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園丁の王  作者: 井出有紀
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第一章 3-2

3-2


 一辺が二十メトロ、さほど広くない。

 薄暗い灌木のアーチが幾筋にも分岐し、迷路のように張り巡らされている。アーチの歩道の途中には、簡素で小さな噴水や、やはり簡素な石造りの椅子が置かれている。

 灌木が途切れた箇所には園亭キオスクがあれば、少し下り道になったかと思うと地下へ埋め込まれた人口洞窟グロッタへ続き、再び灌木のアーチへと戻って行く。

 それらが一箇所ではなく、幾つもある。洞窟によっては滝が流れ、池があり、キオスクにしてもテーブルや椅子が備えてあれば、屋根の下には何もない場所もある。

 ただ、どの経路を辿っても最終的には中央へ出るように設計されていた。

 狭い通路を進むと突然視界が開ける。

 庭の中心に据えられているのは一本の、みずみずしい若い樺である。他にはバランス良く配置された低木の刈り込みが数本、その刈り込みを結ぶようにぐるり円周を、幅の狭いリボン花壇が取り囲んでいる。花壇は、スノードロップの純白一色である。残りの地面はペントグラスで全て覆い尽くされている。

 造り手の意図ははっきりしていた。周辺と中央の空間対比と、中央に生える若木の強調である。

 オルソは外で待たされていた。一人で見て回りたいと師匠が庭へ入ってから、随分時間が経つ。

 書斎に戻らなければならない頃になってようやく、黒コートの男は灌木の外を回って現れた。反対側の出入り口から出たらしい。

「どうだ?」

「君は面白い男だな」

 思わず尋ねたオルソにグラーブは答えた。例によっておそろしく暗い顔と声での台詞である。本当に面白がっているのかどうか知れたものではない。

 帰りすがら、師匠は陰気な口調で解説した。

「あの庭は、都市をそのまま表現している」

 一向に分からない顔で自分を見下ろす視線を感じ取ったのだろう、グラーブは前方を向いたまま言葉を続けた。

「小広場を結ぶ網目状の路、中央広場と主要施設、広い道路は全て中央へ通じている。基本的に都市はそのような造りになっている。君の庭も同じだ。しかしあの庭の中央にあるのは自然物だ。他の者ならおそらく、噴水や彫像などを配置するだろう」

「なんで」

「大都市の中心に教会でも城でもない、大木が生えている様を想像できるかね」

 オルソは想像してみた。

「確かに変だな。だが、それが面白いのか?」

「一考の価値はある」

「なあ」

 師匠の思考が宇宙の彼方へ飛んでいく前に、オルソは急いで呼びかけた。

「訊き忘れていたが、あの庭ロムブリコにくれてやってもいいか」

 黒い瞳がオルソを見上げた。

「地精に?」

「好きにできる自分の庭が欲しいんだと」

「……ああ」

 忘れていたかのようにグラーブは頷いた。

「そういえば彼らに行動制限を設けていたな。構わない」

 言ってから、グラーブは再度オルソを見上げた。

「ということは、あの庭は最初から地精に依頼されて造ったのかね」

「樺を見つけて、あれの周りをどうにかしようと思ったときに頼んできた」

「他に何か要望されなかったかね」

「土や石があればいい、細工物はいらんと言われた」

「なるほど」

 妙に納得した様子で、しかし相変わらず陰気に庭師は頷いた。いくばくか技術指南をするので明日もう一度あの庭へ来たまえと言ったきり、彼は黙り込んだ。


 数日後、新しい依頼書が舞い込んだ。

「また設計だけでいいって書いてあるぞ」

 許可を得てから師匠宛ての手紙の封を切り、オルソは内容を述べた。

「二区画先のパヴォネッサ・カステロ。三年前に戦死した夫を忍ぶ庭を造りたいとさ。敷地の見取り図も同封してある」

 手紙はプルシナ経由でグラーブに渡された。

 高名な造園家は依頼書に目を通すと、見取り図へちらりと暗い目を向けた。

「引き受けないだろう?」

 まさかと思いつつオルソは確認した。水劇場を飾る植物の配置に関して、見解の違うガットとまだ調整がついていない。

 水劇場とは、噴水や滝をふんだんに用い、豪奢な水の動きを鑑賞する装置である。建築家ガットによれば、現在建造中のものは劇場の名に値すべく、暴風や豪雨、牧神の彫像が吹き鳴らす角笛の音色まで演出し、あまつさえ水オルガンなる楽器で音楽まで奏でられるのだという。

 水劇場は本来ガットの分担である。全て彼の意を通せば良いのだが、工期が遅れ気味になっているので、彼はグラーブに助力を求めてきたのだった。

 ガットは自らの作品に誇りを持つ、第一級の建築家であり、誇りはともかく、グラーブとて仕事に手を抜くことはない。何故こんな些細なことで、と傍らで見ているオルソが思うようなことまでを、時間をかけて議論し、決定するのだった。

 ただでさえ天候と睨み合いの仕事である。秋が深まり雨の日も多くなってきた。造園作業も滞りがちである。遅れを最小限に留めるため、責任者が奔走することになる。

 要するに、グラーブ・ヴァンブラは多忙である。

 グラーブは金属製の文鎮でずれないように便箋を固定し、左手で器用に返事を書いた。インクを乾かしてから封をし、彼は再び娘を通して弟子に渡した。

「シニョーラ・カステロの家へ持って行ってくれ」

「俺が? 今から?」

 オルソは怪訝に思って訊き返した。急ぎの手紙でなければ郵便屋に運ばせれば良い。

「そうだ」

「引き受けるのか」

「その場で読むように伝えてくれ」

 寝る時間がなくなるぞ、と言いかけたオルソは、師匠が理解しがたい方法で休息しているのを思い出して口を閉ざした。

 カステロ未亡人は思ったより若く、美しい女性だった。オルソよりも年上だが、グラーブよりは下だろう。見知らぬ大柄な青年を警戒して出迎えたが、オルソの伝言通りその場で返事を読むと、彼女は愛想良く彼を屋敷へ招き入れた。

「それでは、あなたがヴァンブラさんのお弟子さんですのね」

 容姿の衰えに未だ程遠い未亡人は、オルソを庭へ自ら案内した。

「今日はまず、実際にお庭をご覧になっていただくということで」

 俺が見てどうするんだとオルソは思ったが、とりあえずカステロ未亡人の後について中庭へ出た。

「この通り、狭くてお恥ずかしいのですけれど。せめて亡き主人を思い出すよすがにしたいと存じまして」

未亡人の美しい貌がオルソを見上げた。魅惑的な笑みの下から好奇心が丸見えである。王室主催の弟子募集騒動については造園関係者以外の間にも広まっていたので、この未亡人もオルソの前職を聞き及んでいるのかもしれない。

「ヴァンブラさんも図面にお目通しくださるなら安心ですわ。いえ、マイラーノさんを信頼していないのではありませんのよ。お弟子さんになってまだ短いのにお仕事を全て任せられるなんて、優秀な方でいらっしゃるのね」

 オルソの動作がぴたりと止まった。

「なんだと?」

 覚えず呟きが漏れる。

「どうなさいましたの?」

 全身を硬直させた庭師の卵に、何も知らない未亡人が問いかけた。いや、知らなかったという点ではオルソも同様である。

「……いえ」

 機械的に答えた青年は、白紙になった頭の中をなんとか復活させてから言った。

「恐れ入りますが、筆記具をお借り願えますか」

 書き留めておかないと、今の衝撃で見聞したこと全てを忘れかねない。

「あら、気が付かなくて申し訳ございませんでしたわ」

 未亡人は恐縮して召し使いを呼んだ。

「今、お茶の準備もさせておりますから、よろしければごゆっくりなさってくださいね」

 オルソも朴念仁ではない。媚を含んだ眼差しを向けられた彼は、自分が未亡人のお気に召したことぐらいはすぐに悟った。普段なら上機嫌で駆け引きに乗っているところだが、今日に限ってはそれどころではない。

 己が何を話しているのか分からない状態で帰宅したときには、既に昼を過ぎていた。

 オルソは大股で王宮の仕事部屋に直行し、扉を開けると同時に怒鳴った。

「一体どういうつもりだ!」

 言ってから彼は、ヴァンブラ親子だけではなく建築家ガットも室内にいるのに気付いた。

「えらい剣幕だな」

 気を悪くするでもなくガットは苦笑している。失礼、と詫びるオルソに口髭を生やした建築家は気にするな、と応えた。

「まあ、おまえのことだからすぐに忘れるとは思うが」

 ひとこと余計である。

「私もこの後約束が入っているんでな。今日のところは退散しよう。なんだかよく分からんが、勢い余って師匠を殴り飛ばすんじゃないぞ」

 ではまた明日、と言い残してガットは部屋を出た。

「どういうことだ」

 オルソは執務机に詰め寄った。多少音量は落ちたものの、怒気を孕んだ口調はそのままである。

「カステロ邸の中庭は任せた」

 水劇場の図面へ視線を落としたまま天才造園家は言った。思考のほとんどが、まだそちらへ向けられているのだろう。

「まだ半年と少ししか経ってないんだぞ」

 弟子の声に懸念の響きがこもった。グラーブは青白い貌を上げた。相変わらず陰々滅々とした面に、予想外といった色が浮かんでいる。

「もしかして、自信がないのか?」

「あるか、そんなもん!」

 あわやオルソの唾が飛ぶ寸前で、プルシナがさっと脇から手を出し、図面を退避させた。

「『箱庭』であれだけのものができれば、問題ない」

「あれは実際に動いたのが人間じゃなかっただろうが」

「人間でも大して変わらない」

 光をも吸い込む黒い瞳が、オルソの手にあるものを捕えた。

「見せたまえ」

 オルソは持ってきた何枚もの用箋を、机の天板に叩きつけた。乱暴な振る舞いにも動ぜず、朝方と変わりない態度でグラーブはそれに目を通した。

「問題ない」

 造園家は陰気な声で繰り返した。

「君はなすべきことを全てしてきた。現在配置されている植物から推測した地質も正しいし、見取り図だけでは分からなかった箇所も補足されている。シニョーラ・カステロの希望も書いてある。完成期限も切られていない。落ち着きたまえ」

 今しがたまでガットが座っていた椅子を、師匠は目で指し示した。オルソは弟子とは思えない尊大な動作で、どっかと腰を降ろした。行儀悪く片足を、もう片方の膝の上へ乗せる。

「幸い、君は職人たちにも親近感を持たれやすい。私より苦労しない筈だ」

 それを言われてはひとたまりもない。グラーブの場合、その容姿と性格からして、弟子入りする時点でオルソより難儀したに決まっている。

 不貞腐れた顔になり、オルソは両腕を組んだ。

「なぜ最初に言わなかった」

「言えば、今よりも長い押し問答をしていた」

 相手の方が一枚も二枚も上手である。

 オルソは観念してカステロ邸中庭の図面を引き始めた。


 安堵すべきか悔しがるべきか、グラーブ・ヴァンブラの言葉は正しかった。

 通常は依頼を受けた親方が自分の弟子を引き連れてくる。が、現状ではほとんどの人手が王宮へ取られている。カステロ未亡人は各親方の下から数少ない留守居の職人たちを集めてきた。当然のことながら全員、グラーブが弟子を取った経緯を知っている。あからさまに、なぜ自分がこんな素人の指図に従わなければならないのかという面持ちをしていたが、幸運なことにその中の一人が、以前オルソが通っていた親方の下で働く者だった。

 こいつなら大丈夫だ、とコニグリオという名の職人は仲間たちに保証した。

「うちの親方のしごきに耐えたんだからな」

 無遠慮なオルソにしても、何十人もの兵士を率いてきた実績がある。その辺りは如才ない。最初は何かと反発していた職人たちも、じき協力的になった。無論、低姿勢であるだけでなく的確な指示があればこそである。

 徐々に形を変えていく中庭に、カステロ未亡人は次々と要望を出した。なにかときっかけを作ってはオルソに近づいてくる。最初は面白がって相手にしていた彼も、次第に辟易してきた。

「どうにかならないか?」

 オルソは職人たちに相談した。

「据え膳出してるんだから、ありがたく食ってやれよ」

 コニグリオがからかい半分、妬み半分で言った。

「俺なら頂いちまうけどな」

 周りでどっと笑いが起こった。

「客が相手だぞ」

 へえ、とコニグリオは意外そうに大柄な青年を見た。

「しばらく会わないうちに固くなったな、おまえ。前は流れ者そのままって感じだったのに」

「そうか?」

 オルソには自覚がない。身持ちが固くなったのだとしたら、それは陰気な師匠の影響だろう。

 ある日、例によってカステロ未亡人が唐突に言い出した。

「中央の噴水の代わりに、主人の像を置きたいんですの」

 これにはぎくりとして、オルソは未亡人を見下ろした。

「シニョーラ、既に発注なさいましたか」

「まあ」

 とんでもない、といった風に未亡人は首を振った。

「マイラーノさんに全てお任せしてますのに、そんな勝手なこといたしませんわ。でも、台座付きの立派なのをと思いますのよ。威風堂々として、主人が屋敷を守ってくれるように」

 狭い面積に、色彩豊かに彩られた花壇を濃密に敷き詰める方向で改修は進んでいる。女性が好む、可憐で華やかな様式である。いかに依頼人の望みとはいえ、そのど真ん中に中年男のごつい彫像など持ち込まれてはたまらない。

「それでは、あそこに埋め込む記念碑の隣から、等身大の御主人にそっとお見守りいただいてはどうでしょうか」

 オルソは庭の片隅を手で指し示した。

「お屋敷の中に既に立派な肖像画がおありですし、生前のシニョーレ・カステロは控えめで穏やかな紳士だったと伺いました」

 家の中を引き摺り回され雑談にさんざん付き合わされたので、知らなくても良い筈の故カステロ氏の人柄にまで、オルソの知識は及んでいた。

「そうですわね……」

 オルソの代案を未亡人はいたくお気に召した。長身でいかにも男らしい、少し見栄えのする青年が答えれば実は何でも良いのかもしれない。

「では、そのようにお任せいたしますわ。本当に、殿方にしては優し過ぎるほど優しい人でしたの」

 意味ありげな視線を投げかけながら、カステロ未亡人は離れていった。一般的にいう、色目というやつである。

 作業しながら会話を聞いていたらしい。未亡人がいなくなってから、職人の一人が感心して言った。

「おまえさん、若いのに機転が利く奴だな。俺だったら、そんな悪趣味はやめろと言いたいのを我慢して、それでも多分、言われた通りにしちまう」

「かすてろ家の経費節約にもなるだろう」

「なんだ?」

「あのご婦人だったら、すぐに次の男を抱え込むさ。再婚するときに前の旦那なんか置いとく気にもならんだろうから、どうせまた庭を変えるか像を捨てるに決まってる。だったら小さい方がいい」

「そりゃ違いねえ」

 職人は苦笑してから作業を再開した。

 暦が幾つも変わらぬうちに改修は完了した。

 いささか少女趣味的ともいえる愛らしい中庭に、カステロ未亡人は両手を合わせて喜んだ。これまた実は、オルソが提案すればどんな庭でも良かったのかもしれない。

 仕事が完了した夜、オルソは職人を集めて打ち上げを行い、皆が泥酔するまで酒を振る舞った。翌日、彼はカステロ未亡人に晩餐に招かれた。やはり据え膳を頂く気にはなれず、相手の体面を傷付けないように上手く口実を設け、彼は屋敷を退散した。

 それからさらに数日後、遣いの者が報酬額を切られた小切手と共に、ヴァンブラ宅を訪れた。

 とにもかくにも、庭師の卵は造園家になった。


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