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雨の多い年だった。夏になってもすっきりと晴れた青空が広がることはまれで、終日湿った風が吹き、夕方からの、うだるような暑さのあとは決まって雨になった。『幻燈』の前の路地は天神から春吉の飲み屋街に抜ける裏道になっていて、夕方になると、仕事帰りのサラリーマンたちが三々五々連れ立って歩いていくのが常だったが、雨になると人の足も遠のいた。そんな日は少し夜が更けると早々とネオンが消え始め、まばらに残った一杯飲み屋の赤提灯の色が、アスファルトを濡らす雨にけて流れた。この辺りにはそんな場末の花街の風情が色濃く残っていた。
その夜、一人の青年が『幻燈』にやってきた。今どきの若者には珍しく、洗いざらした白い開襟シャツにカーキ色のズボンという、ひどく質素なみなりで、おまけに病人のように痩せていて顔色も悪かった。
その青年はよほど探している絵葉書があるのか、店に入ってくるなり、脇目もふらずに一心に絵葉書の束をめくっていた。小一時間ほども、黙々と絵葉書を繰り続けた後に、青年は顔を上げた。
「あの、日本の絵葉書はここにあるだけですか?」外見よりもずっと若々しい声だった。
「どんな絵葉書をお探しですか?」
「山口の、長門峡というところの絵葉書を……」
美弥子は立って、山口県の絵葉書のところを探してみたが、あいにく見当たらなかった。
「その絵葉書は、一度投函したものなのです。そういう絵葉書のコーナーというのはありませんか」
「使用済みの絵葉書でも、珍しい切手が貼ってあったりすると分けてあるのですが」
そう答えて探してみたが、青年の言うような使用済みの長門峡の絵葉書は見当たらなかった。
「ごめんなさい。やっぱり、今お店にはないみたいです。でも、オーナーの自宅にもまだたくさんコレクションがあるらしいので、そちらも探していただけるようにお願いしてみますね」
青年は美弥子の言葉に「自分は佐伯慎二といいます。よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。




