マジョリカの使い魔
ひだまり童話館「もじゃもじゃな話」参加作品です
ちょうど終学活が終わった時、クラスの真ん中の席の下野里香が豪快なくしゃみをした。
それだけならなんてことはない、ちょっとした笑いが起こる程度のことだったはずである。しかしながら、それはちょっとした笑いごとでは済まされない状態だった。
なぜなら、里香のくしゃみをかき消すほどの音がクラスに響いたのだから。
―― ボワン!
しかも、音だけではなく、なにやら煙が立ちのぼった。くしゃみの飛沫どころではない、かといって理科の実験で見かけるような水蒸気ともわけが違う。枯れ葉を焚火にくべた時のような、しっかりと灰色の煙がモワモワっと立ち上った。
さらにさらに、クラスの子たちが煙に驚いて怖がって声を出したり、近くの席の子が避難して立ち上がったりしているというのに、里香の机の上には、これまたヘンテコな黒くてもじゃもじゃの物体が乗っかっていたという――
「下野、なんだそれは」
担任の先生がつかつかと里香の席に近づき、その黒い物体を取り上げようとしている。
「勉強に関係ないものを持ってきちゃいかん。なんだ、そんな大きなぬいぐるみ……」
「ぬいぐるみじゃありません、これは」
普段ぼんやりしていて、誰ともしゃべらない大人しい里香が、その黒い物体を先生の手からかばうようにしながら反論した。
「これは、なんだ?」ゆっくりかみ砕くように先生が聞く。
「まっくろくろすけじゃな~い?」
誰かが言うと、教室中が笑った。
でも、里香は笑わない。
『まっくろくろすけじゃない。おいらはクロスケだ』
里香ではなく、黒い物体が反論したが、その声はみんなにはただの「ニャー」としか聞こえなかった。
「ニャーだって!」
「えっ、アレ猫なの?」
「やだ~。可愛い~」
言われてみれば、猫っぽい耳と目が見えるが、言われなければわからないほどにもじゃもじゃの塊にしか見えない。
「すすす、すみません!ごめんなさい、ごめんなさい!」
里香はひたすらに謝り続けた。
普段大人しくて目立たない里香にしては珍しい失態であるが、クラスメイトたちは猫の出現にほのぼのとして、それ以上は咎めなかった。
しかし一人だけ、里香のことを見逃さない生徒がいた。
「下野さん、ちょっと?」
それは、学級委員長であった。
猫を手提げに押し込めながら里香は恐る恐る委員長を見上げた。できることならそっとしておいてほしい。そして早く帰らせてほしい。
さもないと猫が見つかっただけでなく、さらに困ったことがバレてしまいそうだ。
それなのに、委員長は里香が席を立てないように、机をグイと抑え込んできた。そして、先ほどの猫騒ぎのことをくどくどと説教し始めたのである。
「先生は寛大にも許して下さったけれど、いくらなんでも猫を学校に連れてくるっていうのは、どうなのかしら?幸い、このクラスには猫アレルギーの人はいなかったから良いものの、もしアレルギーの人が知らずにあなたの隣に座っていたら大変なことよ?」
「す、すみません」
里香がどんなに謝っても委員長の説教は続く。それを見ていたクラスメイトたちは、委員長の長い説教がまた始まったとばかりに、みんな教室から出て行ってしまった。
二人残された教室の真ん中で、里香は小さくなって座っていた。
委員長の口はとどまるところを知らず滑らかではあるものの里香にとっては耳に痛い言葉がズケズケと突き刺さっていた。
「だいたいね、あなたの服装だって校則違反なのよ?春夏秋冬を問わず黒いセーターを着てくるなんてどうかと思うわ?制服の上に着用して良いのは、グレーか紺色のセーターよ。夏場はセーター自体が禁止。先生方だってそれをわかっていて大目に見てくださっているのよ?それなのに、それが当然だって顔しているなんてどういう神経なのかしら」
話しは猫のことから、違うことへと移っていった。しかし里香は反論できない。きっと委員長はずっと里香のことが気になっていたに違いない。
気が付くと委員長はなぜか30センチ物差しを持っていた。そして物差しで里香の学生カバンを指した。
「きっとカバンの中には、まだまだ校則違反のものが入ってるわね?開けてごらんなさい」
「え」
里香はのろのろとカバンを押さえた。
委員長の物差しが、開けろと言わんばかりに鋭く揺れた。
「あの……はい」しかたなく、里香はカバンを開けた。
委員長はすぐに目的の物を見つけた。
「ほら!」したり顔で里香のカバンに手を伸ばすと、サッとソレを手に取った。「これは、何かしら?」
委員長の手には、長さ30センチほどの棒がが握られていた。しかし物差しにしては細く、シャーペンにしては長い。学業に必要なものでないことは明らかである。
「あの、それは」
里香は口をふかふかと動かしているが、言葉は語られない。下手なことを言えば、猫以上に知られては困ることがバレてしまうかもしれない。
委員長はそんな里香のことを、まるで楽しいおもちゃでも見るかのような目で見ていた。
「ねえ、下野さん?」急に優しい声になった委員長。「学校に持ってくるなら、もう少しわかりにくい物にしなくちゃダメだと思わない?」
里香はますます小さくなって、それでも笑顔を作っている委員長の顔を見ていた。すると、
「だから、例えばこういう風にすればいいと思わない?」
委員長は手に持っていた、自分の物差しを一振りした。
―― ボワン!
委員長が振り下ろした机の上には、少しの煙が立ち、そこには黒いもじゃもじゃの塊が乗っかっていた。
『ごしゅりんたま、およびでごじゃいますか』
里香は自分の手提げと机の上を交互に見やった。手提げにはクロスケがいる。
ではこれは……委員長の使い魔の猫?
どうやら委員長は里香と同類だったらしい。そんな委員長には、里香が魔女であることはバレバレだったに違いない。
ともあれ里香の秘密は委員長のおかげで守られた。そしてこれからは魔法の杖を定規にカモフラージュするようになったのだった。