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冒険者になる

 この世界における冒険者の役割は多岐に渡る。

 魔物の討伐や商人の護衛、未開の土地の調査といった危険な任務もあれば、街中での荷運びや事務作業などの細々とした仕事もあった。

 正規の騎士と肩を並べて戦うことも珍しくない。

 ギルドに張り出されたそれらの依頼をこなすことで、彼らは稼ぎを得るのだ。

 冒険者ギルドはそういった人間と依頼者を仲介する斡旋所のような立ち位置である。

 実力のある者はいくらでも成り上がれる世界。

 たとえ成り上がれなくとも、来る者を決して拒まない。

 それが冒険者という職業――のはずだった。






「冒険者登録ができない?」


 佐久間は苛立った様子で受付に詰め寄る。

 応対していた女性ギルド職員は、恐怖に顔を歪めた。

 泣きそうになりながらも逃げ出さないのは、職務を全うしようとする真面目さ故か。

 ギルド職員は震える声で説明する。


「ま、誠に申し訳ないのですが、負債者は冒険者登録ができない決まりとなっております……」


 冒険者になるにはまず登録が必要だった。

 とは言っても、そこまで厳重な工程ではない。

 書類に簡単なプロフィールの記述をした後、魔術的な契約を済ませればすぐに完了する。

 しかし、数少ない例外として負債を抱える者は登録ができなかった。

 犯罪者であり、処罰の対象なのだから当然の話である。

 金銭トラブルを起こすという意味でも、信頼に値しないのは明白だった。


「融通は利かせてもらえないのかな。こっちも冒険者として活動するからには、ギルドにも貢献するつもりなんだ」


 佐久間はカウンターに寄りかかり、じっとギルド職員を睨む。

 ギルド職員は硬直し、完全に涙目になっていた。

 彼女だってこんな役目は負いたくなかったのだろう。

 周囲の冒険者も口出しできずに大人しくしている。

 彼らも下手に首を突っ込んで巻き込まれるのが嫌なのだ。

 ちなみにマリーシェは、リュックサックを背負ってぼんやりと二人のやり取りを見守っている。


 やがて佐久間は溜め息を吐いて姿勢を正した。

 張り詰めた雰囲気がほんの僅かに緩む。

 彼はマリーシェの手を掴み、受付カウンターの前に引き寄せた。


「じゃあ、このメイドなら登録はできるかな」


 ギルド職員はじっとマリーシェを観察した後、ゆっくりと頷く。


「は、はい……この方でしたら可能です。どうされますか」


「登録を頼む」


 佐久間の言葉を聞いた瞬間、ギルド職員はへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。

 ひとまずこの場が収まって安心したのだろう。

 頑なに登録を拒否したせいで殺されるとでも思ったのかもしれない。

 慌てて駆け寄った他の職員が彼女を連れてカウンターの奥へと消えていく。


 ふと振り返ると、結構な数の冒険者がギルドからこっそりと抜け出していた。

 残っている者も青い顔でテーブルに座り、佐久間に認識されないようにしている。

 そんな光景を横目に、佐久間は小さな声でぼやいた。


「あれだけ迫害してきたのに、今度は怪物扱いで恐れるのか」


 召喚された当時、佐久間と翼は数えきれないほどの罵倒を受けた。

 多大な負債は災厄を招く、などという言い伝えのせいである。

 そうして誰の助けも借りられずに王都を追い出された。

 この国の勝手な事情に呼び出したにも関わらず、だ。


 結果として翼は質の沼に沈み、佐久間自身は怪物になった。

 すべてはこの国の人間が招いたことである。

 自分は生きるためにただ足掻いただけなのだと、佐久間は声高に主張したかった。

 だが、どうせそれを聞き入る人間などいないと諦めている。


(なぁ、翼……俺はどうしたらいいんだろう)


 佐久間は心の中で幼馴染に問いかける。

 答えは返ってこない。

 行動次第では彼女とまた笑い合える未来もあったのか。

 あるとすれば、どこで道を誤ったのか。

 いくら考えても佐久間には分からなかった。


(そもそも、俺が本当に佐久間信介なのかすら怪しい……)


 感情の一部を捨てて精神が変質した今、彼は自己の連続性を疑っていた。

 地球にいた頃と現在の自分は、同じ人間であると言えるのか。

 人格は豹変し、肉体も不死身に近い状態だ。

 では、以前までの佐久間との本質的な共通点は存在するのか。

 こちらもやはり自信を持って答えられない。


(俺は一体何者なんだろうな)


 人間を平気で殺し、意地汚く金を求め、国王の命をも狙う化け物。

 思い浮かんだ表現がそれだった。

 これで的を射ているのだから笑うしかあるまい。

 佐久間は唐突に自己という存在の不安定さを覚えた。

 他者に依存しなければ確立できない目的。

 怪物になってまで生き永らえる価値はあったのか。

 翼と一緒に沼に沈んでしまえば、いっそ楽になれたのではないか。


 疑念が新たな疑念を生み、佐久間の心に突き刺さる。 

 今まで無理に抑え込んで来た反動だろう。

 激しい頭痛は佐久間を苛み……。


「――那様。旦那様」


 肩をそっと叩かれて佐久間は我に帰る。

 マリーシェに顔を覗き込まれていた。

 どうやら余計な思考に没頭しすぎたようだ。

 佐久間は頭を振って気持ちを切り替える。

 変質した精神がまだ不安定なのだろう、と彼は結論付けた。


「すまない。考え事をしていた。何かあったか?」


 マリーシェは受付カウンターを指差す。

 そこには一枚の書類とインク瓶に挿さった羽ペンが置かれていた。

 いつの間にか、先ほどまでとは違うギルド職員も立っている。


「俺は待っておくから、冒険者登録をしておいてくれ」


「承知しました」


 羽ペンを手に取ったマリーシェを背に、佐久間は酒場用に設けられた丸テーブルの一つに近付き、空いた椅子に腰かけた。

 近くに座っていた人間が急いで席を立ってギルドを出て行く。

 遅れて聞こえてくるひそひそとした囁き声。 

 遠巻きに眺める冒険者たちが何事かを言っているらしい。

 無言で佐久間がそちらを向くと、ぴたりと声は止んだ。

 また新たに何人かが屋外へと退避する。

 佐久間は机をコツコツと指で叩きながら息を吐いた。


(――今までの人生を捨てて、負債勇者として歩めばいいのか)


 先ほどの葛藤に対する答えが浮かんだ。

 もはや戻れない領域に辿り着いたのは事実。

 日本の大学生・佐久間信介としての過去に囚われるのは、ひどく馬鹿らしく思えてきたのである。

 別に今と昔の自分が乖離していようが関係ない。

 ここに佐久間という名の人間がいることに変わりなく、為すべき目的に何ら影響はないのだから。

 ある種の開き直りに近い感情かもしれない。


(沼から生まれた負債勇者。殺人鬼にはぴったりだな)


 佐久間はふと机の上に放置された硬貨に気付く。

 薄っぺらで彫金の粗い硬貨だ。

 佐久間は目を細め、そっと指でつまむ。

 硬貨は音もなく消滅し、負債の返済に充てられた。

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[一言] >自己の連続性 スワンプマン、テセウスの船、人はそもそも変わり続ける生き物な訳で、生まれたときの自分などどれほど残ってるものか
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