29 知りたいのは君の心の内側
『ただいまなの~』
ふよふよと何か巨大なものを抱えて——と言ってもエルの姿なんて声だけで見えないんだけど——エルがリビングに現れると、ウィルが食ってかかった。
「お前帰ってくんの遅ぇんだよ!色々大変だったんだぞ!ってなんだそれ?!」
あんな大きいもののツッコミが最後って……ウィルらしいけど。
『知ってるの~、僕もお仕事があるから仕方ないの~(僕たちが地球を留守にしてたから加護が届かなかったのか、でもレインの魂はキラキラで元々の傷以外無いから大丈夫か)』
「そのすごく大きいのは何なの?」
『レインにお土産なの~、ポーションを作る鍋……錬金釜なの~、精霊王の加護があるかもだしないかもなの~、キッチンの隅に置いておくの~』
どうやら妖精さんの国?エルが住むところで拾った精霊王の加護があるかもしれない古い大きな鍋……じゃなく錬金釜らしい。こんな錬金釜だれが使うんだろう……でもキッチンに運んだからやっぱり鍋なのかも。エルも鍋とか言ってから錬金釜って言い直してたからきっと装飾のある鍋?
***
「エルあのね、今日はエレノワールの森に行くんだよ」
レインは昨日から楽しみでお弁当とかお菓子とか色々張り切って作りためてアイテムボックスに入れて準備していたらしいが、若干ピクニックと勘違いしている節がある。
『レインと一緒に行くの~、でもその後また出掛けなきゃなの~』
「そっか、じゃ一緒に探検したらまたエルはお出掛けなんだね」
「出来た、そろそろ出発の時間」
レインの髪を結わえながら僕とウィルやレインのやり取りを見ていたシオンが最後に髪飾りをつけると、そう声を掛けてきた。
「シオン、ありがとう」
動きやすいように後頭部の高い位置に起用に結い紐で纏められた艶やかな黒い髪は、ゆらゆらと馬の尻尾のように揺れている。
「レイン……その、可愛いと思う」
「ああ、これ馬の尻尾みたいで可愛いよね。えーと、ポニーテールって言うんだよ」
可愛さを褒められたのは自分ではなく髪型の揺れだと思っているから話はここで終わる。もちろん進展なんてしない。
「……てか、通じてねぇんだよな」
『鈍いからなの~』
(へぇ、僕がいない間に随分積極的に……まぁ、通じてないし、明後日の方向だから良いけど)
「それだけじゃねぇだろ、絶対」
そう言って僕に遠慮なく向ける訝しげな視線。ウィルのその言葉にシオンも僕を見た。僕が何か知っていると確信しているのか、聡いね……嫌いじゃないけど。
可愛らしいとか美しいと道行く人が振り返る目を引く容姿、素直というか真っ直ぐな性格。僕たちからしたら純真無垢で汚れを知らない透き通った魂はとても心地が良い。
ただ、そのどこかが歪んでいるとすれば、自己評価がこれでもかと言う程低い事。以前と瞳の色彩以外は大差無い姿形のはずなのに……
『僕のお願いのうちに聞いて欲しいんだけどね』
ふぅ、とため息と共にポツリと呟いた言葉は誰にも聞こえはしない。心配はしていないし、進展などするわけもないのだ。そもそもシエルはエレインの愛し子を二人に任せる気はない。成り行きで行動を共にする事になっただけで、意図を組んでくれなくては困るのだ。
***
出発すると、三日かけてエレノワールの森に向かう。来たときと同様のやり取りが繰り返されていた。
「おやすみ、レイン」
「お、おやすみなさい」
『おやすみなの~』
最早諦めたのか渋々捕まったレインを満足げにシオンは懐に抱え込み自分の着ている外套で包み込んだ。
「エルは寝るな」
『安眠妨害なの~』
「つーか、レインは相変わらず寝るの早いな」
一日中歩き続けたレインは、本人が疲れているとお休み三秒と言うだけあってすぐ夢の中に入る。それは生まれたばかりでレベルもHPも低く、まだ新しい身体に慣れていないからもあるのだけど、そんな事あの二人には分からないし、知らせるつもりも無い。
「いくら近場って言ってもテントか寝袋用意しとかねぇか?交代で見張りしてんだしテントでも大丈夫だろ」
「……必要ない」
「もっと遠出とか、寒い日や雨ん時はどうすんだよっ!」
手元というか懐に後生大事にしまい込んで満足そうなその姿に、精霊から聞いていたシルフォード帝国の第二皇子アレクシオンは"こんな男だったか?"とエルは首を傾げるしかない。
そもそもヴィルヘルムにお金の使い方や街での生活をレイン教えて欲しいとお願いしたのは、今のところ色恋にまったく興味がなく安全だからだし、あのアレクシオンはレインと距離をとると思っていたからだ。
自分を陥れようとした令嬢を容赦なく氷漬けにしたり、賊たちを一刀両断し死屍累々の中顔色一つ変えなかったり、成人すると趣味が討伐しかも魔物賊問わず、母や妹姫に下心や二心を抱くものたちも徹底的に排除する氷のアレクシオン殿下と有名だ。それに極近しいものにしか感情を表さない、もっと殺伐とした冷たい印象だった……その点からこちらも安全だと思っていたのに当てが外れた。
『で、なんなの~』
気を取り直すと僕は訝しげな視線を遠慮なくウィルに投げつける。確かに僕は寝なくても大丈夫だけど、安眠妨害は万死に値すると思う。
「利用するな、名前は名乗るなってお前のお願いは、ある程度暮らせる知識を教えたら、さっさとレインの前から消えろって意味だろ」
『ヴィルヘルム流石なの~』
それがきちんと分かっているなら直ぐにでも実行して欲しい。次の瞬間、予想しない言葉がその口から飛び出した。
「悪ぃんだけど、それ聞けねぇわ」
『お願いのうちに聞いておいた方が賢明だよウィル。僕はエレインの愛し子を問題のある君たちに託す気は毛頭ないのだから』
いつもの間の抜けたエルの喋り方から一転、本来の抑揚の少ない話し方に戻す。姿を違えていても、どちらも僕である事は変わりはしないのだが。
「それが本性か」
『アレクシオンひどいの~』
「時がくれば袂を分かつかもしんねぇけど、どうにかしてやりてぇんだ」
「そもそも自己評価が低過ぎる」
通りすがった程度の縁でこの世界では珍しく見返りなしに命を助け、傷つき荒んだその全てを癒やし、まるでそれが当たり前かのように対価すら求めようとはしない。その与えられたこの世界では稀有な献身と慈愛、まるで女神に賜った甘露の如き衝撃だろう。
そのレインが心の奥底に無意識に仕舞い込んでいる何かから解き放ちたい助けたいとこの二人が思っているのは僕にも伝わるのだが、烏滸がましくもたかが人間如きに何が出来ると言うのだろうか。
『君たちにそれが出来るとは到底思えないけど。良いよ、それ程まで言うならやってみると良いさ(その結果レインが君たちを受け入れたのなら僕も認めようじゃないか)』
「理由、あんだろ」
「差し支えなければ知りたい」
エレイン……エレオノーラが、零の持ち物を全てレイン持たせた理由もそこにある。手に取らせたい、読ませたいものがあったから。数多の命を救う事で磨かれた美しい魂の奥深くに、ごく僅かな傷がある。女神の能力で癒やそうとしても癒せなかったそれは、ゆっくりとこの世界で癒やしてもらうしかない。だからエレオノーラは確実に癒せる様にレインを導く事を僕に願った。ちょっとした細工をしたのは未だ咎められていないがバレてないのか?
僕はエレオノーラの願いを確実にする為に危険を排除すべきなのだが、死の運命を免れ僕が未来を見通せぬ人間ならあるいは……
ただ、懸念はアレクシオンがあのギデオンの息子という点と……あそこにはシルフィにセルシウスがいる。そう、やはり一筋縄ではいかない。
『そう、これは例えばの話だが』




