神に愛された魔王
あるドラマでヘルマン・ヘッセ作『車輪の下』と言う小説の冒頭を聞いて、思い付きました。
アークライト・アラバスターと名付けられた少年は思考する余地などないほど明らかに才能に恵まれた子供だった。
ひとたび彼を見れば皆そうと気づくだろう。かの少年は我々とは次元が異なると。
その知能はただ人のそれではなく、その精神は常人のものではなく、その肉体は万人とは違い過ぎた。
しかし、その才能を彼はただ一つの願いに費やした。
世界の技術を数百年は進められると謳われるその知能を――
常人が心折れ、死を選ぶ苦行を眉一つ動かさずやり遂げるその精神を――
あらゆる技術を模倣し、習得し、昇華し、完成させ、終わらせるその肉体を――
あらゆる災厄を齎す魔王になるために。
「さあ、終わる為に始めよう。魔王と勇者の物語を」
◇◇◇◇
アスタリスク大陸の中心に位置しており広大で肥沃な大地にもかかわらず、誰も立ち寄らない未開の地。人類も魔物も何かを恐れるようにそこに生物は存在していない。その大地には世界を長きにわたり支配した絶対者。歴代の魔王たちの中で最強、最凶、最狂。三つのさいきょうを持つ男。初代魔王ルシファーが初代勇者と戦いで死んだ場所。
そこに、蛾が火に赴くが如く自ら死に向かう愚者の一団――アポストロス――。広大な大地の中心にまるで、見るものを吸い込むような深淵。常人であれば近づくだけで意識を失う程の瘴気を放っていた。しかし、アポストロスは嬉々として深淵に飛び込む。
一切の光が届かない深淵を長い時間下に向けて飛んでいき、底に辿り着いたアポストロスは異空間の中から直径2メートルの深紅の球体を取り出し、儀式を始める。彼らにとっての神、世界にとっての魔王。世界を支配せし初代魔王ルシファーを再びこの世界に誕生させるために――
◇◇◇◇
アークライト・アラバスターは恵まれている。多くの才を持ちそれは正に天稟。そして、天稟を発揮するに相応しい知能と肉体があった。家は古くから続く名家。アークライト・アラバスターと言う人間が恵まれている事を否定することなど誰にもできない。それは自分自身から見ても。しかし、アークライト・アラバスターが満ち足りていたかと言うと――
――あり得ない。
あれだけの天稟、総てを支配できる力を持ちながら彼は唯一望んだものを手に入れることが出来ない宿命。彼は何故魔王に憧れ、志したのか。彼と言う存在を知れば自ずと答えは出る。
魔王には勇者がいる。世界に数多ある魔王が存在する物語。その中に唯の一つも勇者が存在しない物語はない。勇者と明記していなくても魔王を倒そうと志すこと自体が勇気ある者、則ち勇者である。魔王と勇者は常に寄り添う。影と光、絶望と希望、悪と正義、死と生、男と女、陰と陽、魔王と勇者。
彼は求めた、競い合う者を。彼は切望した、自らの終わりを。彼は渇望した、共に生きる者を。
だから、アークライト・アラバスターは魔王になりたい。しかし、アークライト・アラバスターが望んだ魔王になり得るかと言うと――
――なり得ない。
彼は魔王になれるだろう。それだけの天稟を彼は持っている。しかし、彼の生まれた世界は勇者が生まれない。生まれたとしても数千数万年先、その時には彼は既に死んでいるだろう。勇者がいなければ彼が望む魔王とはなり得ない。故に、私は彼に手を差し伸べる。
「世界の総てを捨て来るがいい。我が世界へ――求める者がそこに在る」
次代を背負うと言われる少年。アークライト・アラバスターが消息不明との知らせが世界に広がるのはもう少し先の話。
◇◇◇◇
深淵の底、遂に儀式が終わる。宙に浮いていた深紅の球体がひび割れ、煌めく金髪に金色の瞳を持つ男が現れた。我らの神の誕生に歓喜していたアポストロスは一斉に跪いて自分たちがどれだけ初代魔王の復活を望んでいたか、復活の為にどれだけの事をしたかなどを話し始めた。
初代魔王は反応を示さなかったが、次に発した一言が彼らの命運を分けることになった。
「勇者などと言う愚か者が、御身に傷をつけるなど……」
初めて男の話に反応を見せた魔王に何を勘違いしたのか、アポストロスのもの達は次々と勇者を詰り貶める。しかし、次の瞬間には首から上をなくし血の海に倒れていた。
「魔王となるにはこのような弊害が出ると理解はしていたが、縋る事しか出来んとは醜いものよ。ゲートオープン」
魔王はそれを一瞥すると興味をなくしたように去っていった。
深淵に男の姿は無く、あるのは愚者たちの骸のみ。
◇◇◇◇
アスタリスク大陸に存在する6つの国は、各国に一人いる聖女が神託を受け魔王の誕生と勇者の誕生を知る。陽が世界を照らす時、6人の聖女たちが同時にしかし、別の場所で神託を受けた。
――闇の王が誕生し、光の戦士が現れる。
それを聞いた聖女たちの反応は様々だった。憂いを浮かべる者、怒りを隠そうとしない者、放心している者、無表情を貫き動じていない者、面倒だと嫌な顔をする者。反応は様々だが共通しているのはこの神託を喜ばしいと思っていない事。故に、聖女セシリアの異質さが際立つ。セシリアの表情は普段の理知的なものとは異なる――歓喜だった。
魔王誕生の報に各国は急ぎ勇者の資格を持つものを探し始めた。体に聖痕を刻むものを――
しかし、彼らは知らない。誕生した魔王が最強と謳われる初代魔王だということを。
◇◇◇◇
アークライト・アラバスターは生まれ育った世界を捨て、自らを終わらせてくれる者が居る世界に来た。いかに神に愛された彼と言えど何の知識もない世界で、言葉すら通じないとなれば思い通りにはいかないだろう。しかし、それも最初の数年だけ。慣れた頃にはその知力と武力で国での頭角を現し、将軍にまで上り詰め他国との戦争を全戦全勝。大陸を統一した後、国を出て大陸の中心に魔王国を建国し、今まで所属していた国を滅ぼし魔王国が大陸を統一、アークライト・アラバスターは魔王ルシファーとなった。
それから千年後、遂に待望の勇者が現れた。かの者の名はアーサー。アーサーとルシファーの戦いは熾烈を極め世界の文明を破壊し尽くすまで続き、結果は勇者がルシファーの心臓を聖剣エクスカリバーで貫き勝利。魔王ルシファーは歓喜に満ち溢れ微笑みながら死んでいった。
◇◇◇◇
アスタリスク大陸中を探しても見つからずしかし、確かに存在しているエルフだけが住まう樹国セプテム。
別の次元に存在されると言われている世界樹ユグドラシルの麓に存在する樹国セプテムの長たるハイエルフのアルトリーファも各国の聖女たちの様に魔王の誕生を察する。
しかし、彼女と聖女たちの差は彼女が察したのは魔王の誕生ではなく初代魔王ルシファーの誕生だったと言う事だろう。アルトリーファは近くにいた侍女に声をかける。
「食事の準備をして頂戴。いつものではなく客人をもてなす食事を……」
不思議そうな顔の侍女にアルトリーファは微笑みながら、告げる。
「私の愛おしい人に振舞うのだから特別なものをお願いね」
侍女は目を見開き、それを見てアルトリーファはまた微笑む。いずれ来る客人を思いながら。
樹国セプテムに深淵からの客人がやって来る前日の会話である。




