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園丁の王  作者: 井出有紀
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第一章 3-1

3-1


 午前の過ごし方が変わった。

 通い先が、各種親方の元から書斎階段下の「箱庭」へ変更された。

 オルソの初めての造園にあたり、グラーブは何も制限を設けなかった。

 どれだけ出来が悪くても良いと言われれば気も楽である。

 オルソは聖堂内をうろついたときのように、ぶらぶらとその辺りを歩き回った後、とりあえず一本の樺に目を付けた。大樹ではないが、数少ない長い枝を伸ばし、幹がまっすぐ天に向かう姿は、清々しい潔さを感じさせた。

 彼は手近な岩に腰掛け、大まかな植物の配置を考え始めた。

 目の前の草地から小人が出現した。生えてきたといった方がふさわしいような現れ方だった。最初にオルソと目が合った、あの小人である。背丈はオルソの片腕分しかない。貧弱な髭を顎から垂らした外見からは、年齢の見当が全くつかない。

「おまえ、手伝うように、ご主人様、言った」

 いささか怪しいが、それでも人語を使いこなしている。

「主人って、グラーブか」

「そうだ」

「おまえ、ドワーフって奴か?」

「そんな偉く、ない。それにドワーフ、何でもできるが人間、嫌い。ご主人様ぐらい偉ければ、言うこと聞く。おまえじゃ駄目。相手、されない。俺、ロムブリコ」

「それはおまえの名前か? それとも種族の名前なのか?」

「俺たち、種族じゃない。土地。呼ばれないとき、大地」

 精霊よりも下級の、地精といった存在だろうか。

「おまえ、結構いいところ、選んだ。ここらの土は、よく、草木、育てる」

 ロムブリコはとことこと歩いてきて、オルソが座っているのと同じ岩によじ登ろうとした。必死にもがく様を見兼ねたオルソは、襟首を掴み引き摺り上げてやった。小人は立ち上がってから礼を言った。

「おまえ、顔や名前と違う。案外、いい奴」

 オルソは「熊」だ。大柄で骨太な外見と名前があまりに似合っているので、大抵は初対面で覚えられる。

「だが、血の匂い、プンプンするな。どれだけ、殺した?」

 小人の鼻はおそろしく利くらしい。

 オルソは十二歳で貧しい孤児院を飛び出し、転々と諸国を渡り歩いた。傭兵という職業は彼に打ってつけだった。少なくとも退屈で窮屈な孤児院を飛び出した、無知な子どもにはそう思えた。血筋も家系も国も関係ない。功績さえ挙げればそれに応じて報酬を得られる。

 最初の二年は兵士たちの荷運びや食料の調達をさせられ、戦闘が始まればろくな武器も与えられずに前線に放り出された。運で生き延びたようなものだった。その間に、状況を見極める的確な判断力や人並み以上の体力を養った。成人して何年か経た頃には、傭兵団の副長として働くまでの技量と頭脳を身につけていた。

 そんな男が、殺した人間の数などいちいち数える筈がない。

「知らん」

「同族殺して、女や物、奪って楽しいか。他の奴らも、同じことする。だが、人間、やり過ぎ。そういう、浅ましいとこ、嫌われる」

「楽しくはない」

 むっつりとオルソは答えた。分かっていると言いたげに小人は何度も頷いた。

「そう。嫌になった。だから、ここへ来た。まあ気にするな。どうせ、全て、地に還る。還らない奴も、時々いるがな」

 ところで、とロムブリコは話題を変えた。

「ご主人様の命令。仕方ない、俺たち、おまえ、手伝う。こっちの頼み、聞くか?」

「仕方ない」がひとこと余計である。が、オルソは大目に見ることにした。

「何だ?」

「俺たち、庭、欲しい」

「土の精なら、どこでも出入り自由だろう」

「だが、俺たち、庭、ない。ここ、ご主人様の世界。俺たち、好きにできない」

 断る理由もない。それにまだ、特にどんな庭にすると決めてもいない。

 分かった、とオルソが気軽に承諾すると、ロムブリコは踊り出さんばかりに喜んだ。

「ほんと、いい奴。血生臭くても、おまえみたいな奴、いるのだな、熊」

「……せめて名前で呼んでくれ」


 自分たちの庭が欲しいという以外に、地精に確たる希望はなかった。

「俺たち、人間と、考え、違う」

 ロムブリコが地精を代表して言った。

「おまえ、俺たちのため、造る、これ大事。形、どうでもいい」

 だからといって、木を二、三本植えて終わりにする訳にもいかない。

 最初から立派なものを造るつもりなどない。といって、所狭しと花壇や刈り込んだ植木を幾何学状に詰め込むのも気が進まなかった。

 なかなか方向性を決められないオルソに、ロムブリコが付け加えた。

「まあ、花や木でもいい。でも、土や岩、もっと嬉しい」

「橋や園亭キオスクか?」

「細工、ないほう、いい」

 難しいことを言う。

 それでも何とか案をまとめると、オルソはその日から作業を開始した。

 朝の書斎に行くと、大抵の場合グラーブは既に階段下の世界から戻っており、プルシナと共に、その日の仕事に取りかかっていた。オルソが階段を降りると、グラーブが正方形の入り口に鋳物の蓋をする。と、蓋は見る間に平坦になり、なめし革の敷物へ同化するのだった。プルシナがそれを筒状に丸め、部屋の隅へ片付ける。カーニャと下男の口がいくら堅いといっても、二人に知られるのはまずい。この国では、魔法使いは胡散くさい存在として白い目で見られている。王宮に召し抱えられている幾人とて、グラーブに言わせれば魔術師と呼べるほどの人材ではないという。

 グラーブはそのまま書斎で仕事を続けることもあれば、もちろん外出することもあった。一日中外へ出る場合はオルソも師匠に随行するか、別の仕事を与えられた。丸一日、弟子を下の世界に置いておくのは不安なのだろう。

 昼頃になると再び敷物が取り出され、オルソが階段を登ってくる。昼食をとってから、宮苑へ出向く。

 オルソが常より早く目覚めた日などは、グラーブがまだ下の世界にいることもあった。

 暗鬱な造園家は様々なところで見かけられたが、主たる出現箇所は二ヶ所だった。

 まずはオルソが最初に行った聖堂、及びその敷地内である。

 師匠が何を意図しているのかは不明だが、そこを現場に定め試行錯誤を繰り返しているのは明らかだった。グラーブは眉間に眉を寄せ難解な思考を巡らせるか、地精を使役して内部どころか建物外部の改築までさせていた。通り過ぎるオルソが視界に入ると、師匠は上の世界では見せない険しい貌のまま、それでも軽く手を挙げ挨拶を寄越した。

 もう一ヶ所は、切り立った断崖の上にある廃園である。絶壁の下は海だ。ここにいるときのグラーブは一見、オルソが時折遭遇する「影のような者」たちと変わりがなかった。ひっそりと立ち尽くすか、ゆっくりと歩き回るか、倒れた石柱の上に腰を降ろすかしている。廃園を復元しようというのではなく、ここを思索の場と決めているようだった。

 ここで見られるグラーブは聖堂にいるときよりは穏やかな面持ちだが、よほど己が思考にのめり込んでいるのだろう。ほとんどの場合、オルソが真正面を通っても気付かなかった。瓦礫につまずいて転ばないのが奇跡である。一度何気なく呼びかけて酷く驚かせてから、オルソは廃園にいるときの師匠には声をかけないことにしていた。

 ただ、オルソの作業場は、グラーブの聖堂とは階段出口を挟んで反対の方角にある。オルソはまっすぐ自分の作業場に向かっているので、普通に考えれば聖堂の前を通ることなどありえない。

 二人が揃って箱庭にいるときに必ず顔を合わせるというのもおかしな話だった。これだけ広大な空間である、遭遇する確率は低い筈である。

 どちらもおそらく、グラーブの言っていた空間連結云々の作用なのだろう。朝の書斎が無人で例の敷物が出たままになっていると、師匠はまだ「下」にいるのだ、ぐらいにはオルソも思う。場所を思い浮かべて歩を進めれば目的地へ行けるのだ、ひょっとしたら場所だけでなく、人物を思い浮かべてもその者の近くへ行けるのかもしれない。

 造園自体は、作業によってはおそろしく早く進んだ。なにしろ、ゲニウス・ロキ――地の精霊とまではいかないものの、地精たちが直々に働いてくれるのである。整地や石切、植物の調達、植栽の処理に関しては申し分がない。

 ただし、複雑な建築物、装飾品などの加工になると話は違った。

「グラーブはどうしてるんだ?」

 オルソはロムブリコに尋ねた。人間と地精たちの通訳をするため、小人は始終オルソの後について回っていた。

「念じる。できる」

「何だそれは」

「今造ってるところ、おまえの心。ご主人様、同じ。心の中、大抵のもの、できる。熊、ご主人様より、頭悪い。完成した物の絵、描く、いいかもな」

 さっぱり分からない。

「見取り図か? 設計図か?」

「なんでもいい。とにかく、描く。できるだけ、細かく。今から、いいし、後でも、いい。それからまた、ここ、来る」

 言われるがままオルソは自室へ戻り、その日は再び書斎へは行かず、人工洞窟グロッタの見取り図を描いて午前を過ごした。

 翌朝作業場へ行った彼はようやく得心した。

 描きかけの見取り図そのまま、グロッタが造りかけられている。

「なるほど」

「分かったか」

 ロムブリコが地面から生えてきながら言った。

「だが、思ったのと少し違うな」

「おまえ、きちんと、全部、決めてない。まあ、簡単なこと、俺たち、今、直してやる。自分、描き直す、それも、いい。ご主人様、ほとんど、頭の中、済ませる」

 ある日書斎へ戻ると、降りるときには机に向かっていたグラーブの姿がなかった。プルシナだけが珍しく、独りぽつんと椅子に座っている。

「グラーブは?」

 声が出ないので答えようもない。オルソは階段への入り口を閉ざした。プルシナがくるくると敷物を丸め、片付けた。

 彼女は書斎の扉を開け、ついて来いというように大柄な青年を振り向いた。

 オルソは居間へ導かれた。

 熱気が頬を打った。

 まだ初秋の、それも真昼のうちから暖炉の火が煌々と燃え盛っている。身体の弱い者など、一刻もいればのぼせ上がって倒れてしまう。

 火傷するほど暖炉の間近に置かれた椅子に、グラーブは腰を降ろしていた。冬仕様の分厚いコートまで羽織っている。

「午後は一人で行ってくれ」

 彼は言った。元来青白い顔がさらにその度を増し、ほとんど透き通らんばかりの様相を呈している。

「どうした」

「持病だ。大したことはない」

 声も表情も普段通りだが、コートの上からでも分かるほど痩身ががちがちに固まっている。凍えているのだ。

「今から熱が出るかもしれん。医者を呼ぶか?」

「熱は出ないし、薬も効かない。夕方か、遅くとも今夜中には治まる」

「失礼いたします」

 カーニャが毛布を抱えて入ってきた。

「御入り用でないとおっしゃいましたが、一応お持ちいたしましたから」

 断ってから、初老の女は主人の隣へ視線を移した。

「お嬢様。お昼をお召し上がりくださいな」

 無表情にプルシナは頷いた。少女の小さな顔にも、汗の玉が浮かび上がっている。それでも彼女は父親のすぐ傍らに座り、両の掌で父の左手を包み込んでいた。せめて手だけでも暖めたい。そんな仕種だった。

「前のときのように、温かいお飲み物をお持ちすればようございますか?」

「お願いします」

 グラーブは相手が召し使いであっても、女性に対しては口調を崩さない。短く答え、瞼を閉じた。


「以前にもあんなことが?」

 昼食のテーブルでオルソはカーニャに尋ねた。同席しているプルシナに訊きたいところだが、口が利けないのではどうしようもない。

「はい」

 給仕をしながら女は頷いた。

「年に何度か、血の巡りが酷くお悪くなるそうです。なんでもお身体の内から冷えてしまうので、外からどんなに厚いお布団をお掛けしても温まらないんだとか。ではせめてと、こんな時季ですがお部屋を暖めてお飲み物を召し上がりいただいたら少しはご様子が良くなられたので、今日もそのように」

「冷え性の女よりひどいな」

「病を患った方をおからかいになるような、そんなことをおっしゃるものではございません」

 遠慮仮借のないオルソをカーニャが叱りつけた。

 済まん、と青年は素直に謝って食事を続けた。オルソはどうもこの初老の女が苦手である。嫌っているのではない。逆らい難いのだ。

 おそらく上流階級の屋敷で侍女頭を務めていたであろう。召し使いはカーニャの他に無口な下働きの男しかいないが、ヴァンブラ家で彼女が振るう采配は常に行き届いており、上品な言葉遣いと立ち居振る舞いはそこらの品のない貴族よりよほど威厳がある。厳しさを温かさを兼ね備えた彼女は、幼少の頃過ごした孤児院の尼僧をオルソに思い出させる。

 傍らを通り過ぎたかぐわしい香りにオルソは面食らった。

「病人だろう。薬湯とか、そんなもん飲むんじゃないのか?」

「旦那様がご所望でございますから」

 盆に乗っているのは湯で割ったブランデーである。

 父親の傍を一瞬でも離れていたくないのだろう。プルシナは食事もそこそこに椅子から降り、カーニャの後について廊下へ出た。

「お嬢様……」

 閉ざされた扉越しにカーニャの声が聞こえてきた。

「ご心配するお気持ちはよく存じ上げますが、決して我慢なさってまでお父様に付き添われてはなりませんよ。居間の暑さは、健康なお嬢様のお体には毒なのですから……」

 オルソも昼食を腹へ詰め込むと、現場へ行けばどうせ脱いでしまうであろう外出着へ着替え、家を後にした。

 帰宅して夕食をとると、カーニャが申し訳なさそうに口を開いた。

「今夜は泊まり込みたいのですが、旦那様が結構とおっしゃいますので」

「本人がいいって言ったんなら、気にすることもないんじゃないか」

「お加減が悪くなるようでしたら、お世話をお願いいたします」

「俺が?」

「プルシナお嬢様はまだお小さいんです、オルソ様しかいらっしゃいませんでしょう」

 頼みましたよ、と念を押してカーニャは帰った。


「例の新提案については王様はあんたの意見を取り入れて変更点を減らした。サン・カレンツォーラ街道の山賊は追い散らされた。ガットが東苑の水劇場で打ち合わせをしたいことがある……」

 熱気で息苦しい程の空間である。

 オルソは報告メモの朗読を中断して、依然として暖炉に張りついているグラーブを見た。

「気分が良くなってから自分で読んだ方がいいんじゃないのか。下手くそな字だが、読めんほどじゃない」

「今朝よりは良くなった。続けてくれ」

 青白い瞼を閉ざしたまま造園家は催促した。その傍らにはやはりプルシナが付き添い、じっと父の貌を見つめている。

「あんたの言った量で施用すると刺繍花壇パルテール用の肥料が足りなくなる。仕入れを追加したい、これはアナトレ親方から。樫と柊の搬入、植え付けは順調に進んでいる」

 さらに延々とメモを読み上げオルソは、以上、と締め括った。自分でも予想外の言葉が口から滑り出た。

「飯は食ったか」

「明日から食べる」

「食わなきゃ体力が戻らん」

「食物摂取とこの症状に関連はない」

「じゃ勝手にしろ」

 吐き捨てるように言ってオルソは居間を出た。台所へ直行して、カーニャが聞くなら怒り出しそうな不埒な悪態をつきながら、彼は戸棚を漁って酒瓶を取り出すと、タンブラーにブランデーを注いだ。

 無性に苛々する。

 不安だ。戦場で間一髪の直前で感じた、あの嫌な感覚にどこか似ている。その勘が働いたときには、どれほど用心深く行動しても隊の誰かが死んだ。

 今など、もともと半分死んでいるような男が、明日にでも治る持病で寒がっているだけだ。本人が言うように、今朝より状態も良い。戦場を離れたオルソの勘が鈍ったのだろうか。

 苛立つ原因はそれだけではない。それだけでないのは分かっているが、それが何なのか彼には全く見当がつかない。

 居間へとって返したオルソは暖炉で沸いている湯でブランデーを割り、厚い寸胴のグラスをグラーブの鼻先へ突き出した。造園家が光のない瞳で意外そうに弟子を見上げる。

 プルシナが父の代わりにタンブラーを受け取った。

「君も面倒見の良い男だな」

「カーニャが帰り際に、あんたの世話をしろと言いつけてったんでな。なんで泊り込んでもらわなかった」

「今夜中には治る」

「ならおとなしく眠れよ。お嬢ちゃんもだ。いつまでもこんなくそ暑い部屋で親父に付き合ってったらぶっ倒れるぞ」

 オルソは自室に戻り、自分もさっさとベッドへ潜り込んだ。


 翌朝、日が昇る前にオルソが書斎に行くと、例の階段が下へと続いていた。

 黒い影は断崖の廃園にいた。体調が戻ったらしい。倒れた円柱に腰掛け、海のある方角を向いている。オルソからは背中しか見えないので、実際に師匠が海を見ているのか空を見ているのか、何も見ていないのかは分からない。

 最初は横目に通り過ぎたオルソだったが、二度目には呼びかけざるを得なかった。要件があったからだ。

「グラーブ」

 反応がない。再度背後から呼んでいつかのように驚かれてはかなわないので、オルソは師匠の前に回り込んだ。

 グラーブ・ヴァンブラは組んだ脚の上に左肘をつき、頬杖をついた姿勢のまま目を閉ざしている。

 高い鼻と微かに開いた唇から、規則正しい呼吸が漏れている。

 眠っている。

 しばらくオルソは呆けた顔で立ち尽くしたまま、居眠りしている師匠を眺めた。それから真正面の草地にしゃがみ込んで、滅多に見られない造園家の寝顔をまじまじと見つめた。

 長い間俯き加減でいるためだろう、いつも後ろへ撫でつけられている黒髪が一筋、額へ垂れている。普段まき散らしている暗黒の気配が薄れているためだろうか。オルソは別人を見ているような錯覚に捕らわれた。

 しかし、微かに眉をよせている白皙は、眠りの中でさえその暗鬱から完全には解放されていないことを示している。グラーブ・ヴァンブラその人であることには違いない。

 寝顔まで辛気くさいな、とオルソは率直かつ辛辣な感想を抱いた。

 今すぐ起こすか、自然に目覚めるまで待つべきか。弟子が少し迷っている間に、グラーブの瞼がすっと開いた。

 そのままの姿勢で、しばし二人はお互いの姿を瞳の中に映した。

「オルソ……」

 グラーブは貌を覆うようにして、左手で両のこめかみを押さえながら重たげに口を開いた。

「なぜ君は、ここへ来る度に私を驚かせるのかね」

 陰気な口調も表情も、全く驚いているようには見えない。

「なんであんたは、ここじゃこんなに隙だらけなんだ」

「思索と睡眠の境界線は、あって無きに等しい。それに君は昨晩、私に眠るように助言しただろう」

 珍しくオルソは師匠の言ったことをすぐに理解した。

「じゃ何か。今のは置いといて、いつも考える振りして寝てるのか。てことは、ここで立ってるときも歩いてるときもなのか。あんた、目、開いて寝るのか?」

「座っているとき以外は眠っていない」

 グラーブは訂正した。

「だが、思索する事柄によっては、完全に覚醒しているよりも眠りに近い意識で行う方が効果的な場合もある」

 本当に眠っているときもあるが、と彼は付け加えた。

「普通にベッドで寝ないのか?」

「寝るという行為の定義による。身体を休めるために横たわるという意味ではベッドを使用する」

「普通、身体と頭は一緒に休むだろう」

「私以外の者はそうらしい」

 こいつは本物の「天才と何とかは紙一重」だ。

 オルソは心底そう思った。

「どうやったらあんたみたいな変人になれるんだ」

「なりたいのかね」

「嫌味で言っただけだ」

 真顔で問い返す師匠に減らず口を叩いてから、オルソは用件を言った。

「庭ができた」


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