリだ。僕は「よろしくお願いします!」と興奮気味に頭を下げ、山中先生は「あら、やる気のある子は大歓迎よ」と愉快そうに言った。

その様を、耳を抑える真っ赤な千葉さんと、動きを完全に停止した柏木先輩と阿部先輩が物珍しそうに見ていた。


 三人が珍しく授業に出ていたのは山中先生が引っ張っていったのと、明日から夏休みだからという理由らしかった。最後ぐらい顔を見せろということだろうが、そんなゆるさで大丈夫なのだろうか。この学校は。

「ちなみに、明日からも練習だから学校くんのよあんた達」

「はぁ!!?」

 柏木先輩が喚く。阿部先輩も「マジかよ」と言った。

「当たり前ですよ、夏休みが終わったらすぐ文化祭なんですから」

「俺もそのつもりでいたよ」

 僕と千葉さんが当然のように返すと、二人は追い詰められた犬みたいな顔で助けを求めてきた。そんな顔されたって、僕にはどうすることもできない。

「当たり前でしょう、私も極力毎日来るから。ちゃんと練習すんのよ」

 山中先生は二人の頭を鷲掴みにしてグラグラと振り回し、会議があるとかなんとか行って出て行った。

「バイトが……ナンパが……」などと呻き意気消沈している二人にとりあえず阿部先輩の即興を書き起こしたタブ譜を渡してみる。

「まぁまぁ、とにかく曲作ってみましょう」

「……なにこれ」

「阿部先輩がこの前屋上で弾いてたやつ、完璧じゃないですけど思い出してコード写してみました」

「お前……天才か?」

「それを作ったのは先輩ですよ、自画自賛ですか?」

「じゃなくて、全部覚えてたのかよ」

「多少違うかもしれませんけど、記憶力だけはいいんです」

 勉強しかしてこなかったので。その言葉は流石に飲み込んだが、母親に感謝した瞬間でもある。僕が惚れ込んでしまい、必死に思い出して楽譜に書き起こした曲。

「ん、覚えるよ」

 阿部先輩が大人しく受け取る。その様子を見て、柏木先輩もドラムセットの椅子に腰掛け「適当に合わせればいいんだろ?」とスネアを数回鳴らして音を合わせる。

「いいよ、俺も適当に合わせるから」

 千葉さんがベースをアンプに繋ぎながら応えた。リズム隊の低い音が部屋に蔓延し、僕はいてもたってもいられないような気持ちになりながらチューニングをする。

 すると、阿部先輩が僕が渡したタブ譜を凝視しながらギターをアンプにも繋がずに歌い出した。その声はやっぱり綺麗で、少し気だるげでどこか寂しい。

 僕たちは一瞬音を出すのをやめて、阿部先輩の歌に合わせてそれぞれの音を鳴らし始める。阿部先輩のギターは聞こえないし、歌も不安定。ドラムは時々いなくなるし、ベースは安定しているものの、僕のギターも破茶滅茶だ。でも、楽しい。個々の音が混ざり合って一つの音になって、阿部先輩の歌声がそこに息を吹き込むようだ。なんだこれ、気持ちいい。

 演奏が終わると、むわっとした熱気が部屋を包み込んでいた。

「もう一回、やりましょう」

 高揚した僕が言うと、満更でもなさそうな阿部先輩が「うん」と言い、今度はギターをアンプに繋いで弦を弾く。「これ、いいんじゃねーの」柏木先輩が言うと千葉さんも柔らかい笑顔で頷く。

 僕は、人生で初めて夏休みが楽しくなるという確信を持ちながら、エフェクターを踏んだ。


 続く

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