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骨董絵葉書館  作者: サニー
第一章 長門峡
3/11

 佐伯の探している一枚の絵葉書は、なかなか見つからないままに時が過ぎて、暦は九月に変わっていた。

 店の横を流れる濁った川の水面に、カップ麺の容器やジュースのペットボトルに混じって、黄色や茶色の落ち葉が浮かぶようになった。


 そんなある日、美弥子が店に来てしばらくすると、奇妙な女の客が入ってきた。五十はとうに過ぎているだろう。黒いインド綿でできたたっぷりとした仕立ての民族風のワンピースを着て、色々な石を何連もつなぎ合わせたネックレスをつけている。年齢のわりには皺やたるみのないつるんとした幅の広い顔をしていた。女はひとしきり店内を見回し、やがて、レジの中にいる美弥子に気づいた。


「あの、何かご用ですか?」

 

女はそれには答えず、目を大きく見開き、こわばった表情でしばらく美弥子の顔を穴があくほど見つめていたが、やがてひと言も言葉を発することなく、足早に店を出ていった。


 女と入れ違いに佐伯が姿を見せた。彼はいつものように絵葉書を探し始めた。美弥子は立って、古いシャンソンのCDをかけた。ときおりノイズの混じるピアフの歌声が流れた。


「いい曲ですね」

 

 佐伯がぽつりとつぶやいて、美弥子は微笑しながらうなずいた。その夜は、佐伯はなかなか帰ろうとしなかった。次々に絵葉書の束を手にとって、それを一枚一枚ていねいに繰っていく仕草を、黙々と繰り返した。店の前の路地を行き交う人の気配が絶えて、少しづつ夜が更けていく。絵葉書の束を箱に戻す佐伯の肩が、力なさげに落ちている。

  

 美弥子は最近、佐伯の探している、長門峡の絵葉書というのを見つけるのが、意外に難しいことに気づいた。どうやらアンティーク絵葉書の専門店というのは、日本中で『幻燈』しかないらしいが、そもそも今もその絵葉書が、残っているのかどうかさえ分からない。残っていたとしても、どこかの家の押入れの中や、古書店や骨董屋、海外に流出している可能性もある。だから、もしその絵葉書が、この『幻燈』に巡ってきたとしたら、それはほとんど奇跡といってもよかった。

 

「その絵葉書は、佐伯さんにとってとても大切なものだったのですね」

 

 美弥子は、懸命に絵葉書を探している佐伯に声をかけてみた。しかし、佐伯は返事をせず、ただ頬の線を引き締めてうなずいた。その時美弥子は、床に宅配便の小ぶりなダンボール箱が置かれていることに気づいた。須藤のもとには、時々古い絵葉書の買い取りの依頼があって、どうやらその荷物のようだ。無断で箱を開けることにためらいがあったが、佐伯の悲痛な表情に負けて、美弥子は荷物をほどいた。箱の中身はやはり二百枚ほどの絵葉書だった。


 美弥子は祈るような思いで、絵葉書をめくった。半分くらいまで目を通した時「長門峡の景観」と描かれたモノクロの絵葉書が現れた。裏を返すと使用済みで、送り主のところに「佐伯慎二」と書かれている。切手の下に「軍事郵便」と印刷されていて、昭和十九年の消印が押されていた。美弥子は一瞬部屋の温度がすっと下がったような気がして思わず佐伯の顔をみつめ、震える手でその絵葉書を差し出した。


「佐伯さん、これ……」

 

 受け取った佐伯の顔がみるみる輝いたと思うと、その両眼から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

 泣いている佐伯の横顔を見ているうちに、美弥子はさきほど感じた恐怖を忘れた。


「よかったら、あなたがその絵葉書を探しておられたわけを、話してはいただけませんか?」

 

 しばらくして美弥子は佐伯に話しかけた。佐伯は涙を流したことで少し気持ちが落ち着いたらしく、静かにうなずくと、初めてまっすぐに美弥子と向き合って、丸椅子に腰を下ろした。


「実はこの葉書は自分がフィリピン沖の海戦に出撃する前に、恋人にあてて書いたものです」

 

 佐伯のよく通る声が、しんと静まった部屋の中に響いた。

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