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園丁の王  作者: 井出有紀
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第一章 2-1

2-1


 宮苑敷地内の北部中央、人工的に造成された丘の上に戦勝記念碑が建っている。既に概観は完成していた。今は縦横に足場が張り巡らされ、召集された多数の美術家の手で壮麗な装飾が施されている最中である。

 主庭園も、徐々に形を整えつつあった。記念碑と王宮を結ぶ南北の幅広い路を主たる軸線ヴィスタとし、その両脇を段々カスケードが王宮へ向かって流れている。滝はそのまま王宮と宮苑を隔てる運河へ流れ込む仕組みになっている。階段状に造成された露壇テラスの芝が植えられていない箇所は、緻密な刺繍花壇パルテールや形良く刈り込まれた常緑樹、彫像など、様々な物で彩られる予定になっている。

「おいオルソ」

 急ぎ大股で中央噴水の脇を通り過ぎようとした造園家の弟子は、すっかり顔馴染みとなった彫刻家に捕まった。

「グラーブさんはどこだ」

「俺も探してる」

「おまえ弟子だろうが。師匠の居場所ぐらい見張っとけ」

 ようやく庭師の卵が板についてきた青年に、汗だくになった彫刻家は理不尽な怒りをぶつけた。どうやらまた問題が生じたらしい。これだけ広い作業場である。常にどこかで問題は持ち上がっている。

「俺で分かることなら、見つけたときに伝えておくが」

「いつになったらカクターチェ産の赤大理石が来るんだ。早くうちの工房に届けさせるように言ってくれ」

 彫刻家は噴水の中央を指した。水瓶を抱えた三人の女神が身体を寄せ合い、大きく開いた片手を空へ向け立っている。完成のあかつきには、この白亜の女神たちは巨大な太陽を支えるのだという。

 太陽は獅子座の守護星であり、その名を持つレオーネ王を象徴する。三年前の戦で倒した王の名がアクアリウス、そのまま水瓶座に読み替えられる。露骨なデザインからして、レオーネ王の希望が取り入れられたのは間違いない。

「後からのことを考えると、積み上げちまってから彫りたかったんだがな。あんまり赤大理石が遅いんで女神様からやっちまった。本当はお天道様の方が面倒なんだ」

「太陽っていっても、でかい玉造るだけじゃないのか?」

「こいつを見ろ」

 彫刻家は険しい顔で、オルソの鼻先へデッサン画を突きつけた。

 球体の周囲を、さまざまな大きさの環が幾重にも角度を変え取り巻いている。壮麗かつ華麗を極めた形状だが、彫り上げるまでにおそろしく時間を要しそうな代物である。

 石細工の基礎をかじったオルソはつい口を滑らせた。

「もっと簡単なものにしたらどうだ」

「馬鹿野郎。こんな面倒な図面をうちへ持ち込んだのはおまえの師匠なんだよ!」

 火に油を注いでしまったオルソは怒り狂った彫刻家から逃げ出し、師匠の捜索を再開した。

 秋とはいえ、まだ残暑もきつい。強い日差しの下を歩き回り、現場から離れた小さな庭園に立つ造園家親子を発見したときには、傷痕の残る彼の額にもシャツにも、汗がじっとりと滲んでいた。

「オルソか」

 グラーブ・ヴァンブラは背を向けたまま、背後から近づく者の名を言い当てた。後ろにも目がついているとしか考えられない。

「サンティーニが至急相談したいそうだ」

 サンティーニとは、雇われ造園家と建築家の世話係である。幸か不幸かオルソをグラーブの面接に滑り込ませてくれた、あの「疲労の貴族」だ。

「王様の気紛れがまた始まったぞ。新しい提案をしたいんだと」

 隻腕の痩せた後姿が身じろぎした。何も言わない。それでも辛抱強くオルソが返事を待っていると、虚ろな声が返ってきた。

「この段階まで来ると、大規模な変更はできない」

「ああ、サンティーニもぶっ倒れそうな顔して、部屋で待ってると言っていた。それからさっきスコイアットロ親方に会ったんだが、赤大理石を早く工房へ運び込めだとよ」

「今朝、ベルヴィンカ経由で向こうから手紙が届いた。既に切り出しは終了しているが、サン・カレンツォーラ街道で山賊が出没している。いつ発てるか分からないそうだ」

「石なんか奪っても使い途がないだろう」

「運ぶ者たちが多少は金品を持っている」

 確かにそうだ。傭兵団にしてもよほど隊長に統率力がない限り、食い詰めた途端あっという間に盗賊団に変貌する。

「もう少し様子を見て、カクターチェ領主が山賊を討伐できないようなら、調達先を変更するしかない」

 と、造園家。

 伝言をつたえたオルソは、グラーブが王宮へ戻るのを待った。が、依然として親子は動こうとしない。

「行かなくていいのか?」

「ここへ君が来たのも良い機会だ」

 天才造園家は振り返り、左しか残っていない手で弟子を招いた。言われた通り、オルソは師匠の左隣に立つ。右隣にはプルシナがいるからだ。

 少女は召し使いカーニャが見立てた、淡い水色の涼しげなドレスを身にまとい、揃いにしつらえられたらしい、同色の日除け帽子をかぶっている。つばの幅が狭いのは、父を手助けする邪魔にならないようにとの配慮なのだろう。

 彼女は決して父の傍らを離れようとしなかった。離れるときといえば眠るときか、父親に言われてその小さな手で図面を引くときぐらいだった。

 半年経つが、未だに少女はオルソへ笑顔を見せたことがない。父親に対してさえそうなのだ、そもそも期待してはいけないのだろう。

 ただ、常に二人でいる以外の事柄からでも、親子の絆が強いのは明らかである。プルシナの父親への補佐は正確かつ機械的であり、愛らしい顔に表情はない。それでも折々に触れ、彼女の仕種には父親を慕うものがオルソ以外の者たちにも感じられるのだった。

 一方の父親は常に娘を視界のどこかに入れ、一日の移動距離が長大であっても小さな少女が動きやすいような足場を選び、彼女が存分に働けるように上手く身を引いていた。互いを熟知し思い遣っていなければなし得ない、父娘の絶妙な連携である。

「ことあるごとに君は、自分が弟子にされた理由を尋ねる。ここを覚えているかね」

「最初の面接で連れてこられた庭だろう」

 先王の時代に、今より若かったグラーブ・ヴァンブラが造った庭園である。

「あのとき君は、ここを見て何と言ったか覚えているか?」

 現場へ連れて行かれた後で昼食をとり、それからここへ来たことしか覚えていない。庭について質問されたことも記憶している。ただし、その内容となると、全てその日のうちに脳裏から消え失せていた。当時は門外漢だったのだから仕方がない。

「覚えてない」

「では、今見た印象を聞かせたまえ」

 オルソは眼前の空間を見渡した。

「よく出来ている」

 それ以外に言いようがない。

「君が抱いた感想を尋ねている」

「印象? 感想?」

「そうだ」

 オルソは唸った。

 主として夏の夕べ、ここで王族のごく親しい者がもてなされる。庭の中心部に石造りの食卓が置かれており、中央に溝が彫られている。対として設けられた河神のテラスは噴水造りになっていて、一方から他方へ水路が設けられている。その途中に円形食卓の溝があり、ワインや果実を冷やせる仕組みになっていた。

 食卓の周囲は正方形の池になっており、中央から四方へ、池の外へ出るための橋が設けられている。

 王宮の庭園としてはさほど広くない。周囲を取り巻いているのは方形に刈り込まれた糸杉の高いアーケードである。

 幾何学的に配置された低木の端整な刈り込み、池の要所に置かれた水瓶、古代様式の建築物。

 狭くても瀟洒で、高貴な人物が時を過ごすのには適した場である。経験と呼べるほどの経験もないオルソに、天才造園家の作品から瑕疵など見つけ出せよう筈もない。

 ただオルソは、何故かこの空間に対して好感を持つことができなかった。

「正直、あまり長い間いたくはない」

「何故だね」

 弟子は答えられなかった。確たる根拠がないのだ。

「なんとなく」

 曖昧ないらえを師匠は許さなかった。

「論理的でなくても構わない。とにかく表現したまえ」

 しばらく呻吟してから、オルソは言葉をひねり出した。

「……底なしの穴が開いていて……何を置いても、駄目なような気がする」

 無論、そんなものは現実にない。しかし、どんなに優れた庭師が洗練された感性や技術でもって何をどう配置しようと、その虚無が決して埋められることはないような、そんな気がする。

 幽霊や怪物の類など恐ろしくはない。例え出てきても害がなければそれで良い。害があっても斬って捨てるか弾丸を撃ち込めばそれで済む。

 この庭園から感じられるものは、それとは異質の、何かしら悪寒を伴うものだった。実際穴があると思ったところで、その穴の何が嫌なのか、自分でも分からない。

 大抵の者がそうであるようにオルソもまた、微妙に感じ取ったものを正確に説明するのが苦手である。

 時折詰まりながら紡ぎ出される弟子の回答を、師匠は暗い顔で黙って聞いていた。そして重たげに口を開いた。

「面接の際、最後に私がした質問を覚えているかね」

「欲しいもの、だったか?」

「そうだ」

 それは思い出せた。

「永遠の平穏と、老後まで完全に食っていけるだけの金」

 直前の哲学者が「永遠の倫理的美と完全なる真理」などという訳の分からない返答をしたので、ついオルソはふざけてしまい、前者の答えをもじったのだった。十六年に渡る戦の日々にすっかり嫌気が差していたのも事実ではある。

「それが答えだ」

 師匠の言った「答え」が自分を雇った理由だと理解するまでに、オルソはかなりの時間を要した。

 オルソはまじまじと陰気な横顔を見下ろした。屋外にいても一向に日焼けしない肌、秀でた額、高い鼻、尖った顎。好かない面構えである。造作の問題ではない。おそろしく暗い、黒い目のせいだ。

 この暑いさなか、グラーブ・ヴァンブラがまとう衣装は、基本的には半年前と変わりがない。公の場に出ているので当然なのだが、それにしても大抵の者は暑さをしのぐ工夫を凝らすものだ。太陽光線を集めないように薄い色の衣装を着用する者もいれば、彼らのように屋外へ出る機会の多い者に至っては、もっと実際的な対策を取っていた。

 もとより単純労働者はシャツ一枚と半ズボンといった格好であったし(宮廷の貴婦人に無礼だというので上半身裸での作業は許されなかった)、建築家ガットにしろ、一旦王宮の門を潜ってしまうと暑苦しいコートを脱ぎ捨て、正装シャツの袖をまくり上げて作業場を歩き回っている。

 夏の日差しも熱気も、グラーブ・ヴァンブラには全く届いていないようである。夏向けの薄い生地で仕立てられているものの、黒と灰色の衣装で身を固めた男の顔色は青白いままで、汗の一粒も浮いていない。触れたら氷のように冷え切っているのでは、とさえ思われる。

「……間違えたんじゃないのか」

 彼は、その後何度となく繰り返される問いの一度目を発した。

 投げやりに選ばれたのではなく、一応評価されたことだけは分かった。しかし、この庭園に対する感想と欲しいと答えたものがその理由だと言われても、オルソには理解できない。

「あんたのその御大層な教養や知識のどれほども、俺の貧弱な頭じゃ受け切れんぞ」

 師匠は頭一つ分上にある、赤銅色の日焼けした貌を見上げてきた。我ながら馬鹿面を下げているだろうとオルソは思ったが、相手の意図が理解できないのだからどうしようもない。

「正解ではないかもしれないが、少なくとも間違いではない」

 こう答え、グラーブは庭園を後にした。その動きにつれ、空虚な右の袖とコートの裾が揺れる。促される前にプルシナも父親に従った。影法師のような背から、ひとりごとのような呟きが漏れた。

「私が持っているものなど、役に立たないものばかりだ」

 何を言っているのだ、この男は。

 オルソには全く分からなかった。膨大な知識や技術を得たからこそ、各国の王侯貴族に招待されるまでの造園家になれたのではないか。

 が、彼は、理解不能なものにいつまでも拘泥するほど不毛な性格でもない。

「サンティーニが待ってる」

 ようやく王宮へ足を向けた師匠を、オルソはさらに急かした。


 グラーブ・ヴァンブラは大宮苑の他にも仕事を幾つか請け負っていた。といっても、自らが出向き全てを引き受けるのは物理的に不可能であり、なにより王の体面というものがある。

 それでも、名立たる造園家に少しでも関わって欲しいと熱心に依頼する者がいた。庭の面積、地形、地質など必要な資料は全て送る、せめて設計だけでもして欲しいというのだ。図面さえ引いてもらえれば、あとは自力で労働力を確保し、造営する。実際の完成度に対してグラーブに責任は負わせない、と。

 生粋の職人ならば、このような半端な依頼には眉をしかめただろう。目の届く範囲で作業を進ませなければ、仕上がりによっては己の名に傷がついてしまう。

 が、この一風変わった造園家は、己に下される評価にまるで無頓着だった。それで良いのならと陰鬱かつ事務的に、依頼を引き受けた。

 恰幅の良い建築家ガット・エルラッハは自己の作品に、仕事に、それを任された自分自身にも誇りと自信を持っている。市井の職人にしても同様であり、それが一流の仕事人というものである。

 グラーブ・ヴァンブラは違う。

 王室の大宮苑であろうと、自分で足も運ばぬ見知らぬ庭の中途半端な設計であろうと、仕事には変わりがない。手は抜かないが、だからといって内容により意欲が上下するでもない。仕事はあくまで仕事であって、報酬を得るため以外の何ものでもない。日々の作業を淡々とこなしているだけである。その姿からは、己の職業に対する誇りや情熱が、微塵も感じられない。

 報酬以外に庭師たる職業に価値を見いだせないのなら、何も弟子など必要ないのではないか。グラーブほどの造園家になれば、その場の人手ぐらい行く先々で調達できる。

 ここまで来ると、師匠の意図はもはやオルソが推察できる範疇にない。本人に尋ねても、要領を得ない返事しか返ってこない。当人の中ではきちんと意味が繋がっているらしいのだが、その口をついて出る言葉はオルソには全くもって意味不明なのだ。こんな事態があると、彼は想像だにしていなかった。

 同じ言語を喋っているのに、意思の疎通ができない。

 訳の分からない師匠の下から逃げ出そうと思わないでもない。

 グラーブ・ヴァンブラについてまだ半年しか経っていないが、オルソの技術と知識は、既に他の親方も元へ行っても即戦力として通用するまでに向上していた。ものを覚えるには年を取っているものの、彼は身体を動かす事柄に関しては人よりも飲み込みが早い。なにより、弟子に対する師匠の教育方法が、おそろしく的を得ている。

 グラーブは言った。

 正解ではないかもしれないが、間違いではない。

 ということは、どこかに「正解」がいるのかもしれない。

 拾われた恩も、一応ある。「正解」とやらの後釜が見つかるぐらいまでは留まろう、とオルソは思い直したのだった。


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