53 伝えることの難しさ
「シオンっ!」
バタバタと階下から駆け上がってきたウィルが部屋に飛び込んで来た。
「ウィル?」
「ポーション……睡眠ポーションを掛けて助けを呼べねぇように眠らせたって……マジで質が悪いぜあの女」
あれから暫くして詰め所の騎士が知らせてくれたのは犯行の一部始終で、頭を殴った後に睡眠ポーションを掛けて助けが呼べないようにして鍋に放り込んだというなんとも胸糞悪い話だった。
すぐさま目覚ポーションをアイテムボックスから取り出すとレインに掛ける。ヒールもかけたしポーションも飲ませた……これで目覚めてくれれば……そう祈るしか無い。
「レインっ!」
名前を呼んで肩を揺すると、その重たく永遠に閉ざされてしまうのではないかと危惧していた目蓋がゆっくりと開いた。
「……どうしたの、二人とも?」
俺たち二人が揃って覗き込んでいる事に紫水晶の瞳を丸くして横たわったまま首を傾げた。
「レイン……」
「……シオ……ん……っ……、ウィルが……ぁっ……」
堪えきれずに角度を変えながら何度となく唇を奪うと、途切れ途切れに何かを訴えながら胸を押しのけようと微かな抵抗をするから、その手すら愛おしい。キスをしながら魔力を注ぐ……今の俺の魔力では長時間は難しいが、注いだ魔力がレインに馴染めば離れている時間は護りの結界を労せずして張れる様になる。そうすれば害意あるものから護れるはず……本当は離れずにずっと側に居られれば良いけど現実はそうもいかない。
「シオン……俺まだいるからそういうのは後にしてくんねぇ?」
ウィルがやや呆れた口調でとめるから仕方ないのでレインの唇から名残惜しいけど離れる。すると潤んだ瞳が俺を見つめていて濡れた唇に吸い込まれる様にもう一度キスしそうになるけど流石に今度は我慢した。
「シオンのバカっ!」
急にキスした事に怒ったのか、それとも照れ隠しなのか、多分ウィルがいたのにキスしたから恥ずかしくて怒ったんだろうけど……潤んだ瞳で俺を見つめていたレインがフイッと顔を逸らす。
「そうだ、そんな事よりポーション飲んで」
「へ?なんでポーション……」
背中に手を添えて支えて上半身を起こしアイテムボックスから取り出した赤いポーションを手渡すと、今さっき怒っていた事を忘れたのかキョトンとしたまま首を傾げた。
「あの女に殴られて睡眠ポーションで眠らされてたんだよ」
「血だらけで顔も青いし呼吸も弱くてもう少し遅かったら死ぬところだった」
「何それなんの冗談?それとも今日ってエイプリルフールとか……なわけないか」
困惑顔のレインはその時の記憶があやふやなようで俺たちの言っている事を俄に信じられないようだ。そしてエイプリルフールとは何だろう?
「よく思い出してみ、後ろからリビングに飾ってある模造剣で殴られたんだ」
「確か、クッキーを作ってて……後ろから急に……そう、衝撃が……」
「しかも殴った後ポーションで眠らされたからもう夕方」
「まさか……そんな事信じられないよ」
あの女は最初から俺やウィルに媚びた態度をとり粘着質な視線を送る一方で、レインに対して表面上は友好的に装っていた。しかしその実、軽んじるというか本人は隠し通している気だった様だが、俺やウィルから見たら妬み嫉みやレインを侮り見下すような嫌な態度だった。
出会って間もないそれも助けた人から害意を向けられる事があるなんて分からないレインは、同い年の友達が出来たと喜んでいてとても言い出せなかったが……。
レインがどうしてもと希望したから一ヶ月の我慢とギルドからの要請を受け入れたが、生活の場にあの女がいるのはやはり気分の良いものでは無かった。それでも大それた事を仕出かすとはもちろんその時は思わなかったし、こんなに行動が早いとも思わなかった。
だけど、多かれ少なかれ妬み嫉みから何らかの行動に出るだろうと、レインを護る為にも最初にきちんとした契約書を交わした。それなのに重要な契約書の内容すら見ていなかったのか、命の危険すらあった今回のこの結果にやはり最初から排除していればと後悔ばかりをしているし、それを君に伝えることの難しさをひしひしと感じている。
「目覚めて良かった」
「シオン?」
頬に手を伸ばすと目を丸くしたレインが俺の名を呼ぶ。その唇から紡がれるなら自分の名前すら特別に感じる。
「あっ、俺は屋台《そこいら》ぶらぶらして頼んである飯取りに行ってくるから……その、ごゆっくり」
「ウィルっ!」
ウィルがそう言い残してそそくさと部屋を出て行くとレインは焦りながらその名を呼び不自然に視線を泳がせた。俺としては今迂闊に手を出して婚姻関係にない愛妾にはしたくないし、ちゃんと婚姻の儀を挙げるまでは取って食いやしないのに。
「レイン、ちゃんと結婚するまではキスで我慢するから大丈夫」
「……だからっ、シオンとは会ったばかりだし結婚とか……まだ考えられないよ!」
そう言うとレインは会ったばかりだし結婚はまだ考えられないとまくし立てた。まだ考えられないと言うことは拒絶じゃなくて今じゃなくていつかは考えても良いと言う事だから良しとする。それに出会ってから今までレインの様子を見てると俺の容姿は嫌いじゃない……と言うか、多分好きだと思うからまったく望みが無いわけでは無い。
「じゃあ考えて?俺はレインをお嫁さんにしたいしずっと一緒に居たい」
「シ、シオン?!」
どうしても欲しいと今まで生きてきて初めて思ったあの時から、そもそも逃すつもりは無いけど、今は退路を断ちつつ外堀を埋めに埋めて固めるに徹するのが先決。
「キスはしても良い?」
出来ればキスは毎日したい。一日中とは言わないから最低でも一日三回ぐらいは。それでも多いと言われそうだけど。
「それは……一応付き合ってるから、良いと思う……」
真っ赤になりながら途切れ途切れにキスを承諾する姿はやはり可愛らしくて仕方ない。
「レイン、愛してる」
「な、なっ……」
口をぱくぱくさせながら、多分レインの言いたい事は何言ってるの?とかだと思う。ウィルが回りくどい方法じゃなく、しっかり言葉にして面と向かって言わないとレインにはまったく通じないって、ギルドへの行き帰りに教えてくれたから早速それを実行する。やっぱり君に伝えるのは難しい。
「俺のこと好き?」
「……キライじゃ、ない……というか、多分好き……だけど……それとこれは違う……」
そしてまた耳まで真っ赤になりながらそう途切れ途切れに小さく零すと、フイッと目を逸らす。
「俺はレインが好き」
「……んっ、」
そっと頬に手を伸ばしてその目を見ながらもう一度大切な事を伝える。嫌いじゃなくて多分好きなら遠慮はしない。
これから何度でも言葉にして伝えるから覚悟して欲しい。
そして、ウィルが痺れを切らして呼びにくるまで"ごゆっくり"したのは言うまでもない。




