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園丁の王  作者: 井出有紀
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終章

終章


 この界隈でパッセラ・ダーリオを知らない住民はモグリと呼ばれても仕方がない。

 まず、十四歳の少女の身でありながら、やたら腕っ節が強い。一対一で近所の少年と喧嘩して負けたことのない彼女は、か弱い少女の味方である。か弱い少年の味方でもあるが、助けた後に「男ならもっと強くなれ!」と厳しい喝を入れるので、結果として同性には好かれるが異性には嫌われてしまうのだ。

 父親に似て、同年代の少女たちよりも背が高い。太陽の下で過ごすのが好きな彼女の肌は赤銅色に焼けている。これも父親譲りだ。今となってははっきり顔を覚えていない母親譲りの艶やかな黒い髪は「仕事に邪魔だから」と少年のように短く切ってしまっている。身長の割に体重は軽い。友人たちのように胸がふっくらとしてこないのが専らの悩みである。

 しかも彼女は女の身でありながら、父親の仕事を手伝っている。小間物屋での店番や縫子ならまだしも、父親の職業は庭師である。ときには外国の金持ちにまで呼ばれたりしており、その道では有名らしい。

 パッセラも、町内や隣町の仕事であれば、現場で大柄な父について歩き、職人への指示を伝えたり、刈り込み鋏を使ったりして時を過ごしている。短い髪と高い背丈のおかげで、働く姿は一見、見習いの少年に見えるほど板についている。

 いささか毛色の変わった少女だが、物怖じしない明るさと根の優しさで町の住民には愛されている。母親がいないことを除けば、恵まれているといっても差し支えない。

 が、この年代の少年少女の例に漏れず、パッセラもまた無数の不満を抱えていた。そのほとんどが、父親に対するものだった。

 年頃になったのだから女らしくなれだの、スカートを穿けだの、髪を伸ばせだの、最近やけにうるさい。昔は木鋏の使い方を教えてくれたのに、今は現場へなどついて来ずに刺繍やレース編みなどを習えと言う。もちろん、遠出の仕事にも連れて行ってもらえない。

 パッセラ自身は庭師になる気満々なのだが、どうも父親は子守りがてらに現場を連れ歩いていただけだということを悟り、それが大層不満である。

 最大の不満は、母親が出て行った理由を未だに教えてもらえないことだ。職人の一人とただならぬ関係になって家を出たということぐらいは彼女だって分かっている。口に出さないだけで町中の皆が知っているし、何より、彼女自身が実際にその場に居合わせ、一緒に来るかと母に訊かれたのだ。

 それでも父は、母が悪いのではない、と言った。一時期などパッセラは、父親も浮気をしていたのではないかと疑っていた。浮気が何たるものであるかについては、友人から既に情報を得ている。

 しかし、父の浮気について尋ね回る豪胆な少女に、町の誰一人、最も口が軽いと評判のパン焼き職人の女房でさえ、その疑問には頑として首を縦に振らなかった。

「あんたの父さんぐらいの男前なら、他に女の一人や二人、いたっておかしくはないんだけどねえ。他所は知らないけど、この町じゃ今だって商売女以外は相手にしないそうだよ。よくできた父さんじゃないかい」

「商売女」の意味がいまひとつ分からなかったが、とにかくパッセラにとっては全然できた父親ではない。

 大きくなったら教えてくれる、と確かに約束した。

 もう充分大きいではないか。少なくとも背丈は。

「ちっくしょう」

 少女らしからぬ下品な言葉を吐いて、パッセラは庭の石を蹴り飛ばした。留守居の職人が、道具の手入れをやめてパッセラを振り返った。

「どうしたんですか、お嬢?」

「ううん、なんでもない」

 見る者全てを幸福にするような笑顔で答え、パッセラは家の中へ駆け込んだ。それを見送った職人は嫌な予感に襲われた。これまでの経験上、極上の笑みを浮かべた後の彼女は、周囲の全てが引っくり返るような騒ぎを引き起こすことを熟知しているからだ。母親に去られ父も家を空けがちな少女が寂しさを紛らわせているのだと大目に見られてはいるものの、仕事から戻ってきた父親が近所に頭を下げて回る羽目になったことも二度や三度ではない。

 父親の書斎にこもったパッセラを心配して、職人が控えめに扉を叩いた。

「お嬢? どうしたんです?」

 パッセラは扉を開けた。生き生きとした、邪気のない黒い瞳が職人を見上げた。

「何が?」

「いや、急に家ん中へ走ってったんで、どうかしたかと思ったんですよ。お嬢はときどき、とんでもないことをやってくれますからね」

「別に。この前読んでた本で、ちょっと気になる部分を思い出したから」

 パッセラは本を読むのが好きである。最初は美しい幾何学模様や庭が描かれた美しい挿絵を眺めているだけだったが、読み書きを教えられる年になると、家にある造園の専門書を片っ端から読み漁った。分からない単語は、父親や字の読める職人や、以前通ってきていた家庭教師に尋ねた。必要な教養は身に着いたというので、今は家庭教師は家に来ない。

「頼みますから、あんまり俺たちをびっくりさせないでくださいよ」

「分かってるよ」

 本を開きながらパッセラはおとなしく返事をした。読書をしている間は大丈夫だろう、と職人も書斎の扉を閉める。

 が、すぐに少女は読んでいた筈の本を閉じ、書架の一部を利用して作られた戸棚の前にしゃがみ込んだ。取っ手を掴んで引いてみるが、やはり開かない。

 パッセラは、この「開かずの扉」がずっと気になっていた。中に何が入っているのか知っている職人はいないし、父親に訊いてもはぐらかされてしまう。

 本以外のものには触らないという条件で読書を許されているが、やはり好奇心は抑えられなかった。父親に対する反抗心もある。なにより、母親が出て行った秘密がこの中にあるのかもしれない。

 パッセラは持ってきた針金を鍵穴に差し込むと、がちゃがちゃと音をさせて何とか扉を開こうと試み始めた。他の扉や錠前で練習は済ませてある。

 それでも書架の扉は守りが堅かった。父親が帰宅する時間も近付いている。

 今日は諦めよう、と思ったときにかちゃりと音がし、針金から手応えが伝わってきた。

 そっと取っ手を引いてみる。

 中にあるものを見て、少女は首を傾げた。

 革製の敷物のようなものが筒状に丸められ、中に押し込まれていた。

 それを引きずり出し、彼女は敷物を縛っている紐を解いた。

 幾何学紋様の修飾を周囲に施された、正方形の敷物が床に広がった。

 と、見る間に中央が浮き上がり、敷物の上に鋳物の蓋が被さったような、奇妙な形状になった。

「何これ」

 パッセラは思わず呟き、黒い瞳で興味津々にそれをじっと見つめていたが、書斎机から定規を持ってくると、それで蓋のようなものを軽く叩いてみた。

 特に反応はない。

 蓋を外したらどうなるんだろう。

 向かうところ父親以外に対しては無敵の少女である。彼女は敷物の上に恐る恐る足を乗せ何も起こらないと知ると、蓋の取っ手らしき部分に両手をかけた。力を入れるが持ち上げられない。いかに腕力が強くとも、十四歳の少女の手には余る重量である。

 パッセラは方法を変えた。持ち上げられないのなら、横へ引いてみればいい。

 顔を真っ赤にして蓋を横へ引っ張ると、ごご、と重たげな音と共に鋳物の蓋がずれた。半分ほど開いたところで中を覗き込んでみる。

 石の階段が続いていた。

「?」

 不思議そうな顔でしばらくそれを眺めた後、パッセラはうんうん唸って蓋を完全に横へずらし、ためらいもせずに階段を降り始めた。


「我が家のじゃじゃ馬娘は大人しくしてたか?」

 帰宅するなりオルソは留守居の職人に尋ねた。

「へい、今度はお行儀よくしておみえでした。仕立て屋の坊ちゃんと少し揉めた程度で」

 娘と同じ日焼けした赤銅色の顔から、浮かびかけた笑みが消えた。眉間に皺を寄せ、空を仰いで壮年の男は繰り返した。

「少し?」

「へい」

 職人はそれ以上言おうとしない。オルソは追及した。

「少しってのは、口喧嘩か? それとも殴り合いか?」

「少し手が出た程度です。お針子の娘さんにちょっかいをかけてるのを助けたそうで。娘さんのおっかさんがお礼にみえました」

「仕立て屋の方は何も言ってきてないな?」

「へい」

 今回はどこへも頭を下げに行かなくても良いらしい。

「今は書斎で本を読んでますよ」

 文句なしである。まだまだ道のりは長いが、ようやく少しは年相応の娘に近づいてきたかと、オルソは安堵に胸を撫で下ろした。

 今にして思えば、おそらく最初がいけなかったのだ。家に置いていくと泣いて寂しがるからと仕事場にまで連れて行った親馬鹿が災いしたのである。通いの賄い婦がいるものの、彼女以外は全て職人である。父親を含め七人ものむさ苦しい男に囲まれていては、あそこまで男らしい少女になってしまったのも当然といえば当然である。

「帰ったぞ、パッセラ」

 言いながらオルソは書斎の扉を開いた。

「今度はいい子にして……」

 言葉が途中で切れる。

 床に、あの敷物が広げられていた。

 蓋が外れ、ぽっかりと空いた穴に階段が続いている。

 オルソは書架に目を走らせた。かなり厳重な鍵を取りつけた筈だが、見事に破られている。

 やりかねない。

 オルソは微塵たりとも疑わなかった。

 パッセラならやりかねない。

「馬鹿娘が!」

 父親は悪態をついて階段を駆け降りた。


 階段から出たオルソは狐につままれたような気持ちになった。

 空一面が、あらゆる表情を見せている。

 穏やかに風が吹き、林立する木々の葉を静かに揺らした。

 高台へ出てみると、無数の庭園が眼下に広がっている。

 あの無気味な違和感は、跡形もなく消え去っていた。眼前にあるのは不思議な、だが見慣れた懐かしい風景である。

 むくむくと地面が盛り上がり、小人の姿をとった。懐かしげに、ロムブリコは大きな友人を見上げた。

「久し振りだ、熊。しばらく見ないうちに老けたな」

「人間、年を取るからな。ところで娘が一人、ここへ来た筈だが」

「来た。おまえの子か?」

「そうだ」

「おまえの子、おまえより肝が据わってるな。平気で遊び回ってる。心配するな、ここも落ち着いた。いつでも迎えに行ける。まず、ご主人様の聖堂でも見に来い」

 ロムブリコも、以前のような崩れた形をしていない。貧相な顎鬚を生やした小人そのものの姿である。「箱庭」は完全に元の平穏を取り戻したようだった。

「そうだな」

 この世界の様子をほぼ把握している地精が言うのだから間違いないのだろう。オルソは頷いて、ロムブリコの後に続いた。

 聖堂の門は開放されていた。

 最初訪れたときと全く変わりがない。静かで、穏やかな空間が広がっている。

 水路に囲まれた円形の広場や、光が降り注ぎ、緑と数々のオベリスクに彩られた聖堂の内部を散策しながらオルソは尋ねた。

「あれからどうなったんだ」

「ご主人様の魂ひとつ、どこか行った。覚えてるか?」

「ああ」

「昔の奥方と子ども、探しに行った。昔の奥方と子ども、理由も分からず殺されてやっぱりご主人様探してた。逢えたの、おまえたちの時で言えば五年ぐらい前。ご主人様たち、地に還った。それで虚無なくなった」

 ロムブリコは地下墓室の入口に立った。

「開けてみろ」

 あの薄ら寒い欠落感は全く感じられない。オルソは扉を引いてみた。

 入口は屋外へ通じていた。どこかの山麓らしい。空気が、オルソが住む町よりもひんやりとしている。人家も村も、全く見当たらない。

「どこだ?」

「おまえたちの言葉でいう、山脈の向こう側。ご主人様の虚無が消えたとき、ここ開いて風精が今話したこと知らせてくれた」

 オルソは扉を閉めた。

「クレイ親方は?」

 ロムブリコは、無数にある庭の一つへ彼を連れて行った。

 褐色の肌をした老人が、ゆっくりと庭を巡り歩いている。少し曲がった腰と、渋い緑色の目、僅かに残った灰色の髪。

 クレイフィッシュ親方は、何かを思案しながらオルソのすぐ前を通り過ぎた。こちらには全く気付かない。

「クレイ親方」

「呼んでも無駄」

 ロムブリコが言った。

「おまえが戻ってすぐ、影に戻った。やっぱりご主人様の一部。ご主人様より偉くても、ご主人様死んだら元に戻った」

「おまえはどうしてそのままなんだ」

「ロムブリコ、最初からこの格好。ご主人様に造られてない。契約しただけ」

「なるほど……おい」

 オルソは最も気になっていたことを切り出した。

「グラーブの影は、ここにないのか?」

「ご主人様は……」

「親父!」

 ロムブリコの声を少女の大声が打ち消した。パッセラが、短い髪を弾ませて走ってきた。腕に何かを抱えている。

「何ここ? 凄いや! こんな面白いとこがあるの、なんで黙ってたんだよ! 何かすご……」

「パッセラ」

 オルソは娘の言葉を遮った。

「確か、書斎で触ってもいいのは本だけだったな?」

「……うん」

「『うん』じゃない」

「はい」

 不満げに黙り込む娘を、オルソはなおも睨み続けた。

「他に言うことがあるだろう」

 パッセラは立ったまましばらく抵抗していたが、それでも渋々と応えた。

「ごめんなさい」

 けけけと奇妙な声をあげてロムブリコが笑った。

「熊、おまえが人の親になるとはな」

「うるさい」

 ついでとばかりにオルソは小人をも睨んだ。が、娘が抱えた鉢植えに目を留めると、呆れて言った。

「おまえ、そんなものどこから持ってきたんだ」

「黙って持ってきたんじゃないからね」

 反抗的な口調で応えたパッセラは、しかしすぐに高揚感を取り戻した。

「あのね、親父が初めて造った庭に行ってきたんだ。結構面白いもん造るんだな、親父って。木のトンネルとか洞窟とかさ。あたしもあんなん造ってみたいな」

「ちょっと待て」

 立て板に水がごとき娘の話をオルソは中断した。

「どうして俺が造ったと分かったんだ?」

「案内してくれた人がいたもん」

「人?」

「うん、じゃなくて、はい」

 返事を訂正してから、パッセラは再び猛烈な勢いで喋り出した。

「階段から降りてきて最初は何が何だか分かんなかったんだけど、おじさんが来てね、あたしの名前訊いたんだ。で名前言ったら今度は親父の名前を聞かれてさ。そしたら『君の父上が初めて造った庭に今から行くところだが、ついて来るかね?』って言うからついてったんだ。あ、知らない人についてっちゃ駄目なのは忘れてなかったよ、でも他にどこに行けばいいか分かんなかったし。それにおじさん、凄く暗い感じだけど、いいとこの人そうだし、悪い奴には見えなかったからさ。親父のこと知ってたし。どうでもいいけど親父が『父上』だよ? 笑っちゃうよね。で、一緒に行ったら庭周りながら、いろんなこと教えてくれた」

「その男、俺より十ぐらい年上」

 言いかけてオルソは年齢を訂正した。

「いや、俺より十ぐらい年下で、色が白くて、黒っぽい服で、右腕が途中からなかったか?」

「そうそう」

 パッセラは目を輝かせた。

「すっげえ。やっぱり親父の知り合い? 変わった人だよね、あ、駄目だよ」

 走り出した父親を娘が制止した。

「多分、もうあそこにはいないよ。何だっけ、崖にあるなんとか園で考えごとするって言ってたもん、いつもそこで……って、何焦ってんだよ親父!」

 娘を置き去りにしてオルソは走った。あの男が思索に耽る場といえば、断崖の廃園しか思いつかない。

 崖の向こうに海が広がっている。草地に倒れた円柱や崩れた建造物の中には、苔むしているものもある。

 黒い影法師が立っていた。

 風に、コートの裾と空虚な右腕がなびいている。

 どのぐらい後ろ姿を眺めていただろうか。

 オルソは探し求めた男の名を呼んだ。

「グラーブ?」

 黒い後ろ姿が身じろぎした。

 振り返ろうという素振りを見せた瞬間。

 男の姿は空中に溶け込むように消滅した。

 オルソは茫然と立ち尽くした。娘が追いつく。

「何でそんなに慌ててんだよ?」

 常では見られぬ男の表情に、パッセラは口を噤んだ。それから、そっと尋ねた。

「大事な人なの?」

 はからずも的を得た娘の問いに、オルソは寂しげとも取れる複雑な苦笑を浮かべた。

 パッセラは父親のそんな笑みを初めて見た。彼女の父はいつも陽気で、喜怒哀楽がはっきりしている。

「俺の師匠だ」

 オルソは短く答え、いつの間にか足下に現れていたロムブリコを見下ろした。

「あれは、影か?」

「そうだ」

 小人は頷いた。

「魂一つ地に還ったとき、影に憑いていたもうひとつ、正気に戻った。正気に戻った魂、でも還ろうとしない。割合で言えばちょっとだけの魂、だからロムブリコ、前みたいにご主人様の考え、よく分からない。でも、いろいろ考えてるみたいだ。今はもう苦しそうじゃない。それ、いいこと。そのうち俺たちに還って来るだろう。そしたらご主人様を亡くしたここも、やがて地に還る」

 オルソは微かに眉を寄せ、娘を見下ろした。羨望の眼差しを向けられたパッセラは、困惑した顔で父を見上げる。

「この子が話までしたっていうのに、何故俺は顔を見ることさえできない?」

「ご主人様、おまえに教えること、もうないと思ってる」

「あのね」

 パッセラが遠慮がちに口を挟んだ。

「あのおじさん、あたしに親父みたいな庭師になるのかって訊いたんだよ。うんって言ったら、これくれた」

 少女は大切に抱えた鉢を示した。

「これ、上手く育てられたら親父もきっとあたしにいろいろ教えてくれるって。もし親父が駄目だって言っても、おじさんが教えてくれるって」

 オルソは娘の抱えた鉢植えに目を落とした。何ということもない、花壇によく植えられる草花の苗である。

 生前のグラーブだったら、そんな回りくどいことはしない。教えるなら教えるで、より効率的な方法を取る筈である。

「らしくないな」

 思わず漏れた父親の呟きに、娘が応えた。

「うん、自分でもそんなこと言ってた。でもおじさん、親父の庭見て考えたんだって。どうして真ん中に樺の木を置いたのか」

 そういえばずっと以前、天才造園家はそんな話をしていた。都市をも表現している庭の中央に、何故オルソは人工物でなく木を据えたのか。

「それで答えを見つけて、なんか親父のこと褒めてたよ。本能で分かってるとか言って」

 そういうところは生前のままである。とても褒められたとは思えない。

「で、おじさんも少し考えを変えたから、まずこれを育てなさい、ってくれたんだ。意味よく分かんないけど」

 パッセラは鉢植えを宝石のように抱えたまま父親を見上げた。

「ねえ、親父のお師匠が言ったんだから、いいだろ? あたし、やっぱり庭師になりたいよ。女じゃ駄目?」

 オルソはため息をついた。

 何も、女が全員、女らしくしなければならないというものでもない。

「女の子だからとか、娘だからって甘やかさんぞ」

「いいよ」

「あんまり物覚えが悪けりゃ、蹴っ飛ばすかもしれん」

「今さら何言ってんだよ。あたしが喧嘩した日は、いつも頭ど突いてるくせに」

「大きな仕事をするなら、もっと勉強しなけりゃならん。家庭教師を何人も付けるぞ」

 パッセラは読書好きだが、それ以外のときはひとときもじっとしていられない。少し間を置いてから、彼女は覚悟を決めた。

「……やってみる」

 けけけけ、とロムブリコが再び奇声をあげた。

「分かった」

 オルソは諦めた。いや、実は嬉しいのかもしれない。自分でも判然としなかった。

「とりあえず今日は帰ろう」

「ねえ、またここに来てもいい?」

「やると決めたことをきちんとできたらな」

「熊、友達。熊の子どもも友達になるか?」

「ほんと?」

 地精の言葉に、長身の少女は目を輝かせた。

「その代わり、俺たちに庭を造る。それまではおまえ、友達の子ども」

「うん」

 オルソが久方ぶりに見る素直さでパッセラは頷いた。

「友達になれるよう、頑張る」

「待ってるぞ、大きい雀」

 言って、ロムブリコは地面へ溶け込んだ。「雀」はパッセラだ。その名に似つかわしくない大柄な少女だが、よく回る舌はまさしく雀そのものである。

「おお、小人さん、出たり入ったり凄いなあ!」

「奴は地精だ」

「ふうん」

 ひとしきり感心してからパッセラは黙り込んだ。しばらく二人並んで歩いてから、彼女はまたしても遠慮がちに口を開いた。

「親父」

「何だ」

「あたし、大きくなったよ。まだ子ども?」

 娘が言わんとすることを、オルソは悟っていた。小さな頃に交わした約束を、彼女は決して忘れようとしない。

「まだだな」

 にべもなくオルソは答えた。

「一人前の庭師になったら話してやる。その頃にはおまえも、大人になっているだろう」

 パッセラは頬を膨らませて父親を睨み上げた。が、その日焼けした横顔に先程とよく似た複雑な表情を見ると、常の彼女らしくなく殊勝に口を閉ざした。少女なりに何か思うところがあったのかもしれず、普段とはどこか違う父親に気を遣ったのかもしれない。

「パッセラ」

 オルソは、珍しく静かになった娘を呼んだ。

「なに?」

「グラーブは、庭の答えを何と言ってた?」

「グラーブ……あのおじさんだね。なんで樺の木が中央にあるかって奴?」

 聞き返され、そうだとオルソは答えた。

 少女は鉢植えを大切そうに抱きしめて、ただひとこと言った。

生命いのち



「園丁の王」 完結



最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

この物語が貴方に何かを残せれば幸いです。


章分けをしていない、2008年発行の古い同人誌が未だに手元にあります。紙媒体をお求めの方はBOOTH https://ideyukimoon.booth.pm/items/2782640 にて頒布しておりますのでよろしければご利用ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 独特の世界観と師弟愛?が面白かったです。
[一言] 紹介されてたので休日の読書にと読み始めたのですが、一気読みでした。 上手く感想がつたえられませんが、読後感もとても良かったです。 BOOTHで購入しました。
[良い点] 響くものがありました
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