第二章 5-1
第二章
5-1
ナルドでの仕事は、富豪が愛妾のために建てた屋敷の庭造りだった。移植する樹木の下準備も前年のうちに済んでおり、二月ほどで造園は完了した。
招かれるままに、二人の造園家は各地を放浪した。数日で仕事を終えるところもあれば、王宮の宮苑ほどではないにしろ大規模な庭園造りに半年以上を費やすこともあった。
グラーブ・ヴァンブラが依頼を受ける基準は明確だった。仕事期間中の居住環境である。彼は本拠地となる自分の家を持っていない。屋敷など何十軒でも建てられるほどの資産を銀行に預けているが、自宅を所持すればかえって手間が掛かる、というのがこの陰気な造園家の考えだった。確かにそうである。娘を連れて移動していた男である。建てたところで不在期間の管理に手間と金を費やさねばならず、何より、待つ者もいない、ほとんど戻らない自宅に愛着が湧く筈もない。
従って、移動していない間は住居の確保をする必要がある。短期間であれば依頼人の屋敷の客間で寝起きしたが、十日を過ぎると思われる仕事に関しては、彼は一軒家を要求した。ほとんど毎晩を、敷物の階段から通じる「箱庭」で過ごしていたので、確かに他人と同じ屋根の下で暮らすには都合が悪い。
贅沢な要望だが、彼の腕前と知名度のおかげで賃貸の場合は家賃まで負担するという依頼主がほとんどだった。しかもグラーブは、依頼主の経済状態や人柄までをも前もって周到に調査させていたので、客選びにしくじるということもまずなかった。
造園家グラーブ・ヴァンブラがどこへ行こうと、大宮苑に携わっていたとき同様、仮の住まいには必ず主たる仕事とは別件の依頼書が舞い込んだ。「変人」の上新たに「狂人」のレッテルが彼に貼られたが、以来の件数は減るどころか以前より増加していた。グラーブの純粋な技量でなく「狂える天才」の手による庭を所有することに価値を見出す客が新たに加わったためである。彼らは完成した庭を愛でるのではなく、稀少な珍品を収集するような心持ちでグラーブに庭の造営を依頼した。
依頼者の意図など知ったことではない。グラーブは陰々滅々とした面持ちで例によって可能な範囲で引き受けたが、そのうちの何件かはオルソにも回された。図面引きを手伝わされるだけのときもあれば、近所の場合は自ら出向いて作業することもあった。もちろん、カステロ邸のときのように、全面的に任される場合もあった。
何件も仕事をこなすうちに、オルソは自分が造る庭の傾向に気付いた。依頼者が師匠に希望するような、威厳に満ちた端整な庭や静寂な空間の演出などには、彼は向いていないようだった。グラーブに設計図を確認してもらい、了承も得られるのだが、最後の最後でどこか詰めの甘さが露呈する。それが具体的に何なのかは分からない。依頼者の中にもやはり稀に炯眼の持ち主がおり、君は師匠とはどうも違うものが得意なようだと、面と向かって言われたこともあった。
代わりと言っては何だが、完成した庭を見た女性や子どもに喜ばれることは多かった。女は分からないでもない。かつてのカステロ未亡人のようにちょっかいをかけてくる者がいないでもないからだ。だから女性の評価は世辞として差し引いても、子どもが自分の造った庭を見て喜ぶのは、彼にとっては不可解だった。
「それは、おまえが子どもだからだ」
階段下の世界で、顎髭を生やした小人は答えた。流暢な言葉遣いになっている。オルソとの会話により上達したのだ。グラーブ・ヴァンブラは魔術に使う言語を用いて地精たちに指示を出すので、ロムブリコは今までオルソが話す言葉を必要としなかったのだという。
場所は、オルソが最初に造った、あの庭である。オルソは中央の樺の根元に片膝を立てて座り込んでいた。ロムブリコが向かい合って姿勢を真似しているが、どうにも様にならない。
「ガキを生ませる年だぞ、俺は」
「年は関係ない。熊、おまえは相変わらず血の匂いプンプンだが、面白がるということも忘れていない。子どもも同じ。何にでも興味津々。おまえ庭造るの、結構楽しいだろ」
「まあな」
オルソは儀式のような形式ばったことを敬遠しがちだが、人との会話それ自体には苦痛を感じない。依頼者の好みや希望を取り入れながら庭の構成を考えたり手直しをするのは、それなりに楽しい過程である。実際の作業にしろ、危険が全くないとは言えないが、絶えず命を失う恐怖に晒される戦場と比べれば、それこそ天国と地獄ほどの差がある。
何よりも、戦で「壊す」より、庭を「造る」方が気持ちが良い。
会話を苦にしないという点では、子どもに対しても同様である。さほど躾の厳しくない家では、依頼者の子どもが現場で働くオルソの後ろをちょこまかとついて歩くことが多かった。オルソが特に子ども好きという訳ではない。絶え間なく浴びせかける質問に逐一答えてくれるのが彼だけだったのである。他の職人は煩わしがって子どもたちを体良く追い払うことが多く、グラーブ・ヴァンブラに至っては見るからに暗いあの容姿である。相手が誰であろうと質問されれば答える男ではあるが、子どもの方が、あらかじめ親から「あの人は狂っているから近づくな」と言い含められているのかもしれない。
そのような意味のことをオルソが言うと、うんうんとロムブリコは頷いた。
「熊、おまえ頭良くないから自分で分かってないだろうが、おまえぐらい偏りのない人間、珍しい。ご主人様、おまえから何か勉強しようとしている」
それはオルソにとってあり得ない話だった。
「グラーブがあれ以上、何を学ぶんだ」
「さあ。ご主人様、頭良過ぎて何考えてるのか、ロムブリコ時々分からない。ただ、楽しんで庭、造ってないのは確かだ」
それは言われなくても分かっている。聖堂で見かけるグラーブは刺々しいといえるほど険しい面持ちで、地精に指図しては建物やその周辺を常に変化させている。それどころかその時々によって、曇天であったり夜であったり、爽やかな明け方の空であったりと、聖堂の上空一帯までもが変化していた。
情熱的というのではない。渇望や強迫観念といった言葉の方が相応しい。依頼された庭園を造るときの、あの淡々とした事務的な様子とは対照的である。
「まあでも、二人して仲いいから勉強し合うのもいいだろ」
「よしてくれ」
オルソは上空を仰いだ。この庭では、空はいつも晴れている。
「仲がいいんじゃなくて、慣れてきたところだ」
グラーブ・ヴァンブラの下で働き出してから二年が経過していた。
最初は一刻も顔を見ているだけで、こちらまで憂鬱な気分になったものである。ただ、むやみやたらに陰気なだけでそれ以外人格に問題がないと分かってからは、さほど気にならなくなった。日常生活を送る分には支障ない。
「だがおまえ、初めてここへ来たとき、ご主人様の声を入り口で聞いた。普通の人間なら迷子になって野垂れ死ぬ。おまえが来た距離じゃ、聖堂からご主人様の声、聞こえない。相手のことが心にあると、自然に引き合う。ここ、そういう造り」
「書斎からこんな変な所へ来ちまったんだ。グラーブが怪しいと思うのは当然だろう」
「じゃ、今ご主人様見てきたの、どう説明する」
今朝、明け方前にオルソは階段を降りてきた。ここへ来る途中で、例によって廃園でこちらに背を向けじっと考え事をしているグラーブを目にしていた。
「それじゃ百歩譲ってだな、俺がお偉いお師匠様を崇め奉っているとしよう。そうだとしても、向こうはどう見ても弟子を可愛がってはいないぞ」
なにしろ食卓でさえ、仕事かそれに関する話題しかのぼらない。オルソが訪れた戦場の話をしたこともあったが、それとて、そこのとある貴族の屋敷にあるセグレト園――秘園――は荒らされなかったかという、名園の健在を確認するものでしかなかった。二人のごく個人的な事柄にまで話が及んだことは、プルシナの葬儀の夜以外、一度たりともない。
「おまえ、全然分かってない」
どこか見下すような口調で言われ、オルソは不機嫌に眉をしかめた。
「何が」
「言うとご主人様、怒る。けどおまえ、この庭造ってくれたから俺たちの友達」
地精を相手にしているとどうも調子が狂う。悟りを開いた老人のような言い草をすると思えば、子どものような無邪気な言葉も飛び出してくる。
「友達でも何でもいい。何が分かっていないんだ」
ひとしきりロムブリコは悩んだ末、
「ちょっと待て」
と言い置き地面へ溶け込んだ。さほど待つ間もなくすぐに小人は現れた。
「仲間に内緒にするよう、言ってきた。おまえ、今から俺が喋ること、ご主人様に言うな。二度と出てこれなくなる。きっとご主人様、怒って俺をばらばらにする」
「そりゃ殺されるってことか」
「生き物、死ぬと土に還る。少し違うが、まあ似たようなものだ」
「要するに俺が喋らなけりゃいいんだろう」
ロムブリコは疑わしげに日焼けした人間の顔を見上げていたが、渋々と喋り出した。
「俺たちにくれたこの庭、おまえの心も表わしてる」
喋れと要求したものの、オルソは最初の段階でつまづいた。
「前にも言ってたな。どういう意味だ?」
「意味も何もない。それだけのことだ。ご主人様、幾つも庭、造った。おまえと同じように、それも全部ご主人様の心だ。今造っているところ、ご主人様にとっていちばん大事」
「あの聖堂か?」
小人は頷いた。
「だから塀も高い、門もご主人様以外開くことできない。誰も入れたくないからな。俺たち、大地。なのに、あそこだけはご主人様の命令がなければ行けない」
「じゃ、なんで梯子なんか掛かってたんだ」
「あんな梯子はなかった。おまえが入ろうとしたから現れた」
「出さなければいいだけの話だろう。門だって開かなかった」
「熊、おまえが来ると分かっていれば、きっとご主人様は梯子なんか出さなかった。おまえ、ご主人様の隙間に入った。ご主人様、自分で分からないまま、おまえを入れるためうっかり梯子を掛けた。おまえのこと嫌いだったら梯子なんか絶対出てこない。それに、おまえが勝手に梯子を持ってきて無理に入ったのでもない。ご主人様、しばらく機嫌悪かった。理由ひとつめ。おまえ、ご主人様の大事な心の中へ入った。ふたつめ。ご主人様、自分で思ってるよりおまえのこと気に入ってるの分かった」
分かるような分からないような、師匠から得られる答えに劣らず要領を得ない話である。
が、どうやら二年前に師匠の気分を害したことだけは分かったので、オルソは尋ねてみた。
「ということは、聖堂の中をじろじろ見たり、呑気に居眠りしたのもまずかったのか?」
「居眠り?」
ロムブリコは飛び上がった。
「おまえ、図太い奴。あんなところで、俺たち怖くて居眠りなんかできない。まあ、聖堂の中見たのは構わない。どうせおまえが見ても、あそこの物、何かは分からなかっただろ」
二年前である。雑然と置かれていたものたちを、ぼんやりと思い描くことしかできない。ただ、地下墓室から感じられたあの嫌な感覚だけは忘れられない。
「全然」
「だったらいい。それに、おまえに怒るのも大人げないとご主人様思ってた。とにかく、おまえたち仲いいからよく会うことになる。ご主人様その気になれば、おまえとここで顔を合わせないようにすること、簡単にできる」
オルソには、グラーブと自分の師弟関係が「仲が良い」「親密」といった言葉からはかけ離れているように思えた。前述したように、仕事に関係する事柄の他にほとんど最低限の会話しか交わさず、現場から帰る途中で共に酒場へ飲みに行ったこともない。工期が差し迫ってやむを得ず働く以外、安息日に二人揃って外出することも、全くない。
ただ、この二年間で、否が応にも以前より互いを知るようにはなった。ある程度の信頼関係は培われた、とオルソは思っている。向こうはどうだか知れたものではないが。
もっともオルソが気に入られていたとして、あの陰鬱な男が陽気に笑いながら話しかけてくる様など、どうにも想像できない。ひょっとしたらロムブリコの言ったこともそれほど間違っていないのかもしれない。
「この庭にも幾つか闇がある」
ロムブリコは言った。
「それおまえの暗い部分。人工洞窟にも歩道にも少しある。ご主人様、それ見つけた。興味あるようだった。熊、おまえはそうと知らずに闇作ったが、俺たち、ちっとも気分悪くない。地の中に闇はいくらでもある。だが、もしご主人様が同じことしたら、俺たち耐えられなくなって、その場でばらばらになる」
師匠の話すことといい、ロムブリコの話すことといい、抽象的で理解しにくい。しばらく考えてから、オルソは言った。
「グラーブと俺じゃ、抱えてるものが違うんだろう」
オルソには最初から家族がない。いがみ合った孤児たちや、褒められるよりは叱られる方が多かった尼僧たちが家族代わりである。肉親を亡くすというのはこんなものだろうという推測はできるのだが、本当に分かっているのかとなると自信がない。戦友を亡くすのとも、また明らかに違う。
彼は確かに殺伐とした十五年余を過ごしてきたが、グラーブのように、愛する妻子と身体の一部を奪われ、人としての尊厳を根こそぎ粉砕され、徹底的に己の非力を思い知らされるという経験はしたことがない。
ただ、オルソは腑に落ちなかった。
「なんで、今おまえの言ったことがグラーブに知られたらまずいんだ?」
ロムブリコはため息をついて首を振った。
「おまえ、ほんとに頭悪い。思い出してみろ。聖堂と庭を囲む。石塀の高さや厚さ。それは心の中を知られたくないということだ」
「まあ、誰にだってそういう部分はあるからな」
オルソとて後ろ暗いことはいくらでもある。彼がいた団は規律が良かったとはいえ、それでも傭兵団であることに変わりはない。頑強に抵抗する住民に痺れを切らして町を制圧した途端、隊長や副長であるオルソの制止を振り切り略奪や虐殺を始めた兵士もいれば、彼自身、平の兵卒だった若い頃など数人がかりで女を犯したこともある。手にかけた者にしても武器を構えた兵隊ばかりではない。何度も何度も、後味の悪い思いをしている。
「だから絶対言うな。これ約束」
「分かった」
ロムブリコは懸念した様子で大きな友人を見上げていたが、まあ信用してやると言ってから尋ねた。
「で、今度はどんな庭造るか?」




