暴動と演奏(改)
「クラスにもろくに来ないで何してーんの」
「別に…」
缶ジュースを抱えたまま、逃げる算段を考える。このまま通路を真っ直ぐに行けば講堂につくが、僕はギターを背負ったままだし、きっと彼らに追いつかれる。何で、今まで何もして来なかったのに、どうして、今日に限って。いや、きっと今日この機会を狙っていたのだろう。本番直前、僕が一人になるところを。
じりじりと後ずさると、奴らも少しずつこちらに近づいてくる。
「お前みたいなさぁ、気持ち悪ーい奴が何張り切っちゃってるわけ?」
「あの変な三年の奴らと一緒に何かやんだろ?」
「俺の先輩が言ってたぜ、アイツらクラスに馴染めないクズだって」
「お前と一緒だな」
その一言を引き金に、一同が笑い始める。それと同時に僕の混乱していた頭はすっと冴えて、震えていた足がしっかりと地面を踏みしめた。
「だから何?」
自分でも予想外なほどのはっきりとした声でそう返すと「は?」と間髪入れずに不愉快そうなボスの声。
「僕があの人たちと一緒にいることで、あんたらに何か迷惑かけたわけ?」
何故だろうか。僕がただ、僕のことを認めてくれる人達と好きで一緒にいるだけで、何故周りから否定されたり、バカにされたりしなければいけないのだろうか。
「僕たちがクズだったとして、だから何だよ」
この場は無難に終わらせて早く逃げなければ。そう思う気持ちとは裏腹に、僕の口から漏れ出す言葉は止まらない。ボス猿は面食らったような顔をしたが、すぐに威圧的な表情に戻り僕の方へと進んでくる。
「何生意気言っちゃってんの?お前」
胸ぐらを掴まれて、鼻先が触れるほどの至近距離で凄まれる。過去に金を巻き上げられたり殴られたり蹴られたりした恐怖が噴出すように蘇ってくる。缶ジュースを抱える腕に無意識に力が入る。僕の腕は冷え切って、もう感覚は無さそうだ。
「そんなに大切なの?そのギター」
取り巻きの一人がいつのまにか僕の真横に回り、肩に触れながら言う。
「ち、がっ…」
壊される。
以前、踏み潰されたMDプレイヤーの姿を思い出して冷や汗が吹き出す。これは、これだけは何としても守りたかった。
数人が僕の背後にずるずると上履きを引きずりながら回り込む。心拍数が上がって喉がぎゅうと狭まるような心地になり、反論の声も出ない。どうしよう、どうすれば。
「バカ、森田、ソレ投げろ!」
緊迫した空気の中、その声が僕を動かした。ボス猿の太ももを蹴り上げ、卑しい顔面めがけてメロンソーダの缶を思い切り投げつける。ボス猿が屈み込むのも見届けずに振り向いて、同じく残りの缶ジュースとペットボトルを手当たり次第に投げつけると、声の主である阿部先輩が「こっち!走れ!」と妙に楽しそうに大きく手招きをしていた。僕は群れの中を突っ切って阿部先輩の元へ走る、走る。すぐに怒号が聞こえてきて、何人もの足音が追いかけてくる。
「お前、何やっかいな客呼びこんでんだよ」
「客じゃないですよ!」
ひゃははは、と笑いながら並走する先輩に言い返す。
「どうしましょう、アレ、多分講堂まで来ます」
運動に慣れていない僕は息を切らしながら一目散に走る。ギターが揺れて、肩にストラップが食い込んで痛い。重い。
「んなんやるしかねーだろ」
何を。とは、聞くまでもない。血気盛んなこの人のことだし、まぁ、この人でなくとも奴らが逃してはくれないだろう。気が遠くなるほど遠いような、あっという間なような通路を走り講堂につくと、ステージの上にはすでに柏木先輩と千葉さんがおり、音合わせをしていた。客と見られる生徒や一般客もチラホラと見える。その直後、奴らが大声をあげながら講堂になだれ込んできた。
「鈴木てめー、逃げてんじゃねぇよ!」
ボスは鼻から血を流している。それを見た僕はなんだかおかしくなってしまい、ギターのカバーを放り捨て、ストラップを肩にかけギターを構える。阿部先輩は殴る気満々といった構えでステージ下で待機している。千葉さんが「何!?喧嘩!?」と非常に嬉しそうにベースのネックを握るので、「楽器で殴るのは無しですよ!」と僕が言い放つ、と同時にボスが僕の顔を殴りつけた。
ギターを守るようにして吹っ飛んだ僕の上を阿部先輩が乗り越えて、群れの中に突っ込んでいく。観客の悲鳴が聞こえる中、「次の演目は、軽音部のライブ演奏です」というのんきな校内放送が流れ、同時に千葉さんが群れの中にダイブした。
柏木先輩もここぞとばかりに立ち上がり、やたらめったらに摑みかかる。熱を持ち始めた頬を抑えながら、少し前はただのリンチだったものが、こちらが少数とはいえ立派な喧嘩になったのだなと変に感心する。
止めようとしたのであろう生徒や関係のない血気盛んな輩まで加勢し始め、もう誰が敵で誰が味方で何が目的かもわからない破茶滅茶な大乱闘だ。よく見れば、普段はおとなしい顔をしている同学年の男子生徒や、何故か女子生徒まで群がってきている。「よくわからないけどこの機に乗じて暴れておけ」という心理で続々と人が増え始め、講堂内はもはや地下闘技場状態だ。
僕はギターを抱え階段を這うようにして駆け上がり、アンプにシールドのプラグをぶち込んでチューニングもせずに音量のツマミを回し爆音を響かせた。そのまま演奏予定の曲のイントロを一人で弾きながらステージ下で起こる暴動に目をやると、隅っこから阿部先輩がギター片手に飛び出してきたので、さすがにチューナーを渡すと「なんとなくわかるからいい」と勘だけでチューニングを行い、弦に手をかけると同時に歌い始めた。次に柏木先輩が、最後に千葉さんが妙に高揚した状態で戻ってきて、やっと全ての音が重なる。
阿部先輩の声が、何倍の大きさにもなって講堂中に響き渡る。怒号や悲鳴や野次馬の茶々なんか聞こえなくなるくらいに、先輩のしゃがれててかっこいい、でも少し子どもっぽいような声が、僕の書いた陳腐な詞を歌としてこの世界に吐き出すのだ。
乱闘は止まず、それでも、何人かが僕らのステージに目を向けている。僕の書いた歌詞なんて聞き取れなくていい、ただ、先輩の声と僕達のこの今にも暴れ出しそうな演奏が誰かしらに聞こえたのならそれでいいのだ。いや、もう、それすら、僕達自身が楽しければいい。四人全員が全員、きっとそんな目をしていただろう。
阿部先輩の声が消え、僕がアウトロを弾き終わった後、舞台袖の隅に隠れていた生徒会役員の女の子が「まだ時間ありますけど……、どうしましょうこの騒ぎ。中止にした方が……」と不安げな面持ちで声をかけてきた。それを聞くや否や阿部先輩がギターを鳴らし、柏木先輩がそれにいち早く気づきハイハットを叩く。聴いたことのないリフだった。「即興ですか!?」爆音の中で僕がそう叫ぶと、当たり前だろとでもいいたげな阿部先輩と一度目があい、彼は歌い出した。日本語ではない、というか、きっと言葉にはなっていない。それなのに、どうしてこんなに胸の中に手を突っ込んで掻き回されるみたいなどうしようもない気持ちになるんだろう、この人の曲は。
僕と千葉さんも加わり、思うがままに音を鳴らす。講堂で暴れている奴の耳にも、少しぐらいは届いているだろうか。生徒会役員や、通りかかった人なんかにも、聴こえているだろうか。だって、こんなに綺麗な曲なのに、誰にも届いていなかったらあまりにももったいない。この曲が可哀想だ。でもきっと阿部先輩は、この曲のことなんてすぐに忘れてしまうんだろう。
大人数が暴行に暴行を重ねて血を流す傍ら、僕達は僕達の演奏を終え、したたる汗を何度もぬぐいながら講堂の異様な光景をステージの上からただ眺めていた。
続く