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外れ者たちの賛歌  作者: 愚息くん
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大人と子供

学ランの上にマフラーを巻いてもなお、痺れるような寒さを感じる廊下を歩きながら、イヤホンが排出する音に耳を傾ける。

薄暗い廊下のいたるところで暖をとるように集まっている生徒達の声が、耳に蓋をしていても聞こえてきた。僕をとりまく状況がいくら変わろうが、やっぱりこの学校という箱の中の居心地が悪いのはあいも変わらずだった。


階段をひたすらに登って、埃臭い踊り場に立ち、錆びたドアノブをひねる。冷たいというよりももはや痛いとすら感じる風を頬に受けつつ目を凝らすと、黒い人影が小さく見えた。

「やっぱり、いた」

僕が呟くと、それに気づいた彼が手をあげるので、小走りで近寄る。手と足の先が冷たく、身体も固まっていてうまく動かなかった。

「変な走り方」

鼻を赤くした阿部先輩が目を細めた。マフラーに埋めた口元は、きっと意地悪く緩んでいるのだろう。

「何してるんですか、こんなクソ寒いとこで」

「お前もだろ」

僕は、あんたを探しに来たんですよ。そんな言葉を飲み込んで柵にもたれかかる。冬の空気にやられて冷たくなった鉄が布越しに身体に染み込んで、「ひっ」と情けない声が漏れた。

「就活してないってマジっすか」

「おー、うん、まぁな」

「他の二人も」

「柏木はラーメン屋のバイト続けてるけどな、なんか、次期店長は俺だとか昔から言ってたし」

「そうですか」

「んー」

ポケットに手を突っ込んで、黙って寒さに耐える。なんとなく僕たちは、進路の話をするのはタブーみたいになっていた。誰が言ったわけでもなく、暗黙の了解みたいなものだ。

だから、先生たちが「どうにも彼らは進学する気も就職する気もないらしい」という話をしているのを聞いて、驚いたのだ。

チラリと目線をやると、銀色のピアスが髪の隙間から見えた。冷たくないんだろうか、先輩の耳は赤くなっていた。肌が白いからか、余計に目立つ。

「それって、このバンドでやってこーってことですか」

何度も聞こうと思って、その度になんだか怖くて喉元に突っかかっていた言葉が、やっと声になった。力んでいたからか、白い息が上がる。

「は?そりゃそうだろ」

即答だった。加えて、何言ってんだお前、と続いたもんだ。僕は力が抜けて、へなへなと地面にへたり込んでしまった。

「何してんだお前、冷てぇだろ」

「冷たいし、汚いです」

制服は砂利や埃まみれになった。汚い、最悪だ。でも、安心した。

「山中先生には、何も言われなかったんですか?」

「言われたに決まってんだろ、そりゃ。めちゃくちゃキレてたぞ、ほとんど何言ってるかわかんなかったけど」

「ははは」

柏木先輩も、ましてや千葉さんは特に色々言われたんじゃないだろうか。それでも、なんの保証もない賭けに出たのだ、皆。僕も決心がついた。いや、元々僕にはこの道しかなかったのだと思う。

「僕、学校やめます」

「…………はぁ?」

阿部先輩が、ポケットから取り出した煙草とライターを落っことした。僕はそれを拾って立ち上がり、「先輩達がいない学校に通う意味なんて、一個もありませんから」と言いながら、渡す。

何か言いたげにそれを受け取った先輩は、首を振り、煙草に火をつけてゆっくりと吸い込む。灰色の寒空の下、その一点の赤がやけに綺麗でつい見惚れてしまった。

「俺、前から思ってたけど、実はお前が一番ヤバいよな」

先輩は煙と一緒にそんな言葉を吐き出した。




「本気で言ってるの?」

放課後の職員室は、部活動の顧問を担当している先生たちが出払っているためか、休み時間に来るよりも静かに思える。僕は突っ立ったまま、相当怒っているらしい山中先生を見下ろし「はい」と答えた。

「あなたは成績もいいし、素行も悪くない。音楽やりながらだって通うことはできるでしょう?考え直しなさい」

他の先生に、もう飽きるほど言われた言葉だ。僕は「学校に通ってる暇なんてないんです。そんな時間があれば、曲を考えたい。それに、あと一年間こんな所で過ごすなんて、耐えられないんです」という返しを用意していたので、もう何度目かわからないそれを、できるだけ感情を込めて読み上げた。

「あと一年、たった一年よ。それであなたの今後の人生の選択肢が大きく変わってくる、あなたならわかるでしょう?それにバンドだって、長く続けられる保証なんてどこにもないのよ。今は注目を浴びていても、飽きれば人は離れていくわ。特にあなたたちの今のやり方じゃ……」

「じゃあ、飽きられない音楽を作ります」

「そういう問題じゃないでしょう」

先生の声が、低く重みを持つ。

「いいバンドが必ず売れる訳じゃないっていうのは、あなたもよく分かってるわよね。どんなにいい曲を作ったって、日の目を浴びずに解散していくバンドなんて腐る程いる。一発当てても、人気を持続できずに解散するバンドがほとんどよ。音楽で一生食っていくなんて、それこそ奇跡が起きないと不可能。無理をして身体を壊したり、心を壊した人を何人も見てきた」

わかるようで、いまいちわからない言葉が次々と通り過ぎていく。

「でも、実際にバンドで食っていけてる人達もいるじゃないですか」

「そんなの、ピラミッドの頂点だけよ。すぐ下にはいくつもの死体がゴロゴロ転がってるんだから」

「別に、死体になったっていいです。一瞬でも頂点に立てるんなら、それで満足です」

先のことなんて、ろくに考えてはいない。ただ、僕は今すぐにでもこんな窮屈な空間から抜け出して、眩しいライトに照らされてステージに立ちたかった。無差別な歓声を浴びたかったし、高揚感に襲われたかった。何より、阿部先輩の生み出す音楽をこねくり回して僕たちのモノにしたかった。もっと良いものが作れるという確信を持っていた。もはや学校に残る気なんて、これっぽっちも無かったのだ。

「あのねぇ……」

長いため息を吐いた先生は、ゆっくりと眉間を揉んで言う。

「気持ちはわかる。焦りもわかるつもりよ、他の先生たちよりもね。それでも、私は大人であり教師だから言うわね。理想と現実は全くの別物よ」

慎重に言葉を選んでいるのがよくわかった。僕を真剣に止めようとしているのだ。それが伝わってきて、理解してもらえない苛立ちを覚えた後に、虚しさを感じる。

身を案じてくれる彼女に反発する罪悪感を抱えながら、

「先生は、諦めた結果先生になったんですか?苦しむことから逃げたんですか?僕は逃げたくないです。そんな現実、いらないです」

と挑発めいた台詞を吐いた。怒鳴られるか叩かれる覚悟をしていた僕の耳に飛び込んだのは、想像していたより数倍重い音だった。少し遅れて、左頬に鈍い痛みがじわじわと広がってくる。

「グ、グーで殴りますか?普通……」

「あっ、ごめん」

山中先生は感情を押し殺したような、今まで見たことのない顔をしていたが、すぐにいつもの調子に戻って平然と謝った。拳を使い慣れているのか、ヒラヒラと二回ほど振って、何もなかったかのように膝の上に乗せる。

「何を言ったところで聞かないって、わかってるのよ。最後の抵抗をしたかっただけ」

少し笑って髪を耳にかけ、ティーカップを持ち上げる。頬が熱を持つ。春の陽射しが窓から降り注ぎ、職員室を穏やかに包み込んでいる。

諦めることに慣れた大人の声だった。

「すみません」

「ううん、大変だと思うけど、頑張ってね」

「本当にありがとうございました」

「こちらこそ。アイツらと仲良くやるのよ」

「はい」

先生はもう、気さくで可愛らしい生徒達に人気な山中先生の顔に戻っていた。寂しさを押し殺しながら頭を下げ、振り返って開けっ放しの出入り口を跨ぐ。

背後から「名刺なんか、渡さなきゃよかったなぁ」と呟いた声が届いてしまったが、僕は聞こえなかったふりをして戸を閉めた。



続く

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