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坂井の話を聞いて、須藤は微笑した。
「それであなたも、私の父が、塚本家の土蔵で首を吊って死に、幽霊になってあの一家を殺したのではないかと思われたんですか」
「もちろん、あり得ないことですが、あの事件には、理屈では説明できないことが多すぎました」
「父は、店や家屋敷を失ってから心を病んで、入院した病院で、風邪をこじらせてあっけなく他界しました。あの家で自殺したわけではありません。けれど、塚本氏の一家が幽霊に殺されたというのは、それほどあり得ない話でしょうか」
須藤の言葉に、坂井は眉を上げた。
「もとより、警察は、そんなことは否定するでしょう。けれどそんなことがあるのか、ないのかは誰にも分かりませんよ。神の存在と同じです。正月に、豪華な料理に舌鼓を打ちながら、実の母親を餓死させることができるような人たちであれば、どれほど人の恨みを買う生き様だったことか」
日暮れとともに冷え込みが厳しくなって、雪がみぞれに変わったらしく、ぱらぱらと地面を打つ音が響いた。室内が暗さを増していく中で、坂井は、須藤の背後に、もやもやと漂う黒い霧のようなものを見た気がして、ぶるっと体を震わせた。
その異様な気配をはらうように、須藤は立って、部屋の明かりをつけた。
「いやいや、これは、長年、人間の妄執の渦巻く場所に身を置いてきたせいで、私の気持ちが、すっかり弱くなったのかもかもしれませんな。次第にそういうこともあるかもしれないなんて、思うようになったんですよ」
そう言うと、坂井は頭を掻いた。
「理屈に合わないことなど、たくさんありますよ。我が子を残酷に虐待して殺す人間や、誰でもいいから殺したいと、見ず知らずの人間を殺す者、公共の交通機関に化学兵器をまく集団。それでも人間のやることなら納得できるというのもおかしな話です。けれど、人ではない何者かの存在を認めたら、この世界そのものが根底から揺らいでしまう。人間の手にはおえなくなる。みんな、それが怖いのではありませんか」
坂井は須藤のことばにしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「よく分かりました。やはりあなたと話して、私は私なりにあの事件にふんぎりをつけることができそうです」
そう言うと、長居をした非礼を詫び、寒そうに肩をすぼめて、大きな牡丹雪の舞い始めた戸外へ出ていった。
坂井が出て行った後、須藤は二階へ上がっていった。ほどなく下りてきた須藤の手には、先日美弥子が見つけた手紙の束が握られていた。須藤はそれを台所の水屋の中に置くとライターで火をつけた。橙色の炎が勢いよくあがり、五分ほどゆらゆらと燃え続けて、やがて黒っぽい灰の塊に変わるのを須藤は無言で見つめた。美弥子は須藤の後ろでその炎を眺めながら、その火が、非業の死を遂げた父親を、彼岸へ送る手向けの明かりに見え、そっと手を合わせた。