第一章 1-2
1-2
オルソは傭兵時代に貯めた金と少しばかりの荷物を持ってグラーブ・ヴァンブラ宅へ転がり込み、自分の部屋と食事と、今着ているものより堅気らしい衣服を与えられた。
王宮の近くにある一軒家を、造園家グラーブは仮の住まいに定めていた。商売に失敗した貿易商が売りに出したのを買い取ったのだという。
オルソは訝しんだ。宮殿は広い。面接の手引きをした「疲労の貴族」によれば、グラーブ・ヴァンブラは王その人の賓客に等しい扱いを受けている。一年だろうが三年だろうが、提供する居住空間に王室が不自由するとも思えない。少しばかり考えた後オルソは、高い報酬で招いたは良いが名高い造園家と若い国王は相当気が合わないのだろうという結論に達した。
翌朝、日の出の鐘が街に鳴り響くと同時に、彼は家を追い出された。それから連日、午前中は腕利きの植木職人の親方の元へ通わされ、臨時の弟子として木々の見分け方から、植え付け、枝の刈り込み、根切り、剪定法までおよそ考えられる基礎をみっちりと叩き込まれた。飲み込みが悪いと容赦なく親方の手足が飛んできたが、それでも素人が充分理解するまで、根気良く親方は臨時の弟子に付き合った。
「全く、なんでおめえみてえなド素人をグラーブ・ヴァンブラは弟子にしたんだ? しかも肝心なこと教えるのを人任せにしやがって。天才って奴あ、何を考えているもんだか」
ぶつぶつ言いながらも、親方は決して弟子にオルソの面倒を見させようとしなかった。直々に技を仕込んでくれと、グラーブから多額の謝礼が出ていたのは間違いない。
さて、初日の正午にオルソが家に戻り昼食を済ませると、カーニャという通いの召し使い女がさらに上等な衣装をクローゼットから出してきた。
絹のシャツとストック(スカーフに類似した長い布)、金の縁取りが施され、袖口が大きく折り返されたベルベット仕立ての臙脂色のロングコート、その下へ着る揃いのウエストコート、ズボン、細かい細工の施された革のブーツ。どれもこれも今まで縁のなかった代物である。
「仕立てる間もございませんでしたので古着をお持ちしましたが、お体には合う筈でございます」
馴染みのない馬鹿丁寧な口調に気圧されるように、オルソは手渡されるまま、これまた馴染みのない衣装に身を固めた。着替えを終えた男の姿に、親ほど年の離れた女は目を細めた。
「お似合いでございますよ」
世辞に決まっている。額にある傷跡や無造作に刈り込み伸びかけた髪を考慮すると、とても正装に相応しいとは思えない。
「今度はどこへ行けって言うんだ?」
「王宮でございます」
こう答え、カーニャはオルソを再び家から追い出した。話が前もって付けられていたらしい。王宮周辺の建物どころか、王が居住する城への門をも何の咎めもなく通過した。
宮殿の入り口に立つ衛兵に話しかけると、今度はお仕着せをまとった侍女が内部の案内に立った。
「お連れいたしました」
「どうぞ」
忘れようもない、暗い声が応えた。
部屋は、王がグラーブのために用意させたようだった。何部屋もあるのだろう。一方の壁には扉のない出入り口が繰り抜かれて違う空間に続いており、もう片方の壁にはオルソが入ったのとは違う扉が付いている。高価で瀟洒な家具がずらりと並べられており、そこが賓客をもてなすための部屋であることを窺わせる。
しかしオルソが入ったこの部屋は、今や多数の書物や製図道具、張り渡された紐にぶら下げられている図面(後で知ったのだが、インクを乾かしているのだという)などに占拠されている。居心地良く整えられたグラーブの住まいとは対照的に雑然としている様は、造園家が抱える煩雑さを示している。
部屋の主は机の向こうでオルソを出迎えた。相変わらず血色の悪い、冴えない顔をしている。少女プルシナは製図台に向かって定規やペンを忙しく動かしていた。十歳の少女が一人前の顔をして設計図を描くなど、一般常識では考えられない光景である。
グラーブ・ヴァンブラは席を立ち、オルソを素通りする傍ら、来たまえ、と言い扉を開けた。弟子と同じいでたちだが、全身を黒と深い灰色で固めている。襟や袖飾りに銀糸が使われていなければ、葬儀屋と間違えられても文句は言えないだろう。
「プルシナ」
モノトーンの男は娘を呼んだ。製図台に向かっていた少女は椅子から降り、作業用の腕カバーを外すと肘の上まである手袋を嵌めながら父の傍らへ歩み寄った。動作につれて亜麻色の髪がふわふわと、紫色のサテンのリボンや同色のドレスにふんだんにあしらわれたレースがひらひらとなびくが、整った無表情な顔は、それらの柔らかい動き全てを拒絶しているようだった。
「どこへ行くんだ?」
「目通りに」
廊下に出たグラーブは振り向きもせずに答えた。
「誰へ」
「レオーネ王」
「なんで俺が」
仰天してオルソは廊下で声をあげた。従者を連れてすれ違った老年の淑女が、不快げに眉を潜めた。
「君を雇ったのは私だが、公募には王室の資金が使われた。既に王もご存じだろうが、報告申し上げない訳にもゆくまい」
謁見などという大したものではなかった。
レオーネ王はオルソより年下である。若い王は玉座から、幽霊のような痩躯に付き従う大柄な男を見下ろし、冷たくひとこと述べただけだった。
「弟子というより護衛だな」
グラーブの言った通り、オルソの雇われた経緯が既に耳へ入っていたのだろう。大々的に己の名で数百人もの有能な職人を「集めてやった」にも関わらず、雇われ庭師が全く経験のない流れ者風情を選んだことを、快く思っていないようだった。
続いてオルソは、造築中の一角にある記念碑の建造現場へ連れていかれた。
「ガット・エルラッハだ。君の話は聞いている」
茶色の口髭をたくわえた建築家はこう名乗り手を差し出した。背が低いので自然とオルソを見上げる格好になる。かなり恰幅が良いが、鈍重な印象は受けなかった。活気に満ちた表情や、てきぱきとした身ごなしのためだろう。
笑みで細められた鳶色の目が、興味深げに青年を見つめた。好意的だが同時に、造園家の新しい弟子を値踏みしているのも明らかだった。
「グラーブ殿、王様は怒り心頭だっただろう」
「さほどでもない」
どう見てもあれは怒ってただろうが。
陰鬱かつ無関心な返事をしたグラーブに、オルソは口に出さずに反駁した。
背後に立つ青年の内心を知ってか知らずか、造園家は弟子の紹介もそこそこに用件を切り出した。
「ガット殿、お願いをしたい」
「いきなり何だ?」
「カーナパ地区の買収」
「ああ」
すぐに合点したガットが頷く。
無論オルソには何の話なのか理解できない。自分と建築家の顔合わせよりもこちらが造園家の本件だと察した新弟子は、造りかけの巨大な記念碑の前を歩く二人の後に従い、黙って会話を聞くことにした。
もう一人、無言で二人の男につき随う者がいる。造園家の娘プルシナ・ヴァンブラである。大の男ばかりが立ち働く中、一人だけ人形のように可愛らしい少女の姿は遠目からも判別が付く。
「進んどらんのだな。身を寄せる先のない者は、確かにあれしきのはした金では動けんぞ」「サンティーニ殿が言うには、あれ以上王室から予算は出ない。しかし。そろそろゲニウス・ロキの吟味に入らねば、整地どころか植え込む芝種の決定すらできない」
芝の種類により、植え込む時期も適した土壌もまた違う。また、植え付けする植物に合わせて土壌改良をしなければならない場合など、工期の大幅な遅れもありうる。
「おや」
揶揄するような光が建築家ガットの瞳に浮かんだ。
「庭師の王者グラーブ殿が弱音を吐くとは珍しいな。私は貴方と同じ雇われの身だ。この国の財布を握っている訳ではない」
「この国では唯一、レオーネ様が王だ」
陰鬱な表情と声で造園家は訂正した。強権国家であるこの国で、例えにしろ君主以外の人物を王と呼ぶのは禁忌とされている。
「王直々のご援助を賜りたい。それを住民の立ち退き費用に充てる」
「何?」
驚愕のあまりガットの語尾が跳ね上がった。
「私に、王に私財を吐き出させろというのか。冗談はよしてくれ、いや失礼。貴方は冗談など死んでも口にしない人だ。そうか」
またしてもガットは一人で合点して頷いた。事業の当事者だけあって、同僚の考えを察するのも早い。
「例の公募で無駄金を使ったな。やけに大仰にやらかしていると思ったが、そこまで食い込んでいたのか」
「私が弟子を取ったのは完全に個人的な理由だ。王の御厚意は辞退申し上げたのだが」
「ああ、だが断るだけ無駄だと思ったよ。あの王様、一旦言い出したら聞く耳持たんだろう」
「進言を申し上げるのは、本来サンティーニ殿や蔵相の役目だが、王は御自身がお若いのを気にしておられるようだ。どうやら、一旦お決めになった事項を臣下の言葉で変更されるには抵抗がおありらしい。その点、ガット殿は王の賓客という立場にある」
「グラーブ殿もだろう」
からかうようなガットの言葉をグラーブは無視した。
「幸い記念碑の建造は順調に進んでいるし、王は貴方自身ともお気が合う。貴方の言うことなら、お聞き入れ下さるかもしれん」
「嫌な役目だな」
「私は既に王の御気分を害している」
「王がもう少し丸い性格なら、問題にもならんと思うんだがな」
二人はしばらく無言で建設現場を歩き続けた。現場監督の一人が図面を持って近づいて来る。求められた指示を与えてから、建築家は口を開いた。
「言うだけは言ってみよう。どちらにせよ、私もあそこに水劇場を建てねばならん」
「礼を申し上げる」
「どうせ誰かが言わねばならんのだろう。完成が遅れたら遅れたで雷が落ちるのは目に見えているからな」
落雷するのは言うまでもなく王の怒りである。
「ついでに、もうひとつ頼みがあるのだが」
「難しいのは勘弁してくれ」
「もしお手隙なら、私が雑用を片付ける間、彼の相手をしていただきたい」
「彼」とは言うまでもなくオルソである。
「それは構わんが」
「さほど時間はかからない」
言い残して、グラーブは娘を連れ二人の男から離れた。
振り返りもせずに遠ざかる後姿を見送ると、さて、と口髭を生やした建築家はオルソを振り返った。グラーブと同年代の男はニヤニヤと笑みを浮かべて尋ねた。
「面白い男だろう」
「正直言うと、あの暗い性分が俺にまでうつりそうだ」
「まあそう言うな。悪い人間ではないし、庭造りに関して彼は、確かに天才といっても差し支えん」
「もっと正直に言うと、どうして俺が弟子にされたのかも分からない」
「おまえさんもおかしな男だな。初対面の私になぜそんなことを言う」
「本人に訊いても答えない。あんたはグラーブと親しそうだから、分かるんじゃないかと思った」
呆れ顔でガットがオルソを見上げた。
「師匠を呼び捨てか?」
「親方を言ったら嫌な顔をした。それじゃどう呼ぶのか訊いたら好きにしろと言ったので、好きにしている」
ははは、とガットは声に出して笑った。
「本当に面白い師弟だ。彼と私が仲良く見えるのは、私が庶民の出で、こんなざっくばらんな性格をしているからさ。あのグラーブ・ヴァンブラの考えを理解できる者なんか、いないんじゃないのか」
他に何か質問はあるかと建築家は尋ねた。
「なければこいつを」
と、ガットは建造中の建物を振り仰いだ。
「どう造っているかぐらいの話でもしよう。グラーブ殿が期待しているのもその程度だろう」
「いや、ある」
折角なのでオルソは尋ねた。
「さっき話してた、ゲニウス・ロキとはなんだ?」
「おいおい」
オルソの問いにガットは空を仰いだ。
「そこから教えなければならんのか? グラーブ殿は真の素人を弟子にしたな」
私の分野ではないから正確ではない、後で師匠に訊き直すんだぞと言い置いてから、建築家ガットは説明を始めた。
「ゲニウス・ロキは古代語で『土地の精霊』という意味だ。『ゲニウス・ロキを吟味する』というのは簡単に言えば、もの言わぬ地の声を聞き、微妙な地形を読み取り、地質を知るということだ。
「庭師は依頼者の希望を取り入れつつ、その地に最も適した庭園を造る。そこまでやれる職人もそうはいないがな。真に優れた庭師は、実際に土地の精霊と会話までできると言われている。この域まで達すると庭師というより自然魔術師に近い」
魔術師という言葉を聞いてオルソは嫌な気分になった。顔に出たらしい。どうした、と建築家が尋ねた。
「魔法使いは好きじゃない。ろくな目に遭わされたことがないんだ」
「目くらましをかけられたり身動きできなくさせられたという程度のものなら、それはただの魔法だ。手品や小細工に毛が生えたようなものさ。系統だった理論を修め、心身修養を実践し、己自身をより高めることで術を習得し、初めて魔術師と呼ばれる」
「庭師を極めると魔術師になるのか?」
やや皮肉を込め、オルソは訊いた。
意外にもガットは真面目な答えを返した。
「どんな職でも、極限まで極めれば魔術めいてくるものだ」
植木職人の親方に渋い顔で、それでもまあこれで半人前としてどこかには雇ってもらえるだろうよと太鼓判を押された翌日、朝の通勤先が石工職人の親方の家へ変更された。手にする道具も、植木鋏とシャベルから鏨とハンマーに変わった。同じように腕は一流だが鬼のように厳しい親方に頭を叩かれながら、オルソは基礎技術を仕込まれた。
その次は大工の棟梁にあちらこちらの建築現場を引き摺り回され、例によって軍隊よりも厳しい実地授業を受けた。このような具合に、オルソは普通に働いたのでは考えられない速さで、様々な職種の基礎技術を習得していった。
午後はそのほとんどを陰気な師匠親子と過ごした。オルソにとっては、お世辞にも楽しいとはいえない時間帯である。半分死んだような親子と顔を突き合わせているよりは、粗野だが基本的には気の良い親方にしごかれたり、そこで働く弟子や職人たちと会話をする方が、よほど気が楽だった。
グラーブ・ヴァンブラの自宅で設計や植物学、幾何学について講義されることもあれば、図面を引かされることもあった。が、それよりは宮苑の造営現場を連れ回される方が多かった。
師匠は弟子の資質を見抜いていた。つまり、机の前に座らせ理論を聞かせるよりは、多少順序だっていなくとも実物を見せてそれに解説を加えた方が確実に教え子の頭に入ると踏んだのである。そしてそれは正しい判断だった。
魔術師じみた陰気な庭師にさほど好感を持てぬオルソだったが、自分に対する師匠の的確な教育には感心せざるを得なかった。
しかも彼は、グラーブ・ヴァンブラの意外な一面を造営現場で知ることになった。
オルソは造園家グラーブの従者として現場に出入りしていたが、時には労働者に混じって実際の作業を手伝うこともあった。
本人がいないときに下される、働き手たちの造園家に対する評価は惨憺たるものだった。
「あんな辛気くさい奴は好かねえ」
単純労働者どころか親方までもが口を揃え、弟子のオルソに公言して憚らなかった。
「幽霊みてえなあの面を見ているうちに、こっちまで気が滅入ってきやがる。娘もにこりともしねえし、あんな陰気な奴だと知ってたら、誰も弟子になろうだなんて思わなかっただろうよ」
が、悪言はあくまで悪言でしかなかった。
小さな娘と大柄な男を従えた隻腕の造園家が向かうところ、誰も待ち構えていない現場などなかった。そして、刈り込む樹木の細かな配置、ここへ置く彫像の搬入納期が過ぎている、芝のこの部分は張り替えた方がいい、そんな具合に、ありとあらゆる意見や要望や問題を親方たちは持ち込んできた。
話しかけてくるのは親方だけではなかった。下っ端の職人までもが木鋏を手に、どの枝を落とせばよいかなどという、些細な問いと共に近付いてきた。
そんな者に対してさえ、グラーブ・ヴァンブラは自分の親方に尋ねろとは決して言わなかった。例によって半分死んだような暗い眼差しと口調で、しかし懇切丁寧に彼は正確な剪定法を教えた。
「仕方ねえだろ、ここじゃ奴が親方の中の親方なんだからよ。それに下手な野郎に聞くより話が早え」
陰気な天才造園家は、その性格に対する評価はともかく人望と信頼は勝ち得ていた。戦場で散々思い知らされたが、改めてオルソは感じ入ったものである。
人を外見で判断してはならない。
気が付けば、半年が過ぎていた。